表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
砂漠の王国 バルク
9/82

8 祝宴

 強国ルシアナを連合軍が退けた。その喜びに、バルクアスラン両国は湧きに湧いていた。そしてそれを祝う宴会が、アスランの城で開かれたのだ。

 その場でイリスを始めバルクの者たちは、初めてアスランの君主の姿を目にした。アスラン連邦の首席であるドルキカは、祝宴がひらかれている広間の上座に鎮座していた。白髭の老年の君主は談笑しながら時折咳き込むと、苦しそうな顔をして中座していった。

 それを見遣りながらイリスの隣に座っていたサミーアは、噂は本当だったんですね、と薄く笑っていた。何の事か分からずイリスは首を傾げて杯を傾ける。深謀遠慮の彼の心中など分かったものではないが。


 イリスは浮かぬ顔のまま、広間に座していた。喜び騒ぐ気になどならない、元から彼女はその様な質ではないが。

 ぼんやりと杯を傾けていたイリスだったが、彼女の腕を強く引く者がいた。薄く残っていた酒が零れ、思わず眉を寄せると。

「あ、ごめん」

 腕を引いたのはオーギュストだった。ばつが悪そうな表情をしている彼だったが、何処と無く様子がおかしい。何がかは分からぬが唯一分かるのは、祝宴ならばいの一番に騒ぎそうな彼が神妙な顔付きでいる、という事だった。

 そして彼はイリスを半ば無理矢理立たせ、中座をさせた。有無を言わせぬ彼の様子に、只ならぬものを感じたイリスは黙って彼の示す通りにしている。

 やって来たのは、大広間から幾分か離れた所にある大きな庭園のような場所だった。夜も更け明かりもなく野外に来れば、辺りは暗がりだ。其処に来て、やっとオーギュストはイリスの腕を放した。


「で、何用だ。こんな場所に来てしか出来ぬ話なのだろう」

 掴まれた場所を摩りながら、イリスは静かに問う。廊下から僅かに光が差す程度の薄闇の中で、オーギュストはやけに鋭い目をしていた。そしてゆっくりと話し出す。

「イリスは、ルシアナの間者か何かかなのか?」

 彼女もが不安に思っている事そのままを突き付けられ、イリスはたじろいだ。

 イリス自身、アミヴァのあの行動には疑問を抱いていたのだ。だが考えてしまえば行き着く先はずっと同じ最悪のもので、イリスは目を逸らしていたのだ。

 ──自分はルシアナの者なのか。

 それに答える手段をイリスは持ち合わせていないのだから。


「いいや」

 だから彼女はこれ以上ないくらいの渋い表情で、相反する答えを言う。そして彼女の苦悶の声に気付かぬオーギュストではなかった。

「説得力がないよイリス。嘘を吐くならもっと顔を作らないと」

 愚直だ、と思ったオーギュストらしからぬ言葉に、はっとして顔を上げる。彼は笑っていた。だが和かにではない、イリスの中を窺うように薄く目を細め、口だけを曲げていたのだ。

「あのさ、イリス。俺は戦の時、ハカム川下流の本隊にいたんだ。そこで水攻めがなる直前、アミヴァ将軍と対した」

「……アミヴァ、だって?」

「反応したね」

 オーギュストが更に笑みを深める。イリスは内心しまったと舌打ちをしていた。彼を愚直と評しはしたが、その彼女もまた愚直に違いなかった。

「私は水門付近で彼を退けた筈だ」

「今はそんな事は関係ないよ」

ぴしゃりとオーギュストはイリスの反論を跳ね除ける。まだ大切な話が残っている、という様に。

「アミヴァがどうしたって言うんだ」

「彼はね、イリスを……君を返せと俺に言ってきたんだ」

「何だって……」

「返すってのは、元あるべき場所に戻すって事だ。つまり君はルシアナにいるべき人だという事になる」

「知らない」

「奴は君を知っていて返せと言っているんだ。知らない筈が」

「知らぬのだ!」

 イリスは叫んだ。今にも飛びかかりそうな表情で、彼女はオーギュストを睨んでいた。その目には、一つの決意もが浮かんでいたのだが。

「イリス」

「信じてくれとは言わない。だが私はアミヴァを知らない。帰るべき場所だとも思わない」

「だったら何故あいつはあんな事を言ったんだと思う?」

「知らないのだ、本当に。私には記憶がないから」


 サミーアには口止めされていた。要らぬ不信を招くからアスランの者に記憶の話しはするな、と。だがこんな状況で隠し通せる筈もなかったのだ。

「私には7年前より以前の記憶が一切ない。ただ、名前だけを覚えていた。7年前私を拾ったのがバルクの者だった。私にはバルクに多大な恩がある。私の帰るべき場所はバルクだ」

