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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
5.シーン305

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38/67

3

「それじゃ…」

 気遣わしげに高野が出て行くのにも、ソファに座った修一は反応しなかった。しばらくしてから、ぽつりと呼びかける。

「『ると』」

 ソファのもう片方の端に、『ると』はちょこんと座っていた。毛布の上に乗っているのをいいことに、ずるずる毛布を引っ張り寄せて、『ると』を引き寄せる。

「『ると』……どうなるんだろう、これから」

 『ると』は真ん丸な金色に光る眼で修一を見上げている。

「お前が答えるわけ、なかったね」

 淡く微かに修一は笑った。

「……答えてくれる人がほしいよ、『ると』」

 ジリリリッ。

 電話の音に修一はびくっと体を強張らせた。おそるおそる電話を振り返りながら、なかなか立とうとしない。電話はあまり良い知らせをもたらしたことがない。ここのところ、特にそうだ。破滅と絶望をもたらす知らせばかり運んできている。

 ベルは鳴り止まなかった。まるで修一がそこで息を潜めているのを知っているように、電話の彼方の人物は諦める気配がない。

 しつこく鳴り続ける電話に、修一はようよう、片手に『ると』を抱いたまま立ち上がり、受話器を取り上げた。

「……もしもし」

『もしもし、修一さんだね』

 低く冷めた声が問いかけた。答えぬ修一を肯定と看做して、ことばを続ける。

『今、ここに君のおかあさんがいる』

「っ?!」

 ぎょっとして目を見開いた。

『既に知ってるだろうが、少々困った立場にあるんだよ、『君のおかあさん』は。その為に、今、少しばかりお金が必要なんだ。ところで、『君のおかあさん』が言うところでは、マンションにはいつも2、30万は現金を用意しているというじゃないか。それをちょっと持ってきてほしいんだ』

「……僕が?」

 掠れた声が自分の喉から漏れるのを、遠く感じた。

「僕1人が…?」

 こんな状況を背負うしかないっていうのか?

 相手はくぐもった声で嗤い、すぐに声を改めた。

『そう、君1人で、だ。マネージャーや付き人を呼ばない方がいい。『君のおかあさん』の命を保証出来なくなる』

 淡々と示された現実は、ドラマのよりも容赦なかった。

「……わかった」

 修一は乾いた喉に、無理矢理唾を呑み込んだ。

「どうすればいいんだ?」

『今から10分後、現金全部を持って、一番近い電話ボックスに来たまえ』

 誰でも携帯を持っているご時世に、電話ボックスなんて見つからない、そう答えかけた矢先、帰りにも通り過ぎたコンビニが脳裏を掠める。心得たように、相手は優しく続けた。

『そう、あの、近くにコンビニがある所だ。そこにいたまえ。迎えに行く』

 チッ、と耳の向こうで電話の切れる音が聴こえた。

 修一は時計を見上げた。8時25分。35分までには行かなくてはならない。慌ただしく『ると』をソファに据え、引き出しを開け、手を奥に探り入れて、茶色の紙袋を引っ張り出した。中身を改め、羽織ったジャケットのポケットに突っ込み、部屋を出る。小走りに駆け、エレベーターを飛び出し、マンションの入り口を駆け抜け、一直線に電話ボックス目指して走る。

(おかあさん!)

 コンビニの近くと聞くと、如何にも安全で明るそうに聞こえるが、実はコンビニの裏手近くは建築途中のマンションになっていて、いつからか工事が進まぬまま放置されている寂しい場所になっている。時折、互いをののしりあい嗤い合うような連中がたむろし、何度か警察も巡視していたが、集まりはするものの、それ以上でもそれ以下でもないと判断したらしく、今は警邏も行われていない。必然、日が落ちてから人通りは少なくなる。そこを指定したあたり、相手は修一のことをかなり詳しく調べ上げていると見えた。

 電話ボックスには誰も入っていない。皓々と明るい室内が妙に白々しい。

 それでも少しほっとして、ボックスに駆け寄った修一を、突然眩い光が包み込んだ。

「っっ!」

「こちらへ、修一君」

 聞き覚えのある声と同時に、おそらくは車のヘッドライトだろう、目を射る光の中を横切って、1人の男がやってきて手を伸ばす。眩さに眼を細めて、何とか相手の姿形を見定めようとするが、ライトは明る過ぎて視界を白く灼き、影がかろうじて見て取れるだけだった。

 ぐっと手首を掴まれる。大きな分厚い手にそのまま自分の手首が握り潰されそうな感覚が重なって、修一が息を呑んでいる瞬間、今度は別口の暗い穴、すぐ側まで迫っていた車の後部座席へ引きずり込まれた。

「、っっ!」

 もがこうとして腕をねじ上げられ、咄嗟に振り向いた隣の席、酷薄そうな顔を眼にした途端に目隠しされ、修一は体を強張らせた。

「静かに。行き先を知ってほしくないだけだよ」

 穏やかに諭す声が返って不気味だ。この先の命はないものだから、あえて優しくしている、そんな気さえする。

 それでも修一は声を絞った。

「お…かあ…さんは…」

「無事だよ。……少々、疲れてはいるがね」

 微かに響いた嘲りに、修一は唇を噛む。

 車が動き出す。振動はほとんどなく、この車が高級車と呼ばれる類だとわかる。幾つも角を曲がっていく。マンションの近くをぐるぐる回っているようにも思うが、車内には外の物音がほとんど聞こえない。一度、警笛が鳴らされて軽くブレーキが踏まれた、それぐらいだ。

 そのまま数十分運ばれただろうか。あちらこちらを迂回しながら目的地についたらしく、小突かれ急かされながら修一は車から降りた。

「金だけというのも残酷だろうと思ってね。君にもおかあさんと会わせて上げたくなったんだよ」

 淡々とした声は、その奥に舌なめずりしているような気配がある。目隠しされたまま引きずられるように歩かされる。足下はコンクリートからリノリウム、続いてかなり高価なカーペットに移り変わっていく。

(どこまで行く? どうやったら逃げられる?)

 母親が居るとか会わせるとかのことばが本当だとは思えなかった。しかし、すぐに殺さないあたりが、一層怖い。じっとりと冷や汗が浮かんでくる体が、気を抜けばぶるぶると震え出しそうだ。

「あっ」

 唐突に、どん、と強く押された。前のめりにこけそうになるのと同時に、目隠しが取られ、視界を埋めた光に瞬き目を細める。背後でばたりとドアが閉まり、目の前で何かが動いた。

「薬をちょうだい…」


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