3
「こんばんは」
さっきまで泡を食っていたとは思えない司会者のにこやかな笑顔がカメラを振り向く。びくんっ、と垣の背筋が伸びる。
深呼吸一つ。
修一はずっと前からそこに居て、和やかに談笑していたかのような顔で司会者を見やり、カメラの方を振り返った。
「土曜スペシャル、今日はあの『猫たちの時間』の周一郎役、友樹修一さん、滝役、垣かおるさん、監督脚本の伊勢潔さんに来て頂きました」
穏やかな微笑を振られ、修一は微笑み返す、20年来の知己のように。もっとも、この司会者の歳ならば、修一が生まれた時の情報番組も担当していたかも知れない。
「題して『猫たちは笑う』周一郎スペシャルです。私、納屋順一が司会をさせて頂きます」「アシスタントの朝倉美華です」
一通りお定まりの挨拶が済むと、納屋は改めて修一を振り向いた。
「さて、まず、友樹さん、映画のヒット、おめでとうございます」
監督よりも先に話を振ってくるのはセオリーから外れている。けれど、悪くはないんじゃないかな、印象作りには、と計算する。
「今、上映中の『京都舞扇』も連日満員ですよね」
美華も如才なく口を添える。
「はい、ありがとうございます。これもファンの皆様が応援して下さるからだと思っています」
にっこりとと修一は嬉しそうに笑った。するすると横滑りして、始まった時から場所を変えていたカメラ、位置は知らされなくとも、どこにどんな笑顔を向ければ自分が一番よく映り印象がよくなるか、4、5歳からカメラの前に立っていれば否応なくわかる。
(訓練の賜物だよね)
「あ、ちょっとシーンが出ました」
納屋が視線を移すのに、修一もモニターを見つめる。
『京都舞扇』で周一郎と滝が初めて京都の嵐山へ行った時の場面だ。滝のとぼけた表情が温かく周一郎を見守る。まるで年の離れた幼い弟を見守るような視線。
垣は決して素晴しい役者とは言えないけれど、本当に『滝』は当たり役だ。浮世離れしたこの男の、とんでもない包容力を難なく表現して見せる。
(垣さんの動きが少し固いけど………まあ、1作目よりはましか)
『滝』を見るときにいつも感じるくすぐったさをごまかしつつ評価した。
「まあ、これが、今上映中の『京都舞扇』、周一郎シリーズの2作目ですね?」
「ええ」
「1作目が『猫たちの時間』、まあ、これで周一郎というキャラクターが初めて私達の前に姿を現したわけですが…」
納屋はついと手元の資料に目をやった。
(おいおい、そんな資料ぐらい覚え込んでおかなくちゃ)
浮かびそうになった冷笑を修一は巧みに消し去る。そんな司会者ならば、投げかけられる質問も予想がつく。案の定、納屋は如何にも視聴者の代弁をするかのように丁寧に進めてくる。
「友樹さんは、お小さい頃から映画に…」
「ええ。父と出たのが4歳の時でした」
「確か『白い海上』……流氷の上に置き去りにされる子どもの役でしたね」
「はい。あの時は怖かったです」
くすっと修一は笑みを漏らした。
繰り返される質問だが、甦る気持ちは変わらない。役者なんて意識もなくて、なぜあのとき父親が修一をロケに連れていこうと思い立ったのか、今もまだ知らないままだが、わけもわからず流氷の上に乗せられ泣きそうになった表情が、準備していたどの子役よりもカメラ写りがよかった。
それから、修一は次々と映画に引っ張り出されることになった。
「それからずっと、でしたわね」
「はい……と言っても、半分以上、父母と一緒でしたから」
美華のことばに修一は軽く頷いた。
「お父様は友樹陽一さん、日本アカデミー賞主演男優賞を受賞された方ですね?」
「はい。『帰らぬ我が子』で頂きました」
「非行に走っていく子どもを必死に抱きとめようとする、穏やかだけど力強い父親の役でした、あ、出ましたね」
再び納屋の目がモニターに向かった。
修一は瞬時ためらった。
(穏やかだけど力強い父親)
確かに友樹陽一を語られる時に、必ずそのイメージがあげられる。
(けど)
そちらを見つめ、垣が激しい憧れを目に浮かべて父を見ているのに、妙に虚ろな気持ちになる。表情も一瞬翳ったかも知れないが、もちろん、カメラに映っていない時だ。
モニターの中で、聡明そうな父親が息子の腕を掴んでいる。親子で激しく言い争っていたが、息子役の少年がナイフを取り出すのにはっとした表情になり、突っ込んでくる息子にきっと歯を食いしばった。そのまま避けずに、ナイフを構えた息子を両手を広げて抱き締めるシーンに移る。ぐっとナイフが父親の腹に突き刺さり、息子が驚愕の表情で父親を見上げる場面でモニターが切り替わる。
「この父親像は、この年の教育界に大きな影響を与えましたね」
ほう、と垣が感嘆の吐息を漏らすのを、修一は冷ややかに眺める。
「お母様もまた日本アカデミー賞の主演女優賞を受賞された、友樹雅子さんです」
美華が笑いかけてくるのに、さも嬉しそうに頷いてみせる。納屋が再び資料を繰った。
「『夜の河』の主役、勝ち気で華やかなホステスの役でしたね?」
「はい」
(勝ち気で華やかな)
陽一とは反対に、そのことばは雅子を見事に表している。
モニターは『夜の河』の一場面を映した。
大柄の、けれど決して大味ではない女が正面に脚を組んで座っている。滑らかな脚にはパールの混じったストッキング、それでも吸い込まれるような奥の翳りに目を奪われない男の方が少ないだろう。言い寄りかけた男を平手打ちで跪かせると、体に張りつくような薄いサテンドレスにミンクのコートを肩から軽く引っ掛けてターン、細いピンヒールを高く鳴らして画面から消えて行く。
「そうすると、今度の作品は…」
我に返ったように納屋が修一を振り返った。
本当はもう少し続きを見たかったと納屋の目が伝えている。この後、雅子演じるホステスが、仲間に陥れられて男に無理矢理抱かれ続ける場面に繋がっているのを、視聴者はもちろん、修一もよく知っている。
雅子に奪われかけている意識を取り戻すのが腕のみせどころか。
「僕個人の映画としては初めてのシリーズということになります」
ちょっと頼りなげに笑ってみせた。ぱちぱちと指先を弾く。もちろん、修一にはそんな癖はない。だから納屋がおや、という顔で指先に目をやってくれる。有難いことだ。
「振り返っても演技を導いてくれる人がいないわけですから」
それは嘘だ。今まで父母が演技をつけてくれたことなど、一度もない。
「じゃあ、プレッシャーは大変なものですね」
納屋がどこか嬉しそうに笑みを広げた。他人の不幸は蜜の味か。
「そうですね」
修一は少し目を伏せた。視界の端にポカンとこちらを見ている垣の姿が映っているのに、思わず唇を綻ばせる。
「でも、役をやる以上、常に何かのプレッシャーはありますから」
胸を張り、頑張っている二世役者、の顔を作る。