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ノロイノマジリ  作者: 藤峰男
3/3

2.イツカノキオク

 キャメルは、キャメル・メリッサは既に帰らぬものとなっていた。裏路地に入って数分歩いた場所、開けたところの片隅に、彼女はまるでごみのように転がっていた。

 腹部を貫かれたのか、辺りにはおびただしい量の血痕。そして点々と、滴る地はそのさらに奥へと続いていた。

 悪魔はバカではないが、傲慢だ。まさか自分に敵うものが追手となるとは考えもしない。つけられたなら、殺すだけ。悪魔とはそういう怪異なのだ。

 

「もう少し俺が早ければ……」

 

 トゥームレイダーは建物の隙間からわずかに見える空を仰いだ。日光に弱い『悪魔』が毛嫌いする、雲ひとつない空だ。白昼の惨劇を彼は予想していなかった。すべては怪異を甘く見て、余裕をかましていた自分の責任だ。

 トゥームレイダーは人一倍責任感の強い男だった。だからこそ、彼は普段の飄々とした態度からは想像もできない禍々しい瞳で、裏路地を進んだ。

 


 ◆ ◆ ◆

 

 

 カストアドと出会った日のことをトゥームレイダーは今でも鮮明に覚えている。大陸を滅ぼしたあと、彼は深い眠りについた。それは動物でいうところの冬眠と似たようなものだが、彼の場合その期間は500年にも及んだ。

 彼が眠る場所から半径1キロほどは、生物が繁殖し始め大陸が息を吹き替えしたあとも枯れ果てた木と汚染された水、それから動物の骨しかなく、人々からは死の森と呼ばれ恐れられていた。財宝が隠されている、神聖な何かが眠っていると立ち入った勇敢な人間は、2度と戻ってはこられなかった。

 死の森はすべての生物をトゥームレイダーの『呪い』に侵し、彼の糧に変えた。だがその『呪い』が一切通じない人間がいた。それが聖職である巫女を務める、カストアド・リフランである。

 

 異変を察したトゥームレイダーが500年ぶりに目を覚ましたとき、彼女は既に彼の目の前に立っていた。トゥームレイダーは自らの死を悟ると、鋭い歯の並んだ口をニヤリと歪め笑った。

 彼ほど好戦的な(マジリ)はそういないが、そんな彼が諦めるほどにカストアドは強い光を放っていた。

 それからカストアドは何かを呟く。死の森に吹き込む場違いに爽やかな風に拐われたその言葉を、トゥームレイダーは今も知らない。

 

 トゥームレイダーが次に目覚めたのは、シューガ神社の畳の上だった。

 彼は彼の持つ『呪い』の半分を封印され、もう半分の内のほとんどをカストアドの管理下におかれ、そして生き長らえていた。

 今の彼は常に体が朽ち腐っている状態だ。それを食い止めるだけの力は彼には残っていない。かつて大陸を滅ぼしたトゥームレイダーという『呪い』の(マジリ)は、もはやカストアドなしでは生きていけないのである。

 トゥームレイダーはすっかり変わってしまった。残されたわずかな『呪い』でカストアドを支え、怪異に怯える人々を守る。そうして彼は、この平凡な日常に幸福を得るのである。

 

 

 

「ふん、次から次へと命知らずが湧いてきやがる」

 

 魔人の1人がそう言い、血に濡れた剣を弄ぶ。裏路地をしばらく進み、ちょうど開けた場所に魔人たちはいた。数は12、群れをなす『悪魔』にとってもこれは多い方だ。


「見た感じこいつも私たちと同じ(マジリ)だろ。早いとこ片付けちまおうぜ」

 

 群れにいる2人の女の内1人がそう言ってけらけらと笑う。魔人たちはじりじりとトゥームレイダーを取り囲むと、それぞれの怪異を体表に顕現させた。

 

 黒い翼、羽毛に被われた腕、犬のような顔……。魔人は、正確には(あやかし)(マジリ)である妖人もだが、彼らは力を発揮するとき怪異が混じり主の体の一部に現れるという特徴がある。

 現時点で人間か(マジリ)かを見分ける方法はそれぐらいしかないが、こうして全員の体に変化があったことを見るに、ここにいる彼らは総じて(マジリ)であると、この時初めて断言できるのだ。そしてそれはトゥームレイダーにとって、『呪い』で応戦するのに必要な条件でもあった。

 トゥームレイダーは人間を殺さない。彼の『呪い』ほど強力で無差別なものはない。トゥームレイダーは仕方ない、どうしようもないという理由で人間を巻き込むことをひどく嫌っていた。

 それはトゥームレイダーの致命的な弱点だが、裏を返せばこの場にその弱点となりうるものはひとつもない、ということだ。

 

「死ねーーっ!」

 

 魔人たちは一斉に飛びかかる。だが内1人が立ち止まり、鋭く声をあげた。

 

「まずい! 罠だ」

 

「もう遅い」

 

 トゥームレイダーの体表からどす黒い気体が吹き出す。それは半径5メートルにも満たない小規模な射程だったが、立ち止まった男を除くすべての魔人を捉えるのに十分な距離だった。

