4
『修一君、行くよ!』
声に顔を上げる。ガラスの向こうで、スタッフが親指を立てて合図する。頷いて修一は呼吸を整える。
今度の『月下魔術師』の主題歌『ロード・オン・ロード』のレコーディングは順調だった。口パク中心、そのことへの罪悪感さえ持たないアイドルにうんざりしていたスタッフは、修一がきちんと歌い込んでくることに喜び、感心してくれる。
『君ぐらい声が訓練されてると、ミキシングに胸が傷まないよ』
ミキサーの笑顔に、修一は人なつっこく笑い返す。
「そりゃ、しっかりしごかれたからね、父親に」
『なるほどな、さすがだ、修一君!』
ふっと修一は淡い笑みを浮かべて譜面に目を落とす。前奏が始まり、口を開く。
「出会いはいつでも
半分は運命の偶然、残りは神様のいたずらさ…」
歌いながら思い返す。
朝、いかにも子どもの成長を楽しみにしているといった様子でやってきた、友樹陽一の姿……。
「どうだ、調子は」
軽い演技指導の後、休憩に入って、陽一は修一に話しかけてきた。TV画面の中でよく見る、穏やかで温かい笑みを整った顔立ちに広げ、じっと修一を見つめている。それが商業用のものであるということ、修一のためと言うよりは、彼らの間近で回り続けるカメラや乾いた音をたてて落ちるシャッターのためであることは、誰よりも修一が熟知している。
「うん、まあまあだよ」
にこりと笑み返して修一は応えた。椅子に腰掛けている彼を、椅子の背に手を置いて、陽一は静かに見下ろし、続ける。
「映画も単独で、シリーズ3作目だな」
「うん、おとうさんには負けないからね」
「こいつ…」
渋い笑みを浮かべて、コン、と陽一は修一の額を小突いた。親しみのある友人同士のような父親の仕草だ。
「でも、この周一郎っていうのは、ユニークな役でしょ」
「そうだな。年齢的に4歳年上だし、そのうえ、ひどく頭が切れる少年という役どころだが……大丈夫か?」
少し不安そうな表情を陽一は作る。
「大丈夫だよぉ」
修一が、どことなく甘えた口調を返すのも計算の上、それは陽一も知ったこと。
「自信だけで、役はこなせんぞ」
若さの持つ無謀さを受け止めるような穏やかな笑みに、修一は薄く嗤う。
(そんな顔したって、何を考えてるか、お見通しだよ、おとうさん)
「最近、何となく、わかるんだ」
含みを持たせて、ちらりと上目遣いをすれば、陽一はすぐに乗ってくる。
「何がわかる」
離れている息子の心情を心配する年上の男。
「周一郎の気持ち……っていうか、心の動きが」
ことばの先を読み込んだように、ぎらりと光った目の意味も、修一はようく知っている。脅すようなその視線、以前に十二分に思い知らされている。
『莫迦な事を言って、人々の期待を裏切るんじゃない』
冷ややかな声。
もう2年ほど前になる。
修一が延々と続く仮面舞踏会にいい加減嫌気がさして、一度だけ、記者達の前で陽一に逆らったことがあった。その場は陽一の卓越した演技力とタイミングをはかる呼吸のうまさで、ちょうど体調を崩していた雅子の事で、修一が心配のあまり苛ついていた、そういう流れでおさまった。
夜、陽一は珍しく修一のマンションを訪れた。昼間の事を半分以上忘れて彼を迎えた修一を、陽一はまるで側に寄った小バエを叩き落とすように平手で頬を打った。
『次から、ああいう莫迦は許さん』
口の中が切れて、あっという間に唇から溢れた血に茫然とする修一に、くるりと背中を向けた陽一は淡々と命じた。
『明日の仕事にさしさわることがないように、手当てしておけ。お前の失敗は私の名誉に傷をつける』
『修一さん!』
部屋に入ったとたんに見つけた修羅場に、真っ青になって駆け寄ってきた高野、それでも振り向くこともなく、陽一は修一を置き去って出て行った。
自分は、父親の人形なのだ。
修一はそう理解した。
著名な役者の両親を持つ、才能豊かな役者の卵。父に認められることを望んで頑張り、まっすぐに明るく生きる息子。
そういう『役柄』を演じる限り、修一は『生きていていい』のだ。
「……そうか」
静かな声が応じて、修一は我に返った。
「それはいいことだ」
陽一の目が光ったのは一瞬だった。すぐに父親の思いやりをたたえた目に戻り、満足そうに頷いてことばを継ぐ。
「役の気持ちがわかるようになったとは……そろそろ、お前も一人前だな」
口にした台詞が、この『対談』を読んだ人々に、子どもに厳しくしようとしながら、それでもどうしても甘くなりがちな、人情味溢れる親の像としてアピールするのを、陽一は計算している。
「へへっ」
くすぐったそうに笑ってみせる。褒めて欲しい相手に褒められて、少し自分を信じてやれそうな気持ちになって、そういう風に気持ちを通わせる親子関係を、修一は見事に演じてみせる。
その視界に、相も変わらず陽一を崇拝せんばかりの表情で見つめている垣が飛び込んでくる。
「は、ははっ」
今度は本気の笑い、しかも明らかな嘲笑、だが、その響きを聞き取ったのはきっと皮肉なことに、目の前の陽一だけだっただろう。
(垣さんも、おとうさんの外面にごまかされてる)
けど、それが当たり前なんだ。
(だって、役者、だもの)
父は温厚で穏やかな理想の大人、母は派手だが美しく魅惑的、食べ物にも寝床にも、金にも才能の発露にさえも困ることのない満ち足りた生活、わずか14歳で映画界のスター、友樹修一。しかも、ただの容姿のいいアイドルに終わることもなく、今や実力派の名子役としての評価があり、名声があり、地位があり……。
孤独を訴えるのは贅沢だろうか。
それとも多くを手に入れた当然の代償、修一の胸の傷みはただの甘え、でしかないのだろうか。
(じゃあ、どうしてこれほど…寂しい?)
まるで寄る辺のない海を漂う小舟のようだ。嵐が来て、一人必死に踏ん張って堪えても、誰に安堵されることも認められることもなく、浮かぼうと沈もうと、そんなものは誰の何にも関係がない。修一が居なくとも、『映画』は困らないし、ファンもすぐに新しい偶像を見つけ出すだろう。
(生きてても、死んでても、誰も気づかない)
今こうして明るく笑う修一は、既にゾンビ一歩手前なのに、誰も気づかない、不愉快がることさえない。ひょっとすると、本当に修一が死んでしまっていても、今まで撮り溜めた画像やデータを繰り返し流しておくだけで、数ヶ月、いや数年持ちこたえてしまうんじゃないか。
(なら、生きてる意味なんて、ないよね?)
DVD数枚に納められてしまう、人生。




