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「……え?」
「うん」
宮田はことんとテーブルに小さなビンを置いた。
事情聴取に選ばれた場所は平凡な喫茶店だった。表通りから外れ、近所の者が数人出入りする程度、俯きがちの修一に誰も目を向ける様子もない。カウンターの中のオーナー兼シェフ兼ウェイターは、多少気になるようでちらちらとこちらを伺っているが、目の前に座っているお得意さんの相手に忙しく、注文したコーヒーを置いていったきり、近づく気配はない。
「おかあさんのこともだけどね、これについてまず聞きたい」
「これ…」
さっと青ざめた表情に緊張が走る。修一は軽く唇を噛んで小ビンを見つめる。
「うん、これ」
対照的に楽しげに宮田が小ビンを突つく。
「…」
修一は答えずに黙って俯いた。黙秘権とまではいかなくても、積極的にしゃべるつもりはないと無言で知らせている。
「知ってることは話した方がいいよ。後でいろんなことがわかると、困るの、君だし」
「……」
飄々とした宮田の声に、修一はますます体を固くした。
「どうして君がこれを持ってたのかな」
「………」
「隠し続けるといろいろ厄介なんだけど」
「…………」
「社会的な影響もあるだろうしね」
「おい」
やんわりと脅しにかかる宮田の脇腹を垣は突いた。
「お前、友樹君が気に入ってるんだろ?」
「うん」
唇に爽やかな笑みを浮かべて宮田は頷く。
「じゃ、そんな風に陰険な追い詰め方するなよ」
大体こういうの、弁護士が同席したり、未成年者の保護とかそういうもんがあるんじゃないのか。
「うふっ」
垣がこっそりと囁いた内容に、宮田は粘っこい笑い方をした。
「オレ、気に入った人間は苛めたいの」
「変態」
「何とでも。それに、友樹君のためにも、今吐かせちまった方がいいんだよ?」
「へ?」
「後で不利な立場になる」
一瞬生真面目な顔を取り戻した宮田は、それでもこのままでは修一が口を開きそうにないと思ったのだろう、再びもとの爽やか親切系にっこりに戻った。
「ま、いいか。もしそのことを話す気になったら、こいつにでも言っといて。それじゃ、次の質問。趣味は?」
「…え…あ…あの、映画を観ることですが」
唐突に全く別の問いを投げられた修一が、一瞬戸惑い、それでも雑誌のインタビューのようにすぐに卒なく応じる。
「ふん。で、好きな色は」
「青…」
これって何の質問?
修一の物問いたげな視線に、垣もわからんよ、と目線で答える。
「今日の下着の色は?」
「は?」
「いつも何着て寝てるの?」
「あの」
「風呂に入ったら、まずどこから洗う…」
「宮田っ!」
コップを掴み、中の水を一気にぶっかけようとした垣をちらりと一瞥し、慌てる様子もなく宮田は質問を続けた。
「おかあさんの失踪について何か心当たりは?」
「う」
「…さあ」
質問が真っ当なものに戻って凍りついた垣、対照的に低く沈んだ声で修一は答える。突拍子もない世間話に巻き込まれてつい口を開いてしまった、そんな顔だ。
「いなくなる前後、つまり、最後に会ったのは?」
「………昨日です」
「昨日? 昨日のいつ頃? どこで?」
「…仕事終ってからだから、6時ぐらい、僕のマンションで」
ためらった修一は、話し出してしまったのなら仕方がないと思ったのか、ほ、と小さく息をついた。
「どんな感じだった?」
「急に帰ってきて、それから…」
一つ一つ記憶を確かめるように、修一はぽつりぽつりと話し出す。いきなり飛び込んできた母親、取り乱した姿、疲れ切った顔の目の下の隈、かかってきた電話と母親が懇願する声……。
「電話?」
メモを取っていた宮田が問い返した。頷く修一を鋭く見やり、重ねて尋ねる。
「どんな電話?」
「よくわかりません。ただ、いつもの2倍…とか、いつもの所へ8時…とか…………げん…」
「修一さん」
いきなり背後から声が響いた。はっとして顔を上げた修一が、
「佐野さん…」
振り返る垣と宮田に、いつの間に現れたのか、佐野は穏やかな、見ようによっては得体の知れない笑みを浮かべた。
「アポイントなしのインタビューはご遠慮願いたいものですわね。撮影の時間ですわ、修一さん………垣さん」
「あ…はい」
こちらに向けられた容赦なく鋭い視線に、垣は思わず首を竦めた。
「ちょっと!」
無言で立ち上がる修一を宮田が制する。
「最後に一言」
睨む佐野を苦にした様子もなく、
「それで、おかあさんはいつ出て行かれましたか?」
「あ…と」
修一はちらりと佐野を見た。
「その電話からすぐです」
「これでよろしいですわね。修一さん?」
「行きます」
佐野が手を伸ばしてレシートを掴む。
「垣さんも早く」「はっ、はいっ」
慌てて返事をした垣を見もせず、佐野は修一を伴って店を出ていく。
宮田は難しい顔で椅子に座ったままだ。垣が覗き込むと、妙に目を光らせた。
「あの佐野とか言うマネージャー、切れ者だな」
「ああ、周囲もそう言ってる」
「俺が一番聞きたかったことの寸前で、修一の台詞を切りやがった」
「え? 偶然だろ」
「偶然なもんか」
宮田は肩を竦めて立ち上がった。
「彼女、友樹雅子の失踪について、かなり詳しく知ってるな。いや、ひょっとしたら、陽一あたりから『もみ消し』を依頼されてるのかも知れないな」
「つまり…」
これからどうなるんだ?
尋ねる垣を横目で見遣って、
「あの女が修一の側にいるなら、あの子にそうそう危険が及ぶことはないだろうが、何となく一筋縄でいく相手じゃないような気がするし…」
店を出ながら宮田は続けた。
「ただ陽一の依頼で動くか、あるいは、友樹君の人気を守ろうと言うならいいんだが、もっと『違う意図』で動いてるとなると、今度はあの子が危ないし…」
「『違う意図』って?」
垣は不安になった。修一の命が狙われる以上に危険なことが迫っているのだろうか。
「うん」
くるりと宮田は真面目な顔で振り返り、がっしりと垣の両肩に手を押した。
「?」
「これはお前にしか頼めない」
「う、うん?」
「お前を男と見込んで頼む」
「うん?」
「どうか………あの女が友樹君を手に入れないようにしてくれ!」
ばごっっ!!
「あつっ…」「ったくお前は!」
真面目にやろうという気がないのか!
「いや〜これ以上真面目にやれと言われても……いたたたたっ!」
「お前はお前はお前はっっ!」
垣は右手の拳を振り回しながら喚いた。




