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「そろそろ実験の方向性を変える必要がある」
いつもの空き教室で、登先輩が観察日誌を閉じながらそうつぶやいたのは制服が長袖から半袖に代わる初夏の事だ。先輩と実験と言う名の恐怖体験を繰り返している間に春が過ぎ、私も1年から2年へと進級していた。
「どのように?」
「俺たち以外の第三者を交える」
「……正気ですか?」
「俺は常に正気だ」
登先輩に怪訝な視線を向けてしまったのは仕方のないことだろう。
第三者を介入させるということは、少なくともその人物には私たちの実験内容が知られてしまう。その第三者が信頼できる人間であればいいが、心無い人だったらある事ない事触れ回られてしまうかもしれないのだ。
「その、第三者というのは先輩の友人で?」
「そんなものはいない」
はっきりと断言される。
先輩友達いないんだ……いや、いるようには見えませんが。これからはもう少し優しく接してあげよう。
私の憐憫の視線を察したのか、珍しく先輩が険しい顔をする。
「待て、勝手に同情するな。実験に最適な者がいないと言ったまでで、友人くらい俺も持っている」
「えっ、友達がいるんですか?」
「何故そこで驚く」
「だって先輩、どう考えてもスクールカースト底辺……は言いすぎですが、そもそも枠外にしか見せません」
「随分と無礼な口だな」
コツコツとペン先で机を叩く音がする。
登先輩が考え事をする時の癖だが、どうやら苛立った時もするらしい。
「まあ俺のことはどうでもいい」
「あ、そうです。第三者ですよ。先輩の友人じゃない、秘密を守れる人……私の友達とかですか?」
「違う」
「じゃ、じゃあ、とうとう専門機関に私を売るんですか!」
「思考が飛躍しすぎだ。この学校にもこういった現象に興味がある人間くらいいる」
「そりゃあいますとも! 少なくとも一人は私の目の前に」
「俺を除いて、だ。オカルト研究会は知っているか?」
オカルト研究会。なんともらしい名前だ。
だがこの学校に通って2年目の私でも、そんな怪しげな部活動は見たことも聞いたこともなかった。
□
オカルト研究会は所謂非公式の同好会だった。
月に何度か部員――というかそういった話が好きな者同士で集まり、怪談や心霊スポット巡りをする。参加も不参加も割と自由で、やりたい人がやればいいという緩い集まりだ。
よくよく考えると登先輩と私の関係も同好会のようなものかもしれない。といっても、私の場合は好んでもいないし、参加は絶対という、オカルト研究会とは比べ物にならない程自由度が低い同好会な訳だが。
「いやーでも登くんがこんなことに興味あるなんてまったく知らなかった!」
新しい同好の友を得たからなのか、オカルト研究会のまとめ役をしている藤谷先輩がはしゃいだ様子で振り返った。藤谷先輩はうなじの辺りで二つ結びをしている背の低い先輩だ。体も華奢なので、最初は1年生かと思った。
「でも全然知らなかったよ。私立図書館の近くに心霊スポットがあったなんて」
私立図書館は学校から徒歩30分の小高い丘の上にある。周りは雑木林に囲まれており、民家も少なく図書館が閉まると人気がまったくなくなるらしい。私は読書家という訳でもないので、利用したことはない。
そわそわしながら図書館への道を歩く藤谷先輩を道路に飛び出さないように誘導するのは、2年生の田宮くんだ。田宮くんは剣道部で背の高い無口な男の子だ。正直こういったことに興味があるようには見えないけど、今日は部活を早めに切り上げてまで参加している。
田宮くんをじっと見つめていると、視線を感じたのか不思議そうな顔をした。
「何」
「えっと、田宮くんがこんなことに興味があるなんて意外だなあって」
「ないよ」
「じゃあ、なんで……」
「従姉だから」
そういって藤谷先輩を顎で示す。
私たちの会話に気づいたのか、随分と先を歩いていた藤谷先輩が飛び跳ねるようにこちら側へとかけてきた。
「そう、私たち従弟なの!」
「言っても聞かないから。お守り」
お守りって酷いなあ、と藤谷先輩が笑う。
どちらが年上かわからない二人だが、仲はとても良いらしい。確かに道中の藤谷先輩の様子を見ていると、ひとりで心霊スポットなんかには行かせられない危なっかしさを感じる。
「でも今日はごめんねーあんまり人数集まらなくて。本当は大人数で行った方が安全っちゃあ安全なんだよね。雰囲気はなくなるけど」
「いつもは参加者が多いんですか?」
「大体6,7人くらいかな。2桁になると行った先で統率が取れなくて迷惑かけちゃうこともあるし」
5人以上となると心霊スポット感がなくなりそうだなあと独り言ちる。
何せ今まで二人きりのような一人ぼっちと変わらない状況での心霊スポット巡りだったので、他の人の関係ない話し声が聞こえたりすると、日常に戻ったかのように感じるのだ。
「それでさ! いったいどんなとこなの? 何があるの?」
藤谷先輩が登先輩の腕をぶら下がるように引っ張る。背中に大きく振られる犬の尾の幻覚が見えた気がした。二人はほとんど話したことがないと藤谷先輩から聞いていたが、彼女の人懐っこさは恐れを知らない。私だったらあんな真逆のテンションである登先輩に、子犬みたいにしっぽを振って擦り寄ることはできないだろう。
「図書館の先に空き家が数件ある。そこに子供の幽霊が出るらしい」
登先輩は二人には大まかにしか話さないが、私は事前に情報を与えられていた。
図書館の先は袋小路があり、4件の空き家がある。以前その家には人が住んでいたが、青い壁の家で物取りが原因の惨殺事件があったらしい。4人家族の内妻、7歳と4歳の息子が殺され父親だけが生き残った。
登先輩はご丁寧に古い新聞のコピーや、子供の霊の目撃情報まで見せてくれた。そんな場所に私たちはこれから向かうのだ。
藤谷先輩は楽しそうにしているし、田宮くんは涼しげな顔をしているが知らないとはなんて幸福なんだろう。私は血まみれの浴槽に沈んだ男の子なんて見たくないし、逃げ回る足音だって聞きたくない。
図書館に――正確に言うとその先の空き家なのだが――1歩近づく毎に、足が鉛みたいに重くなるような気がした。