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『修一君!』
「っ」
さすがにびくっと体を強張らせた。うっかりしてた、完全に飛んでた。
『「レスト・タイム」がコメントを欲しがってるそうだ』
ガラスの向こうの顔がうんざりしている。
『休憩代わりにコメントをやっつけて、その後、3番をレコーディングしよう』
「はい」
ヘッドホンを外し、修一は部屋を出た。
(で、その『休憩代わりにやっつけたコメント』に『感動』したり『感心』したりする『読者』とか『ファン』もいるわけだよね)
胸の奥で寒い声が響く。
すぐ外の廊下に、どこにでもいそうな男が立っていて、修一を見ると、子どもに向けるには深すぎるお辞儀をして見せた。
「『レスト・タイム』の三条良紀です、どうぞよろしく」
「こちらこそ」
差し出された名刺の表面に視線を走らせ、修一はすぐに目を上げてにっこり笑った。眉を下げる、目を細める、思わず零れたという気配で広がる微笑に抵抗できた人間はいない。
「すみません、お忙しいところ」
一瞬戸惑った顔の相手がすぐに笑み返す。細くなった目が、何だこいつ、意外に無邪気でいい奴じゃんか、そう呟いている。
「あそこのソファで構いませんか?」
すぐにまた、戻らなくちゃならなくて。
修一はちょっと困り顔で背後の扉を振り返り、小首を傾げて、少し先に置かれてある小さなソファを指差す。レコーディング終了を出待ちして取材をする連中が陣取る場所、座り心地が良くないのも長居して欲しくないからだ。そんなことはおくびにも出さず、修一はいそいそとソファに歩み寄り、ちょっとだけ三条が追いつくのを待つ。
「ええ、大丈夫です」
三条はボイスレコーダーの準備に忙しく、修一の唇に浮かんだ微笑みを見逃す。修一より先にソファに腰を降ろし、続いて修一が座るのに満足げにボイスレコーダーのスイッチを入れ、メモを取り出す。まさか、自分が修一に誘導されて入り口に背中を向けるように座らされたとは全く気づかないままに。
「『レスト・タイム』三条。友樹修一さんにインタヴュー。……はい、早速ですが、今撮っておられる映画は『月下魔術師』でしたね。どういう映画でしょう?」
愚問だよね、これがまた。
胸の冷笑は秘めておく。
どんな映画かわからずにインタヴューするなんて、時間の無駄だ。貴重な時間を映画解説に使わせるようなヘマ、帰ったらデスクに詰られるだろう。それとも、わざわざ雑誌名をレコーダーに入れたところを見ると、この男も実のところはフリーのライターなのかも知れない。
「そうですね…一口で言えば、今までの周一郎シリーズの転換点と言えると思います」
「転換点?」
「はい。今まで周一郎という人間は、他の誰をも、自分の心を開く相手とは見なかったんですね。ところが、『滝志郎』と言う、よく言えばこだわりのないおおらかなお人好しの接近によって、少しずつ変わっていく。人に向かって心を開いてゆくわけですが、今度の作品では、周一郎は初めて、滝の心の中で自分がどういう位置を占めているのか、どういう存在なのかを知りたがるわけです。自分が本当に、滝の友人として認められているのかどうかを、確かめにかかるというわけです」
「なるほど。では、友樹さんは、周一郎という少年…まあ、今の友樹さんより年上という設定ですが、そういう少年については、どのように思われますか?」
「そうですね……ひどく寂しい人間、という印象を受けました」
考え込む顔の後で、小さく笑って見せる。生意気ですか、と無意識に尋ねてくるように思われるだろうと計算済みだ。
「だって、あ、僕、原作を一通り読んだんですが、滝さんと言うのは、実に『いい人』なんですよね。その、ごく当たり前の人間なんだけど、お人好しの度が過ぎると言うか、閉じこもっている人間に手を差し伸べずにいられなくなる人です。それなのに、周一郎は意地を張っていて、なかなか滝さんを振り返らない。周一郎は18歳で、世知に長けた人間という設定ですが、人間同士の真摯な付き合いという事に関しては、妙に屈折した幼い感情を持っているみたいです」
「…なるほど…」
三条は感服したように大きく頷いた。
今すらすらと並んだ修一のことばが、真実彼の心から出たと思っているようだ。
もちろん、それは事実ではない。
修一は周一郎の心情を想像しただけで、理解しようとしたわけではない。半分以上は、こんな風に応えれば、『ファン』は修一が違和感を感じながら演じている周一郎に興味を抱くだろう、それは一体どういう少年なのか、どういう話なのかと興味を持つと言うもくろみだ。そしてまた、ファンでない『読者』は、理解困難な人格を演じようとする『名子役』がどのように演じるのかと、作品とは違う興味をかき立ててくれることだろう、そうも考えている。
どちらでもいいのだ、映画に群がってくれさえすれば。
(助けが欲しいなら、そう言えばいい。滝の気持ちを知るのに迷ってなんかいないで、まっすぐ聞けばいい)
修一は実のところ、周一郎に対してそう思っている。
修一の周囲に居るような人間達とは違って、滝ならきちんと応えてくれるだろう、それこそ、真実の誠意を満たして。なのに、それができない周一郎は、正直不愉快だし、どんなに悲劇を気取ろうとも、甘えているとしか思えない。
そういう気持ちが心の底辺にあって、どうしても最後の一線で周一郎になり切れないが、父を見習えば、なり切らなくても役は演じられる、それが才能というものだ。
「それでは、滝役を演じている、垣かおるさんについては、どう思われていますか」
「そうですね」
脳裏にのほほんとした垣の顔が思い浮かんだ。
「滝さんのドジさとか、お人好し加減は、うまく演じて下さってると思います」
それに、すぐこけるという特技もあるしね。
それを見抜いて抜擢した自分の才能に口許が綻ぶ。




