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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
6.シーン203

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8

「な…るほど」

 垣は食卓に出された皿の上の目玉焼きを見ながら重々しく頷いて見せた。

「確かにちょっとしたものだ」

「垣さん!」

 むっとしてフライパンを持ったまま、振り返って修一は垣を睨みつける。慣れない緑のエプロンはごそごそと腹回りで余る気がする。

「だって、高野さんがいると思って…」

 もそもそっとぼやいて、他人任せで招待した自分が少しみっともなく、くるりと背中を向けてしまった。

「いや、オレのいつもの夕飯に比べりゃ立派なものだ、うん」

 垣が慌てて言い繕った。

 仕事が終った後、修一はちょっとした夕食なら家で用意出来るよ、と垣を誘った。部屋に戻っても買い置きラーメンぐらいしかない、それも宮田が食べ切ってしまっていなければ、ということだが、とぼやいた垣は二つ返事で応じてくれた。

 けれど、高野は急用だとかで垣と修一をマンションに残して帰ってしまった。残された2人で顔を見合わせ、『何か作ろうか』と垣が言い『あ、じゃあ僕が作るよ、垣さん、勝手がわからないでしょ』と修一が受けて、現在に至る。

「ちょっと何か手伝おうか、オレだって少しぐらいは……うぇ」

 言いかけた垣が妙な声を出して振り返る。

「?」

「いや……その…あんまりタチの良くない冗談を思い出した」

 唸るような声で垣が続けた。

「何?」

「いや、その……オレが料理が出来ると言ったら、宮田がいきなり『結婚しよう』と言い出して」

「うん?」

「『冗談はよせ』と喚いたら、『冗談だよ』って答えたんだが」

 うぐぐ、と垣は妙な唸り声を出した。

「見たら、しっかり人の手を握ってやがるんだ」

「マジ?」

「マジ」

 弱り切った垣の顔に問いかける。

「宮田さんって、そっちの人?」

「いや」

 何でもいいんじゃねえかな、自分の利益になれば。

 ぼそりと呟いた声が本当にしみじみしていて思わず吹き出した。

「ひどいや」「ひでえやつだよ」

 重なった声を耳に嬉しく聞きながら、目玉焼きを皿に移す。垣はハムを悩んだあげくに厚めに切り分け、その横へ付け合わせた。

「笑い事じゃねえって! コンクリート詰めにして北極海へ捨ててやろうかと思ったぐらいだ、こっちは」

 修一は笑い声で応じる。垣が楽しそうなのが嬉しい。

「昔っから、本気と冗談の区別がつかないんだあいつは、ほんと」

 ぶつぶつ呟き続ける垣をちらりと見る。

 幸福だ。嬉しい。楽しい。

 胸の中に広がった甘い感覚を味わえば味わうほど、冷えて醒めた思考が立ち上がってくるのを意識した。

 この時間を失いたくない。どんなにお互いにけなして詰っても一緒に居る垣と宮田のように、垣との繋がりを保ちたい。

 どうして垣は急に映画を降りると言い出したのだろう。何が原因なのだろう。何を解決すれば、垣は映画に踏みとどまるのだろう。

 どうしたら垣を引き止められるのだろう。

 食事の席を整えてお互いに向き合って座る。豪勢とは言い難い食卓だけれど、誰かと一緒に食べる食事がこれほどにおいしい。手に入らなかった今までなら始めからないものと諦められる、けれど、今は。

「垣さん?」

「ん?」

 食事を続けながら、修一は忙しく頭を働かせて時間を稼ごうとする。

「ご飯済んだら、脚本の読み合わせ手伝ってよ。今日のところ、監督もう1回撮るって言ってたよね? けど、僕まだよくわからなくって」

「ああ、あの直樹と滝のところな。オレはあれでいいと思ったんだが」

「うん、でもいいから手伝ってよ」「ああ」

 なら、さっさと片付けちまうか、と急いで食事を食べ始めた垣に、修一はちょっと戸惑った。長引かせようと思った時間が折り畳まれて短くなった気がして不安になる。

「どこでやる?」

「……こっち」

 皿を流しに出して2人はソファに戻った。『ると』が相変わらずソファの端に鎮座している。暖房が効いている室内はごろ寝しても風邪を引いたりしない。

 ふと脳裏に過ったこの前の夜を修一は思い出す、冷えた体で固まって眠ったと思ったのに、朝には全身柔らかく温かかった。暖房のほとんどない部屋で、垣の側にいるだけで温かかった。

「ここ、垣さん」

「ああ、シーン203か」

 脚本を覗き込む垣の横顔に再び考え込む。

 どうしたら垣の決心を変えられるだろう。修一の相手役、滝として、何をすれば、この先もずっと映画に引き止められるだろう。

「えーと、滝の方からか」

 シーン203、周一郎の直樹と滝が暴走族に追われ街中を逃げ回る場面だ。カットは滝が殴られのびかけるところから始まっている。

「、ぐえっ!」「滝さん!」

 直樹は振り返る。手近の男を叩きのめして滝に走り寄り、呼びかける。

「こっちだ、滝さん!」「お、おぅ…」

 よろよろと追いすがる滝、走る2人の前後にバイクの爆音が響く。細い小路で隙をうかがう直樹は、ふっと滝に目を止め、皮肉な調子で尋ねる。

「しっかし、あんたもおかしな人だな」

 薄い笑みを投げかける。

「その、周一郎、って他人だろ? 赤の他人のために、何でこんなことをやってるんだ?」 

 嘲りの裏には周一郎の不安がある。滝が側に居てくれるのは何のためか。金か地位か、それとも他の利潤のためか。

「あんたと周一郎はどう繋がってるんだ?」

 込めた願いを悟られないように、口調は嘲笑だ。

「…わからん」

 滝は軽く唇を噛んで答える。

「わからんが……こう…」

 戸惑い、何かを語ろうとして、その何かを見失った顔で肩を竦め、

「どっか……繋がっているんだ」

 言い切ることばは静かで確信に満ちている。

 それを、垣はそのまま演じる、まるで、そういう繋がりを知っているように。

(垣さん…)

 人は、知らないものは演じられない。役者の技量が経験だと言われる所以だ。自分の人生に出逢っていないものは、フィクションからでも学び取り、疑似体験でも体に感じ取るしかない。想像力が必要なのは、演じ方のためじゃない、それが何を意味しているのかを理解するためだ。

(垣さんは知っている)

 ことばにならない、けれど確かな、人と人との繋がり方を。

(僕は、知らない)

 だからこんなに、信頼し合う演技の中でも不安になる。

 ふいと一瞬、自分が修一の表情に戻ってしまったと気づいて、はっとした。

「よし…」

 吹っ切るように直樹の台詞に戻る。


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