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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
1.シーン201
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5

「ちぇっ…」

 安アパートの階段は、いつ塗り直したのかわからないほど錆が浮いた鉄製だ。へたな場所を踏むと、鉄なのにぎい、と妙な音をたててきしむあたりが恐ろしい。

「……まったく、散々だよな」

 垣はぼやきながら、注意深く階段を上った。

「そりゃあ、あいつは名子役だよ? けど、オレは違うっての」

 ぶつぶつ呟きつつ部屋のドアの前に立ち、合板だかベニヤ板だかを薄い板で何度か補修した状態の扉を眺めて溜め息をつく。

(このアパートを出られるの、いつだろう)

 何度目か考えたそれに、また小さく息を吐いた。

(まあ、今回も何とか、役はもらえたが)

 エキストラぎりぎりの、通行人AとCとKの掛け持ちとか、数人転がっている死体の一人とかの役よりは数段、いやかなりうんとましなんだぞ、と自分を慰める。そりゃ確かに、ののしられたり嗤われたりするばかりの役だが、このドジでおっちょこちょいの、周一郎の引き立て役が全ての仕事のような、『滝』という役があるだけで、明日に多少の希望が持てる。

 ネットやドラマによくあるような、映画がヒットして生活が一転するシンデレラボーイなんて、実際にはいやしない。ましてや、垣の暮らしは映画が二本ヒットしたところで、三度の飯が確実に食えるようになった、寝床に敷くシーツを新調することができた、そんな程度の潤いだ。もし、それ以上を望むなら、今作っている映画もヒットさせるしかない、ないのだが、その鍵を握っているのは。

(あいつ、なんだよなあ…)

 友樹修一の笑顔を思い出し、どこまでいっても無力な自分にがっかりし、溜め息とともに肩を落として、ドアに鍵を差し込み、首を傾げた。

「?」

 ドアが開いている。

(おかしいな。ちゃんと掛けてったはずだが)

 それとも、朝慌ただしさに紛れて、閉めただけて掛けたと勘違いしただろうか?

(まあ、中に、盗むほど価値のあるもんはないけどな)

 それでも、誰かが潜んでいて脅されてというのは頂けない。今はこの体一つが食い扶持なのだ、失う訳にはいかない。

 そうっとノブを回してドアを開ける。

 部屋はいつも通り真っ暗だった。

(ビルの谷間のアパートなんか、借りるもんじゃない)

 両側に人一人通り抜けられる程度の細い路地は繋がっているとはいえ、左右に見上げるようなビルが建っているのだから、基本、日光は差し込まない。薄明るくなるか、真っ暗になるか、その程度の差だ。昼間でも電気代がかかるわ、アパートの家主は環境改善には全く興味がないわで、借り手はほとんどいない。だからこその低家賃、だからこそ、垣でも何とか借り続けていられるわけだが。

 灯をつけようと側の壁を手探りする。普段ならすぐに触れるスイッチが、今日は疲れ過ぎたのか、場所がうまく掴めない。

 と、ふいにぺとりと何かが手の上に重なった。同時に低いおどろおどろしい声。

「か〜〜お〜〜る〜〜ぅ」

「ぎゃあっ!!」

 思わず悲鳴を上げて、それでも咄嗟に見つけたスイッチを力の限り叩きつけた垣は、照らし出された室内にのっそりと立っている男を睨みつけた。

「宮田!!」

「はいな」

「てめえ、どっから入ったっ!」

「ドアから」

 相手は昔懐かしい牛乳瓶の底のような厚みの眼鏡の奥で、くりんと黒目を回して見せた。宮田周、聞いて驚け、この悪友はこれでも。

「そんなこたぁわかってる!」

「わかってるなら聞くな」

「あ、の、なぁ」

 じりっと垣は詰め寄った。

「オレが言いたいのは、どうやってここに入った……か……」

 じゃらりと目の前に見せびらかされた鍵束を、思わずしげしげと眺めてしまった。銀色と薄金色の、形も大きさも様々の鍵が、およそ20、いやもっと繋がれているだろうか。

「合鍵だ」

「、どこの!」

「友人のところ、全部」

 のうのうとした顔の宮田は、むしろどうしてそんなことを確かめるのかと言いたげな訝しげな声だ。

「どうしてそんなもん、持ってるんだよ!」

 これは当然の質問だろう。が、それに対して、やはり当然のように宮田が言い放つ。

「俺は刑事だぞ!」

「は?」

「国家権力に怖いものがあるか!」

「あ…」

 垣はぐったりした。昼間からの疲れも重なり、一気に足下が崩れた。へたへたと座り込み、頭を抱える。

 そうなのだ、こいつはこれでも刑事で、しかも『かなり腕利きの立派な刑事』なのだ、世間的には。

 昔からそうだった、とんでもない発想ととんでもない趣味を実生活の中に巧みに入れ込み、しかも、他の誰からも糾弾されない立場を作るのに天才的な能力があり、ついでに、自分が迷惑をかけた友人連中を、「親切で思いやりがあって情け深い有難い友人だよな」と本気で言いきれる厚顔無恥さは人並以上。

 神はどうして、こんな男に警官になることを許したのだろう、だから神様なんて嫌いなんだ。

 戸口でべったりとスライムよろしく崩れていた垣に、しゃがみ込んで来た宮田がちょいちょいと頭を突いてきた。

「なあ、お前んとこ、何もないな」

「……日本の未来はお前に蹂躙されるんだ」

「何か買ってこいよ」

「金はない」

「嘘つけ、映画で売れたくせに」

(国家公務員が三下役者にたかるんじゃねえよ)

「おい」

(いいか部屋に何もないってことはお前にやるものなんか何もないってことだ)

「おいったら」

(諦めろぼやきながらでもいいからさっさと出て行け出て行ってついでに友達の縁も切ってくれていい)

「ふぅ〜〜ん」

 宮田の口調が変わった。お、立ち去る気か、と少し顔を上げた垣の顎にするりと掌をあててくる。しっとり吸いついてくるような不気味な感触、思わずぎょっとして目を開けると、深々と覗き込んだ相手がねっとりした声で微笑んだ。

「ねえ、かおる〜、俺のこと、見捨てる気ィ?」

「すなっ!」

 垣は跳ね起きた。全身を粟立たせたまま、にんまりと嫌らしい笑い方をする宮田に吠える。

「そう呼ぶなって言ってるだろがっ!!」

「かおるん」

「よせっつーのに!」

「か・お・る〜〜」

「宮田あっ!」

 口調に込められた独特の響きに、ぶっつりと堪忍袋の緒が切れた。飛びかかろうとした垣を、さすがに警察官、軽くいなしてけろりと話題を変える。

「窓に突っ込むな、危ないぞ。それよりさ、今いい役やってるじゃないか」

「ぐっお…っ」

「なかなか難しい役だよな、あれ」

「え……あ……う…うん」

 勢いを逸らされて、思わず頷いてしまう。


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