言い切ってしまってから、恐る恐るオーギュストを見る。こんな話など一蹴されてしまってもおかしくない。だが彼は呆れた様に笑っていたのだ。

「ごめんな、本当は疑ってた訳じゃなかった。返せって事はさ、君は自分の意志では帰らない、って事だろ? だから間者とかそんなのは出まかせ」

「何故そんな事を」

「だってそうでも言わないと話してくれなかっただろ? 多分サミーア殿とかに口止めされてたんだろうし」

 舌でも出しかねない程軽く、オーギュストは謝罪を口にした。そして安堵に息を吐くイリスを見遣って笑う。

「正直だね、イリスは」

「貴方に言われたくはないが」

嵌められた恨みに目を細めて彼を睨めば、オーギュストはまた楽しそうに笑った。

「ま、いいんじゃない。君がバルクの者だと思うんなら、イリス、君はバルクの者なんだ」

「簡単に纏めるものだな」

「難しい話じゃないだろ。正直者は自分にも正直でないと!」

 あっけらかんと言ってオーギュストはまた笑った。先程一瞬だけ彼が軍事司令たらん表情を見た気がするが、今の彼は最初の印象通り真っ直ぐだった。


□□□□


 部屋を出た時よりも幾分か晴れた表情で広間に戻ったイリスだったが、席に着くなりその眉宇をぎゅっと寄せた。

 サミーアがいない。

 ニールか誰かと話でもしているのかと思ったが、目ぼしい人物は皆広間にいた。サミーアだけが居ないのだ。

 イリスは俄かに不安になり、ニールの元へと向かった。中座したと言われればそれまでだが、何故か。背中を這い上がる様な予感がするのだ。この部屋全体が敵になってしまったかの様な、悪寒。戦場で感じる、謀が向けられている時のあの感じだ。

 それはニールがサミーアの行方を答えた時、更におぼえたのだ。


「ああサミーア殿か。飲みすぎたのだろう、具合が悪いと居室に帰られた。恐らくもう休まれているだろう」

 まるで、そう。仮面を見ているかの様だ。

薄ら寒い微笑みを浮かべながら、ニールはイリスにそう説明した。ならば少し様子を見に、と言いかけたイリスを遮って、ニールは再び声を上げた。

「君ももう休むが良かろう。近々バルクに帰るのだ、疲れていてはいけないだろう。おいオーギュスト、彼女を部屋まで送って差し上げろ」

有無を言わせぬ態度に違和感は感じたが、この場で何かが出来るわけでもない。イリスは釈然としないまま、半ばオーギュストに引きずられる形で部屋へと帰ったのだった。


 その時から、イリスはサミーアに会えなくなってしまった。サミーアの居室に行ってもいない。ニールに行方を尋ねても、戦の後処理だとはぐらかされた。

 嫌な予感は確信に変わっていた。人質なのか人材確保なのか、意図か分からないが、アスランはサミーアを返すつもりがないのだ。強硬に押し入ろうとも思ったが、場所が分からぬ事にはそれもかなわない。ルシアナを退けた今ここはもう敵地なのだ、イリスには手立てがなかった。


 出立を翌日に控えた日、与えられた居室でイリスは所在無げにうろうろと歩き回っていた。どうにも動きようがない。元来考える事が苦手なイリスだ、どう頭を振り絞っても良い手など浮かぶ筈がない。時間だけが刻々と過ぎていった。

 だがふと、窓を見た時だった。そこに置いてあるのは、この部屋にある筈のない兵法書だ。確かサミーアがルシアナとの戦の為に読んでいた、そう気付くとイリスは縺れ込む様にしてその兵法書を引っ掴んだ。

 サミーアはここに来たのだ、恐らく拘束される前にその事に気付いてイリスに何かを伝えるために。

 パラパラとページをめくり、何かしらの痕跡を探す。サミーアがこれをイリスに託した理由が何かあるのだ。やっとあるページに挟まれた小さな紙を見つけた。イリスは一度だけ周りを窺って、その紙の文字を辿る。


『ジャンナトの地』


 記されたのはその言葉だけ。裏を返してみても兵法書を振り回してみても、それ以上何も見当たらない。この地にいるのか、それとも暗号か何かなのか、これだけでは何が何だか分からない。サミーアはイリスに何を託したかったのだろう。やはり考えても分からなかった。

 地図で調べると、ジャンナトの地はバルクとの国境付近に位置する場所だった。緑に覆われた肥沃な土地、首都から離れているためかかなりの田舎であるという。だが、その地が何だというのだ。

 分からぬまま短慮に動くのは取り返しが付かなくなる。イリスはここでは動かぬ事に決めた。つまりそれはサミーアをこの地に置いて帰るという事だ。ただその決断は酷く精神力を使うものだったのだが。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