 トゥームレイダーを中心に覆っていた気体はすぐに晴れた。だが目に写る惨状に男は呆然と立ち尽くした。

 

「なっ……な……?」

 

 白骨が9、まだ辛うじて人の姿を残す2人の魔人も、空気の抜けた風船のように萎んでいく体に苦痛の表情を浮かべながら、そしてすぐに皮膚や髪の毛、脂肪といった体の組織が消えていき、やがて骨となった。

 しかし骨になってもトゥームレイダーの『呪い』は体を蝕み続ける。11の骨は風にさらされると削れ飛ぶほど脆くなり、最終的にそこには何も残らなかった。例えるなら干し肉だ。水分を失い面積の小さくなった干し肉を更に吊るし、無理矢理水分を飛ばし続けた果てには、繊維を破壊され粉末状に分解され、残されるのは人工物の釣るし針だけとなる。

 

「さて……」

 

 トゥームレイダーは1人残された男にゆっくりと歩み寄る。男は慌てながら、右腕に顕現した大きく鋭い爪を乱雑に振り回し抵抗した。トゥームレイダーは距離を保ったまま、男に問いかける。

 

「すぐには殺さんよ。何を企んでいるのか、すべて話してもらう」

 

「へ、へへ……。分かったぜ、お前さっきの女の仲間か?」

 

 しかし男の耳にトゥームレイダーの言葉は届かず、逆にトゥームレイダーを威圧するかのように不敵な笑みを浮かべた。

 

(マジリ)が人間と仲良くするなんて、ほんとにあるんだな……。だが残念、あの女は俺たちが無惨に殺しちまった。お前がいくら仇討ちをしたところで、死んだやつは戻ってこねえんだよ!」

 

 男はそう言うやいなや、トゥームレイダーに飛びかかる。

 

「……どうかな」

 

 トゥームレイダーはそれを軽くかわすと、男の首根っこを強く掴んだ。

 

「あっ……、ががっ……」

 

 男はみるみる痩せ細り、触れると折れそうな小枝ほどの細さにまでなった。トゥームレイダーは手を離す。彼の手のひらからは例の気体がシューシューと音をたてて吹き出ていた。

 

「言ったろう、簡単には殺さんよ。さてもう一度問おう。日光に弱い魔人共がこんな白昼に集まって何をしていた」

 

 トゥームレイダーは立ち上がることもできない男を見下ろし、冷たく言い放った。しかしそれでも男は勝ち誇ったような表情で、絞り出すように声を出した。

 

「言えるかよ、そんな、こと……。口を割られて殺されるなら、俺は自ら死を選ぶ……」

 

 男はそう言うと、断末魔に近い叫び声をあげる。その直後、男の全身を黒い鱗のようなものが被い尽くした。

 ……なぜ魔人、妖人は怪異を体の一部にしか顕現させることが出来ないのか。それは至極簡単なことである。混じり主の体が怪異に耐えることが出来ないからだ。

 もちろん顕現させる割合が多ければ多いほど混じり主は怪異の持つ力を最大限発揮することができるが、それに伴うリスクを考えたとき、片腕や翼のみなど一部のみ顕現、という方法をとった方が効率がよいのだろう。

 ともかく、既に瀕死のこの男が無理に『悪魔』のすべてを顕現させた。怪異はトゥームレイダーの『呪い』を凌駕する速度で混じり主を蝕んでいく。それから男が絶命するまでにそう時間はかからなかった。

 

 『悪魔』ほど仲間意識の強い怪異はない。組織を危険に晒すなら、進んで死を選ぶ。

 だがトゥームレイダーにも収穫はあった。この男がそうやって口を割られることを恐れた、ということは、彼らの企てる計画に加担する、もしくは企てた張本人がまだ生きている、ということだ。

 

 トゥームレイダーは動かなくなった男に手を触れる。どす黒い気体は男を包み込み、そして骨まで消し去った。こういう死体が人目にさらされるのは都合がよくない。

 ソルティス王国の治安は王国の警備隊が取り締まっているのだが、彼らもまた(マジリ)と人間とを見分ける術を持っていない。しかし死体の異様さから、これが(マジリ)の仕業だとすぐに勘づかれるだろう。

 トゥームレイダーにしてみればこれは悪事を働く『悪魔』を退治しただけにすぎないが、客観的な視線では(マジリ)が人間を虐殺したように見えてしまう。彼にとってこれ以上の不名誉はないだろう。果たしてトゥームレイダーが名誉を気にするかはさておいて、だ。

 

 すっかり静けさを取り戻した裏路地にトゥームレイダーの声が響いた。

 

「そろそろ出てきたらどうだ。ネクロム」

 

「気付いていたのか」

 

