1.アクマノマジリ
季節は春。淡く色づく桜の木々と麗らかな風を感じながら、トゥームレイダーは静かに茶をすすった。
これが彼の日常である。朝の6時に目を覚まし、カストアド手製の朝食をとり、それから日のある内はこうして縁側で茶を飲みつつ堕落を極める。時おりカストアドからのおつかいを頼まれて街におりるが、それ以外で彼が体を動かすことはほとんどない。まるで川のせせらぎのように優雅でのんびりとした時間が流れることを彼は楽しんでいたが、どうやら今日からそれもままならないらしい。
「み、巫女様! 私は反対です! あのような化け物と共に生活するなど!」
後方では若い女の怒声。そしてそれをなだめる聞きなれた声。
「まあまあ、キャメルさん。彼はこのシューガ神社の守り神としてよくしてくれているわ。きっとあなたもすぐに慣れるわよ」
「いけません! あんな全身を包帯で被ったやつの、どこを信用しているのですか!」
キャメルと呼ばれた少女は、敵意をむき出しにしてトゥームレイダーに指をさす。対してカストアドはいつも通りの暢気な口調で彼女をなだめ続ける。
トゥームレイダーの出で立ちはまるで白い紙に血を落としたように、明らかに異質なものだった。頭から足先までを包帯で被い、唯一姿を覗かせるのは赤く光る2つの瞳と、牙のように尖った歯が並ぶ口のみ。すらりと伸びた背格好で黒い着物を着こなしてはいるが、彼のことをまともだというものはいないだろう。
トゥームレイダーはやれやれと茶を飲み干すと、肩をすくめて言った。
「今日から新入りが入ってくると聞いていたが、巫女殿と違って淑やかさの欠片もない女だな。まあそのぐらいやんちゃな方が俺も退屈はしないだろうが」
「うっさいわね! 巫女様が認めても、私はあんたのこと絶対に認めないから!」
シューガ神社は大陸に栄えるソルティス王国の外れ、山の中程に構える小さな神社で、これまではずっと主であるカストアドが巫女として1人で務めていた。
こうして弟子をとった理由はさておき、カストアドが選んだ人材である。キャメルという少女が巫女としての素質を十分に持っていることはトゥームレイダーも理解していた。
しかし系列で言えば彼の方が先輩である。不躾な後輩に対する指導は、しっかりと行わなくてはならない、とトゥームレイダーは脅すように不敵に笑った。
「そんなわがままを言う子は、呪ってしまうぞ」
キャメルはわずかに表情を強ばらせたが、すぐに余裕を取り戻すと、得意気に鼻を鳴らした。
「あら残念。呪いや祟りにやられるようじゃ、聖職である巫女にはなれなくってよ」
トゥームレイダーはカストアドに視線を送る。彼女は含んだ笑みでそれに答えた。小さくため息をつくと、トゥームレイダーはゆっくりと立ち上がる。
「今日は買い出しの日だっただろう。必要なものは紙に書いておいてくれ」
挑発を無視されて憤るキャメルをよそに、カストアドはそうね、と首をかしげる。数秒の間ののち、彼女はパンと手を叩いた。
トゥームレイダーはビクリと反応する。カストアドがそうして何かを閃いたとジェスチャーをとったとき、大抵トゥームレイダーにとってあまりよろしくない提案が飛び出すからだ。
「せっかくだし、キャメルさんと一緒に行ってくれないかしら。必要なものは彼女に伝えておくから」
「これ以上新入りくんの機嫌を損ねると身の危険も感じるが……」
トゥームレイダーはあからさまに嫌がる素振りを見せるキャメルに目をやり、どうしたものかと呟く。
一方でキャメルはカストアドに食い付くように唸った。
「そんな! こいつと一緒なんて、2人きりになった瞬間何をされるか……!」
「大丈夫よ。彼の安全は私が保証するわ。それにもし何かあったとき、彼はとても頼りになるわよ」
カストアドの曇りない笑顔にキャメルはうぐぐ……と閉口する。
対してトゥームレイダーは神妙な面持ちでそのもしもを思い浮かべる。
カストアドが街におりられない理由は複数あるが、その中でも深刻なのが聖職に務める人間を毛嫌いするものの存在だ。
シューガ神社は小さな社だが、折り紙つきの実力をもつカストアドが主のためにそれなりに名が売れている。つまりは巫女としての顔がその存在に知られている、ということだ。
やつらは人間ではない。やつらとまともに対峙できるのは、また人間ではないトゥームレイダーのみということだ。
もっとも、キャメルという少女はまだ新入り巫女のため、よほど目立つ行動をしない限り標的にはならないだろうが。
「ふむ。まあ仕方がない。ついでにこの新入りくんに立場の違いというものを教えてやろう」
