5
ジリリリッ、ジリリリリッ。
受話器を押さえていた修一がのろのろと受話器を取り上げる。気怠そうに二言三言会話した後、垣を見ないまま受話器を差し出した。
「……宮田さん」
「宮田?」
「修一さん、何か作りましょうか。起きたばっかりでしょう」
佐野よりもむしろ側に控えていた高野の方が気遣った顔で、いそいそと近寄ってきた。ダイニング・キッチンの方へ向かいかける姿に、
「いらない」
「何か食べておかないと保ちません。高野、簡単なものを」
拒みかけた修一を、佐野はばさりと切り捨てた。
「いらない…っ」
一層強く首を振る修一に、佐野の目配せを受けて、高野がさっさと冷蔵庫を開ける。視界の端でそれを見やって、垣は宮田の能天気な声が響いているのに意識を向けた。
『よう、おはよう。修一との愛の一夜はどうだった?』
「今度締められたくなかったら真面目にやれ。冗談は今通じねえぞ、苛ついてるからな」
『あはは、そりゃ悪い悪い』
きっとちっとも悪いなどとは思っていない、底抜けに明るい声が応じた。
「それで、何だ?」
『いや、そうたいしたことじゃないんだけどさ』
「たいしたことじゃないのに電話してくんな」
『自分ちの電話でもないくせに。ま、単に友樹雅子が行方不明になっただけだ』
「え、ちょ、ちょっと待て! 友樹雅子が行方不明っ?!」
叫んでからはっとしたが後の祭り、ぴたりと会話を止めた修一、佐野、高野がぎょっとした顔で垣を見つめる。
「それは本当なのかっ」
『世界に冠たる日本警察の頭脳たる俺の情報を疑おうって言うのか?』
既にその設定が違うだろ、そう突っ込むのを堪えて尋ねる。
「いや、疑うわけじゃないが……いつわかった」
『ついさっきだ。後で話すが、雅子にちょっと聞きたいことがあって任意出頭願おうとしたんだが、全く掴まらなくてさ。事務所がらみのカバーでもないし、事故なんかでもなさそうで、これはまあ失踪したかな、と』
「それは本当なのか!」
『その台詞、ケータイに入れたら? 一々しゃべらなくてよくなるぞ』
「冗談言ってる場合か!」
『言ってる場合じゃないぞ、もちろん。修一にも伝えておいてくれ、後で事情聴取に行きますよって』
思わず、まだ心ここにあらずの修一を見やる。
「何も知らないぜ」
『それはこっちが決める。それに知らなくても行くの。官僚機構の偉大な暇つぶしさ。じゃ、な』
「おい!」
話すだけ話すと会話は一方的に切れた。溜め息をついて振り返ると、説明を待っているのだろう、それぞれに不安を浮かべた面々に向き直る。
「……友樹君、おかあさんがどこかへ行ってしまって、行方がわからないそうだ」
一瞬目を見張った修一は、素早い一瞥をソファの当たりに投げ、さりげない様子で自分の服に触れた。眉を軽く潜め、やがて諦めたように目を伏せる。
「それから……宮田が後で事情聴取に来るって」
「拒否出来る状態、でもなさそうですわね」
佐野が淡々と応じた。
「では、それまでに出来る限りの仕事を済まななくてはなりませんわね。きっとこれから『忙しく』なることでしょうし」
冷酷にも聞こえる声音だ。
「けれど、できる限りの調整をお願いしますわ。警察の方もお仕事でしょうが、こちらにも『仕事』はあるのですから」
俺は『警察』でも『宮田』でもねえ。
佐野の冷ややかな侮蔑の視線に、垣は心で唸る。
修一がぼんやりとした様子でソファに戻り、テーブルに置かれて既に冷めてしまったホットミルクのカップに触れた。自分の指先に神経が通っているのかどうかを確かめるような危うさで掴み、こくりと一口呑み下す。
それが何かの合図だったように、高野が修一の支度を整えた鞄をさげ、佐野がすらりと背中を向けた。ホットミルクのカップを置いた修一が夢の中の足取りで、佐野と高野が導く戸口へ歩き出す。
「垣さん」「は、はいっ」
呼びつけられて垣は我に返った。
(これからどうなるんだよ?)
映画は撮れるのか。仕事はあるのか。
垣もまた、押し寄せてくる不安と戦いつつ、既に部屋を出つつある3人の後を、急ぎ追った。