 建物の陰から姿を現した男を、トゥームレイダーは知っていた。カストアドよりも昔からの知り合いだ。

 青い髪を腰辺りまで伸ばし、額から左頬にかけて傷を負った男―――霊人ネクロムは『霊』の(マジリ)である。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 大陸が滅びる少し前、ネクロムは人間社会に紛れ込み、ひっそりと生活していた。彼は、もとい霊人は基本的に怪異の能力が戦闘向きでないため、他怪異との交戦を好まない。その代わりに『悪魔』『妖』からの干渉を受けないという特性を活用し、他者との戦闘で力尽きた(マジリ)、巻き込まれた人間を主食とするハイエナのような存在だった。

 ネクロムも例外ではなく、弱った獲物を後ろから突き、時には好奇心という人間の特性を利用して罠に誘い、糧としていた。

 まさに高みの見物を決め込んでいた彼にも、恐れていたものがあった。母数こそ少ないものの、『霊』に干渉できる唯一の怪異、『呪い』の存在である。

 彼が『呪い』の(マジリ)、トゥームレイダーの噂を聞いたとき、しかしそう危惧することもないと高を括っていた。(マジリ)は人間社会の上に成り立つものである、というのが彼の信条だったからだ。

 (マジリ)として目立ってしまうと、他の怪異から狙われるだけでなく本来食らわれる側である人間も脅威に回してしまう。つまり(マジリ)はあくまでひっそりと、闇に紛れて動かないといけない。それが出来ていない呪人はどうせすぐに死んでしまうだろう、と彼は気にもとめていなかった。

 

 だが事実、大陸は滅びた。

 ネクロムは直前に隣の大陸へと移っていたためトゥームレイダーの餌食にはならなかったが、もしあのままあの場に留まっていたなら、彼の命はなかっただろう。

 それからネクロムは大陸という大陸をまわる旅に出た。トゥームレイダーのいる地に近寄りたくないというのが大きな理由だった。

 いくつもの文明が生まれ、滅び、また生まれる様を見てきた。その内彼はこう思うようになった。―――人間の進化をもっと見守っていたい、と。

 きっと彼が霊人でなければ、その考えには至らなかっただろう。ネクロムは人間を食らうのをやめた。人間を脅かす怪異を退け、人間を守ることに徹した。

 ネクロムもまた500年という時間を経て変わったのだ。そうして目覚めたトゥームレイダーとネクロムが出会ったとき、彼らは既に敵ではなかった。

 ……味方でもないが。

 

 

「久しいな、ネクロム。北の宣教師の元にいるお前とこうしてこんな場所で出会うとは」

 

「だからこそ、だ。私の目的は貴様が殺した『悪魔』たちだ」

 

 宣教師、それは怪異に対抗する術を持つ聖職の1つ。3つの聖職にはそれぞれ得意とする怪異があり、宣教師は『悪魔』をほぼ専業としている。

 

「そうか。……ここに来る途中、娘の死体を見たか?」

 

 トゥームレイダーはネクロムの返答を待った。霊人であるネクロムはトゥームレイダーや魔人のように戦闘向きの能力こそ持たないが、こうして500年もの間生き延びるだけの術があった。

 ネクロムを知る人は彼をこう呼ぶ。『戻し屋』と。

 

「あれは貴様の知人か? 貴様の言わんとすることは予想できる。魂の抜けて間もない死体だ、私ならそれはさほど難しいことではないが……」

 

「……分かっているさ、対価だろう」

 

 トゥームレイダーは深く頷いた。働きには相応の報酬を、人間社会に乗っ取って生きていくと決めたトゥームレイダーにとって、それはもはや常識だった。


「もちろんそれもあるが……。貴様の知り合いということから察するに、あの娘も普通、ではないのだろう」

 

 ネクロムは返答を濁す。トゥームレイダーはまたしかと頷いた。

  

「魂にも価値がある。より価値のある魂であれば……。支払わざるを得ない対価、貴様なら分かっているはずだ」

 

「……それでも、ここで見習いくんに死なれては困るからな」

 

「それならば交渉成立だ。私は貴様に悪魔払いの協力という報酬を求める。何せ今回の『悪魔』は数が多い上に根が深い。私とハニ様だけでは手が回らんと思っていたところだ」

 

 トゥームレイダーは北の教会の主である宣教師を思い浮かべる。傷だらけの皮膚に大柄な体躯、これ以上ないくらい修道着の似合わない男なら魔人の1人や2人くらい相手に出来そうな気もするが、さすがに今回ばかりはあくまでただの人間である彼に分が悪すぎる。

 

「……しかし現在、私はもう1つの目的に追われている。優先順位はそちらの方が先だ」

 

「……それは俺の依頼よりも、か?」

 

 トゥームレイダーはネクロムに訝しげな視線を送る。彼にとってこの男ほど信用できる(マジリ)もいないが、その視線の本意を読み取ったネクロムは宥めるような口調でこう返した。

 

「なに案ずるな。娘の魂はこの世に縛り付けておく。それなら数日は猶予があるだろう。……説明は道すがら、まずは娘を教会に送り届けようぞ」

 

「……そうだな。また貸しが出来た」

 

 トゥームレイダーにとって、心の内を話せる相手はカストアドとネクロムの2人だけだ。500年前の強者と弱者は500年来の友となり、そうして肩を並べて路地を引き返した。

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