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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
3.シーン306

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23/67

4

「せっかく時間が空いたのにさ」

 紅茶を一気に飲み干し、ソファにもたれる。

「2人とも用事があるんだってさ、『ると』」

 1人になって無意識に気が緩んだのか、思わずふわわわあ、と欠伸を漏らした。

 昨日は結局3時間しか眠っていない。滅多にかかることのないいたずら電話に時間を取られたのだ。さっさと切ってしまえばよかったのに、何となくずるずると相手をしてしまい、半分寝落ちるような感じで終らせた気がする。

「あ…それを佐野さんに言うの、忘れた」

 2人が出て行って数分経っている。ドアを振り返ったが、とっくに1階エントランスは出ているだろう。もう1回セキュリティを解除してまで呼び戻すほどのことでもないかと思い直し、修一は伸びをした。

「……なんか、眠るの、もったいないな」

 眠い気もするけど、これだけの自由時間は最近ほとんどない。いつも次の仕事のためにばかり備えて、こんなにぽっかり空いた時間などなかった。

「そう思うだろ、『ると』。皆、まだ起きてるんだし」

 窓に近寄って夜景に変わりつつある街を眺め、見下ろして街路樹の下の道路を歩き続ける人々を眺めた。

 心なしか、皆はしゃいでいるように見える。仕事からようやく解放された、そんな浮き立つ気持ちが透けるような、数人でふざけ合いながら歩くものもいる。これからどこへ行くのだろう。カラオケか居酒屋か、誰かの部屋か。

「楽しそう…だな」

 修一だって、この業界に入ってなければ、今頃は学校の友人達とじゃれ合いながら、近くのコンビニやファミレスに入り、新しく出たゲームや今夜のTVやネットの話で賑やかに過ごしていただろう。明日の学校は鬱陶しいが、今日の学校はもう終った。今は何にも縛られない。自由な時間を楽しんでいたはずだ。

「『ると』」

 振り返らぬまま、修一はソファのぬいぐるみに呼びかけた。

「垣さんって、どこに住んでるんだろ」

 お前、知ってる?

 振り向き、戻ってきて、ソファにひっくり返る。天井のシャンデリアは眩くきらきら光りながら、瞳に光を飛び込ませてくる。

「監督に聞けばわかるかな」

 窓の外は次第に暗くなってくる。明るい室内が窓ガラスに映って浮かび上がる、まるで世界にはこの部屋しか存在しないみたいに。

 よく見知ったその光景を見ないように、修一はシャンデリアを見上げ続けた。

「DVDデッキ、ないんだって。演技がうまくなんないはずだよね、自分の演技確認できないんだしさ……そうだ、『ると』」

 閃いた考えにむくりと体を起こした。

「垣さん呼んでさ、ここでDVD見ようか。遅くなるなら、この前みたいに泊まってもらえばいいんだし」

 どうせ明日も撮影だ。同じ所へ出勤するのだ。ついでに一緒に佐野か高野に送ってもらえばいい。

 『ると』はぱっちりとした眼で修一を見上げているだけだ。

「うん、そうしよ」

 修一は部屋の電話の受話器を取り上げた。

「あ……もしもし…はい、友樹修一です。はい……はい……あ、伊勢監督に………あ、監督、修一です。はい…ありがとうございます。またよろしくご指導お願いします……いえ、実は垣さんに連絡を取りたくて……は? まさか……あ…じゃあ、住所でいいです……はい……はい」

 聞き取った内容を素早くメモする。やがて通話を終えてくるりと振り向いた修一は、芝居がかった呆れ顔で、指先に挟んだメモを『ると』に向かってひらひらさせた。

「信じられないよ、『ると』。垣さんのところ、電話がないんだって。ケータイも今電池切れらしいってさ。直接行くしかないよ」

 脱ぎ捨てたジャケットを羽織ろうとした矢先、激しい勢いでドアが開いてぎょっとした。

「お、かあさん…?」

 飛び込んできたのは、目鼻立ちのはっきりした女性だった。そう、かなり情熱的な美しい女性、女優、友樹雅子。そういう認識しか修一には湧かない、実の母親だと言うのに。

 相手もそうだったのだろう、部屋のインテリアにちらりと一瞥をくれた、その程度の視線を投げ、すぐに何か気がかりなことを思い出したのか、ドアをきちんと閉めた後、無言でソファの毛布を払い落として座る。

 毎晩自分を温めてくれているそれが、ぐしゃりとゴミのように彼女の足下に落とされるのを眺め、修一は羽織りかけたジャケットを脱いだ。一瞬の戸惑いは胸の奥に押し込める。これもまた一つの演技と考えれば、動作は途切れることなく滑らかに続く。

 母親の正面に腰を降ろし、小首を傾げて問いかけた。

「どうしたの、おかあさん」

「…」

 相手は答えず、苛ついた仕草でセカンドバッグから煙草を取り出した。金と黒の細身のライターを取り出す時に、何かが絨毯の上に落ちたような気がしたが、雅子は気づかない。

「…紅茶、飲む?」

「いらないわ」

 断るとは思ったが、つっけんどんな口調で雅子は修一の問いを撥ねつけた。そのまま苛々と煙草に火を点け、慌ただしく吸い始める。膝を上下に揺する仕草は何かに集中しようとしてしかねている癖だ。

(今は『炎の女』の録画撮りじゃなかったっけ)

 雅子は時計を気にする様子はない。赤い唇に咥えた煙草を命綱のように忙しく吸い続ける。目の辺りに薄黒い隈があり、乱れた髪に片手を差し入れた表情は、いつもの華やかさを幾分欠けさせている。

(珍しいな)

 たとえ修一の前であっても、雅子は勝ち気で激しい『女』の姿を崩すことはない。いつも圧倒的な勝者であること、それが彼女の信条だ。華やかで派手で鮮やかで。大輪の薔薇の花束に例えられるそのキャラクターは、実生活でも健在だ。なのに、今日は気怠げで、仕事の疲れではない、どこか老けた印象がある。

「…仕事、どうしたの」

「どうでもいいでしょう」

 今度も雅子は修一のことばを叩き落とした。

「ちょっとばかり仕事をしてるからって、親にそういう尋ね方をするもんじゃないわ」

「あ…うん」

(親、ね)

 便利なことばだと思う。『親』と口にするだけで、産んだ以外の何かをしてくれたような気がする。もちろん、世の見識者は『産んでもらったことがありがたいんだ』と言うのだろうが、それが『自分のため』ではないという保証などない。

 それにしても。

(何があったんだろう)

 修一はそっと雅子を透かし見る。


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