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周一郎舞台裏 〜猫たちの時間5〜  作者: segakiyui
3.シーン306

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3

「たーだいまっ、と」

 足取り軽くドアを開けて、修一はマンションの部屋に戻ってきた。

「今日は早く終って良かったですね」

 高野が背中から声をかけながら、続いて入ってくる。

「うん! ほら、まだ夕方だよ!」

 ぽん、とソファに飛び乗りながら、修一は上機嫌で答えた。

「何にします? 紅茶ですか? コーヒーですか……それともホットミルクですか?」

 いつものように几帳面に高野が尋ねる。

「何でもいいよ」

 それほど喉も乾いていないし、これといって飲みたいものもない。だから何でもいいや、そんな程度に気軽く応じた。

「『ると』っ、ただいまっ」

 ひょいとぬいぐるみの首ねっこを摘んで持ち上げ、その鼻面に自分の鼻を押しつけた修一は、動きのない、いやそれどころか、答えのない高野の方を訝しく見やった。

 うろたえるかと思った高野は、世にも奇妙な表情でこちらを見返してくる。

「……どうしたの?」

「あ…あの…」

 複雑な表情、引き攣っているのか驚いているのか、まるで鼻先で風船が割れた子犬のように、ぴん、と体を張って止まっている。こういうのを何て言うんだっけ、と修一は一瞬視線を泳がせて考える。

 うん、『鳩が豆鉄砲を食らったような』、か。

(豆鉄砲って何だったっけ?)

 違う方向へ思考を外しかけた修一の注意を引きつけるように、高野が口を開く。

「あの、何でもいいって」

「うん、何でもいいけど」

 おかしなこと言ったかな? ちゃんとした日本語だよね?

「変な高野さん」

 思わずくすりと笑うと、相手はなおさら奇妙な顔になった。

「あの…」

 何度か唾を呑み込み、ようよう高野はことばを絞り出した。

「何か、言って下さい」

「は?」

「その…」

 もじもじと不安そうに体を動かす。

「何でもいいって言われると、逆に困って…」

「ああ、そうか、うん、そうだよね」

 ようやく腑に落ちた。命令に慣れているから、命令されないと動けなくなるってわけ。

 準備しやすい好きなものを選べばいいのに、と思いながら、修一は思わずくくくっ、と喉の奥で笑ってしまった。

「じゃ、紅茶」

「はい! 紅茶ですね!」

 ほっとした顔で、いそいそと高野がダイニング・ルームに駆け込んでいく。

 やれやれ。

「佐野さん」

 修一は『ると』を抱きかかえながら、背後を振り向いた。

「はい」

 二人のやりとりをじっと見守っていたらしい、佐野のひんやりとした黒い瞳にぶつかった。

「明日のスケジュールは?」

「映画撮りがメインです。休憩の間はCDとDVDと色紙にサインを」

「いいよ、何枚?」

 再び『ると』を覗き込む。

「各500枚ほど。販売促進用ですので、それほど数は不要です」

 全国のショップにばらまく予定ですが、小さな店には置きませんし。

「各500枚、ね…」

 さすがにちょっと溜め息が出た。

(それって休憩なしってことだよな)

 脳裏を横切ったのは、撮影の合間に細かな仕事を言いつけられている垣の姿。役者だけじゃ食っていけないからな、とスタッフに苦笑いしていた横顔を思い出して、微笑んだ。

「でもいいや、出来なくはない。ね、『ると』」

(だって、垣さんだって役者の合間にスタッフの仕事をしてるんだし)

 修一がサインをするCDやDVDや色紙が、映画の人気の後押しをしてくれたりファン層を広げてくれるなら、それは垣にとっても嬉しいことだろうし。

(少しは頑張ったなって言ってくれるかな)

 『ると』のガラス玉の瞳は肯定するように修一を見上げてくる。

「紅茶、入りました」

 高野が盆にティーカップを載せて戻ってきた。

「ありがとう」

 修一がかけたことばに、高野はがちん、と置きかけたカップをテーブルにぶつけた。

「あ、す、すみませんっ」

(何慌ててんだろ)

 不思議に思いつつも、

「高野さんや佐野さんも飲んだら?」

 また一瞬高野の動きが止まり、けれど今度はすぐに動き出して、何か佐野と意味ありげな目配せを交わした。

「残念ですが」

 佐野が淡々といつもの口調で応答する。

「私はまだ仕事が残っていますので」

「仕事?」

 修一はきょとんとした。佐野が修一が上がってからも仕事を残すのは珍しい。ふと気づいて尋ねてみる。

「……おとうさんの?」

「ええ、まあ」

 佐野はことばを濁した。これもまた珍しい。けれど、そう思ったのは一瞬、修一はすぐに高野を振り向く。

「高野さんは?」

「あ、と…今日は駄目なんです、すみません、修一さん」

「ふうん…」

「では、これで失礼します」「次、お付き合いしますから」

「うん」

 佐野に引き続き、そそくさと高野も部屋を出て行ったのを見送り、修一は小さく吐息をついた。


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