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「垣さん…」
「ん?」
「今日、泊まっていったら」
気づくとそう誘っていた。
「もう最終、ないよ」
「え、ええっ、あっ、もう1時か…」
驚いた垣は茫然とし、時計を確認して憮然とする。そんなに時間たってたか。いつの間にだ、そうぼやきながら、ふいにはっとしたように修一を振り向く。
「あ、けど、友樹さん達は」
へたに入り込んでたら迷惑だよな、けどやっぱ随分遅いんだな、とわたわたしつつ、その一方で会えることを期待しているような顔で玄関の方を振り返る垣に苦笑する。
「おとうさん達は、ほとんどここに住んでないんだ」
「へ?」
「僕、大抵1人だし」
「あの…?」
訝しげにきょろきょろと周囲を見回す。
ああ、ひょっとして数年前の『お宅訪問』記事を読んだりしてるのかな、と修一は苦笑を深める。あれは確かにこのマンションだったし、一家団欒の気配も演出されてたし、寝室やプライベートルームにも父親や母親の個人的なものが結構持ち込まれていたけれど。
(そんなわけ、ないじゃん)
双方とも売れっ子の役者ならば、日常生活の時間をひねり出すのは至難の技、ましてや母親が料理したり、父親が趣味の本を開きながら穏やかにコーヒータイム、なんて時間が存在するわけもない。
「1人…?」
垣の視線がソファに乗っている毛布、そこに座らされていた『ると』を眺め、ようやく周囲に全く人の気配がないのに気づいた顔で呟いた。
「1人で、『ここ』で寝てる、のか」
「あ、あのさ」
ふいに不安になった。こんなソファで寝るとか、この後ずっと修一に付き合わされるとか考えてるだろうか。
「ちゃんと寝室で寝てもらっていいから。僕はここでいいし、寝室は使わないから」
「………」
垣は不思議な表情で修一を見やった。少し考える。
「じゃ、そうしようか」
寝室はどっち、と聞かれたから、あっち、と指差す。立ち上がってすたすたと部屋を出て行く垣の後ろ姿、もう寝るつもりなのかなと思い、何だかふいと、自分とそれほど一緒に居たくないのかと思って。
(ちぇ……ちぇ…?)
唇を尖らせかけた自分に気づいてぎょっとした。
(何で?)
その疑問を突き詰める前に、垣が寝室から戻ってくる。なぜか布団を抱えている。
「垣さん?」
きょとんとして首を傾げると、相手はにちゃ、と笑った。
「オレもこっちで寝る。見て来たけど、ああいう立派な寝室ってのは、寝た気にならねえよ。構わねえよな?」
「あ、うん」
(一緒に寝てくれるんだ)
無造作になれた様子で布団にくるまり、ごろりと絨毯の上に横になる垣見て、何だかひどくほっとした。
「電気、消すね」
「ああ」
「明日目覚まし鳴るから」
「わかった」
「オヤスミナサイ」
口に出したことばが、妙に空々しくて浮ついていて、現実のことばなのに芝居の台詞のように空回りしていて、修一は戸惑う。
「おやすみ」
眠たげな垣の声に応じて灯を消す。部屋の隅の小さな灯だけが残る室内、いつもならぴりぴりきりきりとしてなかなか眠れないのに、ソファに戻るあたりで、もうふわふわと眠い感じがしてきた。
「……おやすみ、なさい」
今度はちょっと『人のことば』になった気がする。
既に垣は寝息をたてている。気持ち良さそうな、くったりと警戒心一つない呼吸が繰り返されるのが、波音のように遠くなり近くなり。
(おやすみなさい……垣さん)
胸の中で呟いたことばが、今まで聞いたことがないほど明るく澄んでいて、その響きに聞き惚れながら、修一は優しい眠りに落ちていった。