「それはこっちの台詞よ! もし怪しい行動をとったらすぐに封印してやるんだから!」
しばらくして、2人は神社をあとにした。街まで歩いて30分以上かかる。それまでキャメルに背中を見せないよう、トゥームレイダーはそれだけ考えていた。
◆ ◆ ◆
ソルティス王国には現在1万を越える人々が暮らしているが、果たしてその何割が正真正銘の人間なのだろうか。
混と人間を見た目で区別することは出来ない。もちろんトゥームレイダーのような例外もいるが、そのほどんどが人間と何ら変わらない仕草で生活をしている。
混は人間と怪異が混じり合い、共存した姿である。つまりもともと人間なのだから、彼らがさも人間のように振る舞えるのは至極当然のことなのだ。
そして彼らは争い続ける運命にある。それは混じった怪異たちの生存本能に他ならない。時に同族を殺し、時に人間を食らい、そして混じり主を飲み込んで、怪異たちは自らの命を輝かせる。
『悪魔』『妖』『霊』『呪い』4つの怪異と、3つの聖職。
7つの星は今日もまたどこかで、激しい光を放っているのだろう。
「止まって」
キャメルは後方を歩くトゥームレイダーを制した。頼まれていた食材や調理器具の買い出しを一通り済ませ、適当に街を散策していた時のことだった。
キャメルは2人から10メートルほど前方、柄の悪い3人組の男たちに目をつけた。
「混よ。集まって行動しているところを見るに、『悪魔』の混、魔人ね」
「ほほう。新入りくん、君は混を見分けることができるのかい?」
トゥームレイダーは興味深そうにクククッと笑った。目視で混を見分けることはできない。それは『呪い』の混であるトゥームレイダーにも不可能なことだ。
だが彼は知っていた。それは生まれもつ才能、聖職につくものの必要最低限の素質。
「当たり前でしょ」
自慢にもならないとキャメルは言い捨てるものの、聖職者の少なさからそれがいかに稀有な能力かは言うまでもない。
キャメルはトゥームレイダーを誘導し、ごく自然な動きで街道の端に避け、男たちの様子を伺った。
「無用なトラブルには首を突っ込まない。これが長生きの秘訣だぜ? 新入りくん」
「うっさいわね。日光を嫌う魔人が白昼に群れて行動しているのよ。何かあると思うのが普通でしょう」
ふむ、とトゥームレイダーは腕を組むと、キャメルに倣って男たちを観察してみた。
……しかしいかんせん、混を見分けることのできない彼には、人間の男たちが仲良く歩いている風にしか見えなかった。
「……裏路地に入ったわ! 追いかけましょう!」
「まあ待ちたまえ」
駆け出そうとするキャメルの腕を、トゥームレイダーはがっちりと掴む。
「は、離しなさいよ! 見失っちゃうじゃない!」
「落ち着け、新入りくん。悪魔を一匹見たら30匹はいると思え。これ混界の教訓ね」
とうとう男たちの姿は見えなくなり、キャメルは諦めたようにため息をついた。
「……確かに、悪魔は他の怪異と違って仲間意識が強く群れを組む。下手に出て囲まれちゃまずいわね」
『悪魔』ほど厄介な怪異はない。やつらには情がある。同族に手をかけることはまずないし、身内がやられれば報復行為だってする。
日光に弱い、他3怪異との相性が悪い等の弱点を、やつらは数で補っているのだ。
「それに『悪魔』は身体能力が高い。例え混が1人だったとしても、人間の君じゃとても太刀打ちできないだろう」
トゥームレイダーがそう付け加えると、キャメルはうつ向いて押し黙った。
やれやれ、とトゥームレイダーは肩を竦める。
4つの怪異にはそれぞれ特性や相性、混じり主に及ぼす影響が違う。例えば『呪い』の混である呪人は他の混と比べて、混じり主の思想が強く表に出る。
つまり人間が怪異をコントロールできるのだ。そのため、混となっても混じり主の性格や行動が豹変することはない。
怪異の中で『呪い』の母数が少ないのは、他の怪異と比べて生存本能が薄いからである。
対して『悪魔』の混である魔人は、混じり主の体を悪魔が乗っ取っている、と表現した方がいい。怪異の中でもっとも多い母数は、彼らがいかに好戦的で生存本能が強いかを表している。
加えて混じり主の身体能力を向上させてしまうのだから、普通の人間だった混じり主が傲慢で暴力的になってしまうのも無理はない。
7割の怪異と、3割の狂人。魔人とはまさに混沌の成れの果てなのだ。
「さて、そろそろ神社に戻るとするか。巫女殿の絶品夕食が……」
トゥームレイダーはあたりをキョロキョロと見回す。そこにキャメルの姿はない。あるのはソルティス王国の賑やかな街並みだけだ。
トゥームレイダーは着物の襟を正すと、雑踏を掻き分け、ため息混じりに裏路地へと進んだ。