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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
4.シーン119

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30/67

4

「…ん、…ふ」

(何だ…?)

 妙に温かいな。

 垣は小さく息を吐いて身動きし、目を開けた。ぼんやりと霞んだ視界は、時間とともに次第にくっきりと明瞭になる。

(えっと……ここは…)

 垣はゆっくりとあちらこちらを見回した。

 視界左側に美しい曲線で彫り上げられた家具、机の脚か。右側はもわもわふかふかした朧げな影、瞬きをして絨毯だと気づくと、体の下からそれが続いていることを感じた。視線を斜めに上げれば、天井にきらびやかなシャンデリア、広々とした空間は、明らかに自分の部屋ではない。

 どこかで微かな寝息が聞こえる。もう一度瞬きして、自分の右側にある熱源に目を凝らす。

「友樹君…」

 思い出した。

 結局夕べはソファで眠り込んでしまった友樹を起こすに忍びなくて、垣もそのまま居間の絨毯に寝転んで眠ってしまったのだ。掛け物はなかったが、室温は快適、毛足の長い絨毯はひょっとすると自宅の布団よりも柔らかくて、結構気持ち良く眠ってしまった。

 修一はその垣の隣に、小さな子どもが肉親の温もりを求めて潜り込むように、引きずってきた毛布にくるりと丸まって眠っている。垣が身動きしたのも気づかぬままだ。熟睡している修一の頬に陽射しがちらつき、長い睫毛の淡い影が躍っている。

「いつのまに来たんだ?」

 夜中に目を覚ましたのか。

(…で、何で俺の側に?)

 不安と恐怖、先行きの見えない展開に、誰か『大人』が欲しくなったのか。

「……ガキ…だもんなあ…」

 確かに仕事ではしたたかにタフに生き延びてきても、その外にある現実が狂い出せば、仮想世界の実力はあまりにも役に立たない。

 うん、と手を上げて伸びをした。と、指先に何かが当たり、指を引く前に落ちて来たものが顔を直撃した。

「ぶわ!」「ん……垣さん?」

 声に目覚めたのだろう、むくりと体を起こし、目を擦りながら垣の方を見た修一が、落ちて来ているものに『襲われている』垣に吹き出す。昨日のことなど忘れてしまったような明るい笑い声だ。

「何だぁ…」

 とっさに身構えてしまった自分が恥ずかしくて、熱くなった顔をごまかしながら落ちて来た物を摘まみ上げると、修一のぬいぐるみだ。舌打ちしながら唸る。

「ぬいぐるみのくせに人を襲いやがって」

「『ぬいぐるみ』じゃないよ、『ると』って言うんだ」

 修一はまだ笑いながら手を差し伸べた。その手にほい、と青灰色の毛に金目を光らせた猫のぬいぐるみを放り投げながら、顔をしかめる。

「……昨日もそれを呼んだろ」

「え?」

「寝言でさ、『ると』って」

「……うん」

 修一はふいと表情をなくした。腕の中に抱えたぬいぐるみを見下ろす。瞬時に、修一の中から気力が消え、中身が根こそぎどこかへ行ってしまったようだ。

(おかしな奴)

 垣は立ち上がり、修一が投げ出した毛布を畳んだ。

(普通呼ぶか? 14の男がぬいぐるみの名前を、寝言で?)

 それを言うなら、まずぬいぐるみに名前をつけているあたりから突っ込んだほうがいいのか。

(父親か、母親の名前ならまだしも)

 あんなことがあった夜なのだ、うなされても仕方ない。

 確かに、子どもの命に関わる(それも殺されかけたかも知れない)事故に駆けつけない友樹夫妻に幾分がっかりはしていたが、まあ仕事第一の厳しさの現れと言えなくもないし、佐野や高野への信頼かも知れないし。修一自身も父母がいなくても結構楽しくやっているようだし、そういう家族もこういう世界ではあるのかも知れないし。

 いささかざらざらと落ち着かない気分を、それでも長年かけて育て上げた友樹家への憧れで薄めて消し去っていく。

 ジリリリッ。

 ふいに電話が鳴った。ぎくりと修一が体を震わせる。怯えた表情、お節介とは思ったが、手を伸ばして受話器を取った。こちらを見上げる修一に、

「宮田かも知れんしな」

 自分の過保護っぷりを嗤うように言い放って、受話器を耳に当てる。

『もしもし?』

「はい、こちら…」

『あ、陽一ぃ?』

「?!」

 受話器の向こうで、女の声がいきなり甘く溶けた。ぎょっとする垣に構わず、声はしなだれかかってくるような肉感的な媚をまといつかせて続ける。

『早かったのねぇ、あたし、今起・き・た・と・こ』

 まだ下着も付けてないのよ、とくすくす笑う。

「ちょ」

 何かお間違えではないですか、そう続けかけた垣の耳に、満足げな声が囁く。

『昨夜は良かったわ…ちょっと激し過ぎたけど。何かあったのぉ?』

「……」

(これって)

 垣も男だ、相手が何を話しているのか理解はできる、想像はつく。想像はつくが、その内容が受け入れ難い。

『また早めに来てよね、まあ今夜は許してあげるけど……ねえ…どうして黙ってるの? ねぇ、あたしを忘れた…』

「!」

 突然飛びついてきた修一は、垣の表情で受話器の向こうの人間を察したのだろう、垣の手からもぎ取った受話器を無言で叩き付けるように置く。強張った表情は垣を見ない。

「友樹君、今の」

「……」

 問いかける垣の視線を避けるように、修一は俯いた。

 コンコン。

 軽いノックと同時に合鍵が入る音、続いてノブが回る。振り返る垣の目に、一分の隙なく身支度を整えた佐野の姿が映った。

「おはようございます、修一さん」

 穏やかな笑み、佐野ぐらいの敏腕ならば、昨日何があったのかは熟知しているはずだが、こちらも何もなかった顔だ。それでも、垣に軽く会釈する。

「垣さん、迷惑をかけましたわね。ごくろうさまでした」

 さらりと言い放って、手帳を取り出す。

「本日は一日中映画です。集中できそうですね」

「おい」

 こんな状態のこいつに、いつも通りの仕事をしろってか。

 思わず口を挟みそうになった垣を、再びのベルが遮る。


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