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登先輩と、怪談  作者: 鴨野朗須斗
先輩と青い家
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 2階には4部屋ある。家具が入っていないので何に使用された部屋かはわからないが、おそらく子供部屋にでもなっていたのだろう。登先輩が躊躇いなく散策していたが、何かが見つかることはなかった。

 危惧していた血まみれの2階も、逃げ惑う血まみれの男の子も出会わなかったので藤谷先輩は元気を取り戻していた。



「2階は特に何もないみたいだね」



 藤谷先輩が安堵したように大きく息を吐きだす。この人はもしかして私と同じくらい、いやそれ以上に怖がりなのかもしれない。

 登先輩、私、藤谷先輩、田宮くんの順に階段を下りると、登先輩が廊下の突き当りの扉の前で立ち止まり、至極楽しそうな顔で振り返った。



「ここから先が一番目撃情報が多い」



 藤谷先輩がひっと小さく息を飲み込む声が聞こえる。



「4歳の少年が死んでいた浴室だ」



 全員の視線が廊下の一番奥の扉へと向かう。扉の先には洗面所があり、更にその奥には浴室がある。4歳の男の子は浴槽の中で冷たくなっていたらしい。



 ――ピチャン



 水音が聞こえた。誰かがゴクリと唾を飲み込む。



「せ、んぱい……今の……」



 後ろを振り返ると、目を見開いた藤谷先輩と険しい顔をした田宮くんが同時に頷いた。

 帰りましょう、その言葉を口にしたいがうまく声が出ない。

 ピチャン、とまた水音が聞こえる。誰も動けない。

 ピチャン、ピチャン、ピチャン、ピチャン、ピチャン、ピチャン、徐々に水音が早くなる。

 バシャンとひと際大きな音が上がる。


 ――バシャン、バシャバシャ、バシャン、ドンドン

 

 まるで誰かが浴槽の中で暴れているような音だった。

 何もできずに固まる私たちを尻目に、登先輩が目の前の戸へと手をかける。それはいけない。止めなくては。だけど、声は出ないし体は動かない。誰かの声にならない吐息が聞こえる。何もできないのは後ろの二人も同じなのだろう。

 静かに戸が滑ると、浴室へと続く部屋のドアは既に開いている。水音が止む。


 白い浴槽に、赤黒い何かが溜まっていた。

 ピチョン、ピチョン。また水音が聞こえる。だけど、シャワーからも蛇口からも水は滴り落ちていない。音の正体はすぐに目に飛び込んできた。白い小さな手だった。


 ――ピチョン、ピチョン


 水の中から突き出した手から、血が滴り落ちている。小さな手だが、爪がはがれているのが見える。

 その手がゆっくりと動く。


 ――バシャン、バシャバシャ、バシャン


 もがくように、水をかき分ける。ドンドンと、手が浴槽に当たり大きな音を立てる。手が動く度に、浴室の白い壁が赤く汚れる。浴槽の壁を掴もうと手が壁に叩きつけられ、爪が割れて血がにじむ。皮膚と浴槽のこすれる音が響く。


 どれだけの時間が経ったかわからない。10分にも1時間にも感じたが、もしかしたら1分も経っていないかもしれない。それだけの時間を逃げるどころか、声も出せずに立ち尽くしていた。

 そしてやがて白い手が浴槽の縁を掴み、水音が止んだ。



 それはずるりと汚水の中から這い出してきた。

 はじめは頭だった。黒く柔らかそうな髪は所々血で固まっている。左耳が不自然に裂けていた。

 皮膚が白くふやけている。長時間水の中にいたような、やわらかそうな皮膚。それだけならば見慣れないこともなかったが、色味が明らかにおかしい。白と黄色味が強い黒だ。目の下、頬、普通ならば薄紅に色付いている筈の部位が血が通っていないように白く、どす黒い。まるで全ての赤が流れ出してしまったように。

 目は充血して血が涙、あるいは浴槽に溜まった汚水が流れ出していた。見えていないのか両目の焦点がおかしな方向を向いている。何かを探すように、白く濁った黒目がぐるぐる、ぐるぐると動く。

 ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐる。ようやく焦点が合った目はこちらを向いていた。


 何かを見つけたように、それの口角が上がる。口の端は頰まで裂け、小さな歯が覗いている。


 ――まぁま


 口を開くとどろりと血の塊が落ちた。

 ぼとり、ぼとぼと。

 こんな小さな体から、こんな量の血液がある筈がない。だが零れ落ちる血は量を増すばかりだ。


 ぺたんと、背後で誰かが座り込んだ。おそらく藤谷先輩だろう。そこでようやく、あれから意識を離すことができた。

 はっと我に帰る。

 このままあれを見つめていてもだめだ。生臭い空気を僅かだが吸い込む。



「ッ、外に出て!」



 振り返り叫ぶと、弾かれたように田宮くんが忘れていた呼吸を始めた。座り込む藤谷先輩を荷物のように抱え、真後ろの玄関へと走る。

 がたがた、ドンドンと二階から物音が聞こえる。いつの間にか、階段どころか廊下の壁まで赤い模様でいっぱいだった。だけどそんなことには構わず、登先輩の手を掴んで外を目指す。

 田宮くんが手間取りながらも玄関を開き、暗い道を抜け、街灯のある図書館の前まで必死に駆け抜けた。ただあそこから少しでも遠ざかりたかった。





 結局あの後は登先輩以外の全員が青い顔をしたまま解散となった。

 藤谷先輩は田宮君の袖を離しそうになかったし、田宮くんも手負いの獣みたいに周囲を警戒していた。私を家へと送り届けた登先輩は、珍しくうきうきとした様子で帰って行ったが。


 そして翌日の放課後、いつもの空き教室で登先輩、藤谷先輩、田宮くん、そして私の4人で集まっていた。



「……あれはなんだったんだ」

「さあ、俗にいう幽霊という奴じゃないのか」



 窓際に寄せられた長机は2つのままだが、いつもは2脚しかない椅子も今日は倍に数を増やしていた。

 登先輩が足を組み替える度にぎしりとパイプ椅子が軋む音が響く。



「先輩、何故開けた」

「ドアは開くものだ」

「そういうことを聞いているんじゃない。あの時、あのドアは(・ ・ ・ ・ ・)開くべきで(・ ・ ・ ・ ・)はなかった(・ ・ ・ ・ ・)。そう思っていたのは俺だけじゃない」



 そうだろう。

 田宮くんと視線が絡む。昨日のことを思い出したのか、険しい表情の彼は固く手を握り締めていた。

 そんな彼を小ばかにするように、登先輩の口元が吊り上がる。



「何を言っているんだ田宮、俺たちはあれを見に行ったんだろう」



 子供の間違いを諭す大人のように、ゆっくりと登先輩が言葉を紡ぐ。



「俺たちはあの家に、あの家で殺された子供を見に行ったんだ。最初の目的を忘れたのか、田宮。なあ、違うか?」



 ガタンと、田宮くんが椅子を飛び上がるように椅子を蹴って立ち上がった。今にも殴り掛かろうとする体を抑えるかのように、大きく肩を震わせている。

 対峙する登先輩は何がおかしいのか、ニヤニヤとした軽薄な笑みを浮かべている。これでは田宮くんの怒りを煽るばかりだ。



「あの家で、ね。なんかさ、それ、おかしくない?」



 一歩間違えば張り裂けてしまいそうだった空気を変えたのは、のんびりとした口調の藤谷先輩の声だった。


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