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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
4.シーン119

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3

(だい、じょうぶ)

 ここには垣が居る。

「『ると』」

 思いついて、修一はぬいぐるみを探し、毛布の上にちょこんと座っているのに、なおほっとした。『ると』が居る場所は、修一が演技しなくていい場所だ。どう振舞うかを考えなくていい場所だ。『ると』は、行き場のない、どこに向けようもない気持ちを唯一受け止めてくれる出口の印だ。

「……駄目だな」

 宮田の声に、修一はそちらを見た。難しい表情で受話器を置き、振り返り、首を振った。

「おとうさんの方は仕事がどうしても抜けられないそうだ。よろしく頼むとのことだよ」

「そんな」

 垣が不満そうに顔をしかめる。

「子どもが事故に、いや、誰かに殺されそうになったんだぞ!」

「そうは言ったんだが」

 宮田は少し肩を竦めて見せた。

「それから、おかあさんの方は今ちょっと居所が掴めないそうだ。わかり次第、連絡をすると言われたよ」

「そう、ですか」

 修一は頷いた。

 何となく、そうじゃないかと思ってたんだ、と続けそうになって無難に微笑む。

「信じられないな、あの友樹夫妻が一人息子の事故に帰ってこないなんて」

 不審気に呟く垣に、宮田がにやりとシニカルな笑みを浮かべたが、時計を見やって唐突に宣言した。

「あ、俺、署に帰る」

「え、おい」

 垣は思わず修一と宮田を見比べる。

「帰るって……何か用事か?」

「ちょっと調べたい事が出て来た」

 垣の思惑お構いなし、宮田はすたすたとドアへ歩み寄る。

「しかし、なあ…」

 垣は宮田と修一を交互に見やる。

「友樹君を1人置いておくのは…」

 心配そうな瞳を向けられて、修一の胸でかつり、と何かが弾ける。気がついた時には呼びかけていた。

「泊まって行ってよ、垣さん」

「いや、その」

「僕、今日1人で居たくないんだ」

 本当かどうか、それこそ『ほんとのところ』は自分にもわからない。けれど。

(側に居てよ)

 甦ったのは鮮烈な不安、投げ出され転がった路上の冷たさが、間近を通り過ぎた死の気配と重なって、体が強張り震えた。

「垣さん…」

 ホットミルクのカップを置いたのは演技ではない。冷えた指先から力が抜けて、本当に落としそうになったのだ。懇願を込めて垣を見上げる。

 誰に、どうしてか、はわからないが、命を狙われたのは確かだ。今夜にでも、もう一度、無事に切り抜けた修一が1人になったのをいいことに、とどめをさしに来るかもしれない。

 見慣れた部屋の影、ベランダの外の闇、濃く澱む空気のそこここに何かの気配が潜んでいる気がする。とぐろを巻いて薄笑いを浮かべた『何か』が、修一が背中を向けた瞬間に大口を開いて飛びかかってきそうな気がする。

 けれど、垣はその恐怖に気づいてくれない。戸惑った顔、僅かに背けた体はここに居る必要がない、そう伝えてくる。

「垣…さん…」

 引き止め切れない。修一には、今何もない。

(だって、親だって見捨てる子ども、だもん)

 泣き出しそうになって、修一は慌てて瞬きして唾を呑み込んだ。

 垣の目が探るように修一を値踏みしている。垣がここに居ることで新たな危険に巻き込まれるかも知れない。自分の命を賭けるに価するか? そういう顔でじっと自分を見つめる垣に、修一はどんな顔をすればいいのかわからなくなる。

 この、友樹修一が。

 やがて、垣が宮田を振り返った。

「宮田」

「ん?」

「オレ、今夜はここに居るよ。ちょっと友樹君を1人で置いておくわけにはいかないみたいだ」

「そっか」

 宮田は軽く頷き、

「ま、気をつけろよ。……い、ろ、い、ろ、とな。啼かすなよ」

 にやりと妙に嫌らしい笑みを広げて、宮田は飄々と出て行った。

「…あンのクソ野郎」

 何考えてやがんだ、とぼやいた垣が、再び目の前に腰を降ろす。静まり返った部屋、部屋の隅の影の位置も大きさも変わっていないのに、垣1人の存在で急に温もりが増え、広がろうとしていた冷たい気配が体を縮めたような気がして、修一はほう、と安堵の吐息をついた。

(大丈夫)

 身体中の力が一気に抜けてくる。疲労感が手足の先から包み込んでくる。ソファに深々と身を沈めながら、修一はもう一度思う。

(垣さんが居るんだから、もう大丈夫)

 柔らかな眠りが忍び寄りつつあった。落ちる瞼に抵抗できない。

 眠りに陥る寸前、垣と宮田のやりとりが脳裏を掠めて、修一もまた、垣とそんな風に憎まれ口を叩きあいながらも信頼の見える関係を作れれば、どんなにいいだろう、とぼんやり考える。

(僕は垣さんのドジに笑ったり、垣さんは僕の『ると』のことなんかをからかったりする……けれど2人とも知ってる、それが本音じゃないって……)

 どんなにいいだろう、そういう、ちょっとすましたひねくれた付き合いって。

(きっと楽しくて……毎日が……楽しくて…)

 修一はことばをころころと心の中で転がした。

 思わず知らず微笑んだ唇を軽く開いて、修一は夢の中に入り込んでいった。


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