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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
5.シーン305

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7

 話し出すと堰が切れたようなものだった。唇から溢れ出すことばを繕うことも整えることもなく、時に意味を為さない呟きを挟みながら、話し続ける。どうして母親に会うことになったのか、どこで会ったのか、どんな風に会ったのか、連れていかれた場所、出逢った相手、そこで見た光景、友樹雅子とはとても思えないその姿、そして再び送り返され放り出された後……。

「雨に濡れてたら……何だか道に迷ったみたいで……近くに垣さんの家があったと思って……けど……来たら入れなくて……何でかわからなくて…でも…他にどこにも…行けなくて……」

 見開いた目から瞬きする前に涙が零れ落ちていく。

「どうして…いいか……わかんない……それで……僕…」

 修一は引き寄せた膝に頭を伏せる。肩が細かく震えている。

「泣きたい時はちゃんと泣けよ」

 垣は立ち上がりながら、あえて放り捨てるように声をかけた。

「もうさんざ泣きつかれてんだから、今更飾っても仕方ねえだろ」

 せんべい布団を引っ張り出す。たった一組しかない薄くて狭い布団を畳に敷く。

「…っく……ぅっ」

 背中から微かな嗚咽が漏れてくる。堪えに堪えたその声に、溜め息をついて振り返り、今度は少し声を和らげた。

「ほら、無理すんな」

 ぽん、と頭に手を載せる。思ったよりも小さな感触に、どきりとした瞬間に修一がしゃくり上げ始めた。

(意外に恵まれてねえな、こいつ)

 貧乏は苦しい。社会的地位がないのはきつい。行き先が見えない暮らしも、自分が無価値だと思い知らされる仕事も、正直言ってがっくり以外の何ものでもない。

 しかも今は二重に落ち込み凹んでいる。

 友樹夫妻こそ理想の夫婦だと思っていた。2人の人間性に憧れて役者を目指し、いつかきっとその足元には這い上がろうと思っていた。その高みには登れなくとも、共演は難しくとも、それでも小さな脇役として同じスクリーンに映し出される時を思うたびに、動けなくなりそうな気持ちが鼓舞された。

 けれど、その姿は幻だった。

 思いやり深く豊かに温かい父親そのものと思っていた友樹陽一は、自分と同じように色と欲に塗れて、体面のためなら我が子を切り捨てる男だった。激しく熱く男を誘うけれど、最後の一線では貞淑で芯の強い鮮やかな妻だと思っていた友樹雅子は、自分の欲望を叶えるために遠慮なく我が子を闇に差し出し、快楽に溺れて全てを放り投げられる女だった。

 修一だって、確かに傲慢で生意気で人をからかう趣味はあるが、仕事にはちゃんとした姿勢を貫いている、年下ながらも立派な奴だ、そう少しばかり見直しつつあったのに。

 全てはスクリーンの彼方に描かれた夢、そんなことはわかっていたけれど、友樹夫妻は違うと信じた、信じていたかった。

(これから何を目指せばいいんだ?)

 目標がなくなった。

 いや、目標だと思っていたものは影だと思い知らされた。

 それが映画というもの、芝居というものだと、見せつけられた気がした。

(落ち込むよな)

 せんべい布団にもぞもぞと潜り込み、溜め息をつく。

 ふと目をやると、修一はストーブの前でまだ小さく丸まっている、まるで捨てられた小猫みたいに。

「少しあったまったらこっち入ってこい。明日も仕事だろ」

「…」

 仕事、のことばにぴくりと顔が上がった。しばらく凍りつく。やがて、こっくりと幼い頷き方をして毛布を巻き付けたまま立ち上がり、俯きがちに毛布ごとせんべい布団に入ってきた。垣を見ない。深く顎を埋めた姿勢で横になると、手足を縮め、そのままどんどん縮んで胎児に戻ろうとでもするように小さく小さく体を竦める。あまり心細そうなので側に寄り添ってやっても、顔を上げない視線を合わせない。ただただぎゅううっと身を固めるだけだ。

 それでもやっぱり疲れ切っていたのだろう、数分するうちに、その姿勢が静かに緩んだ。堪えたような息づかいが、静かで穏やかな寝息になる。

(こいつの方がショックだろうな)

 垣は警戒の解れた修一の顔を見つめた。

 端整な顔立ちはここ数日で窶れ汚れ疲れ切ってしまった。目元に皺が寄り、唇はかさかさに乾き、疲労だけではない、まるで数十年一気に年を取って、垣の年さえ越えてしまったように見える顔だった。

「人間……だよなあ…」

 役者だってロボットじゃない、CGじゃない。仕事以外のいろいろな顔がある。いろいろなプライベートをちゃんと抱えている。

 それは時には華やかな評価を裏切るものかも知れないし、誠実な物言いを一気に反転させてしまうものかも知れない。

 けれど表の顔と裏の顔が全くぶれずに、合致したまま生きられる人間の方が少ないのだ。

(弱点あって当たり前、か)

 追い詰められ続けていたんだろう。表の顔が立派になり華やかになり見事になればなるほど、小さく縮んでしまった、もう1人の弱々しい自分が呻き悶え認めてくれと訴えてくる。

 無視しないでくれ見捨てないでくれ、俺もまだ生きたい、俺もまだここにいる、確かに存在しているんだ、どんなにみっともなくて醜くてどうしようもない存在でも、と。

(なまじの名声は命とり、だよなあ…)

 今、垣は自由に振る舞えている。たとえ数本映画に出ようと、屋台でラーメンを啜っても、コンビニでコンドームを購入しても、指差されたり何をしてるのかなんて囁かれたりしない。パチンコでぼろ負けして地団駄踏んでも、綺麗な女に目を奪われて駅のホームから転げ落ちても、人としてどうかなどと評価されたりもしない。

 淋しいかもしれないけれど、それはとても自由だ。

(役者って、難しいもんだな)

 誰かの夢を背負って歩き続けるということは、常に自分を一部失って歩くってことかも知れない。

(『俺』を、失う)

 ごろんと腕枕して仰臥し、天井を見つめる。

(そんな風に考えたことはなかったな)

 そういう世界で、本当にこの先生きていけるのか。生きていたいと思っているのか。

 そこまで役者は魅力的か。そこまで芝居をやり続けたいか。


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