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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
エピローグ
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エピローグ アスラン

 水気を帯びた風が肩までの紅い髪を巻き上げた。ざんばらだった短い髪はいつしか切り揃えられ、年月分の長さを取り戻していた。

 この地に足を踏み入れるのは、実に1年半振りだ。バルクとは違った湿った風がイリスの頬を撫でて過ぎてゆく。相変わらず目の前の男は、忙しそうに眉間に皺を寄せていた。


「成る程、バルクから派遣される兵は以上だな。これで構わんと伝えてくれ」

「了解しました」

「アスランの軍部も自警団として機能するようになった。軍などなくとも……構わんのだからな」

 ばさりと書類を投げるように寄越して、ニールは腕を組みながら執務机の前に立つイリスを見上げた。感慨深げな視線を受けて、イリスもゆっくり頷いて見せる。


 三国が統一され争う事のなくなったこの大陸では、最早軍部は必要なものではなくなっていた。戦う事を生業としていた兵達は警邏等の任に就いている。

 イリスも例外ではなく軍人としての任を解かれ、今は政務官となったセスタの補佐としてアスランを訪れているのだった。


「お変わりないようで」

「ああ、良くも悪くも変わりない」

 ニールはイリスの言葉に小さく鼻で笑い、違う書類に目を移す。派遣されたイリスらを前にしても仕事の手は止められぬらしい。隣に立つビルディアが不満そうに口を尖らせたのが分かった。

「お忙しそうですね」

「まあ、な」

 苦笑したイリスをちらりと見遣って、ニールは珍しく書類を閉じた。恐らく閑談に応じてくれる気なのだろう。


「如何ですか。その後」

「如何も何も、大して変わらぬだろう。アスラン連邦の名こそなくなったものの、今のアスランは自治区だ。バルク国王の庇護下のな」

「初めの頃は混乱したのでしょう」

「だがルシアナを討ち、アスランでも多くの離れた家族が再会した。民も此度の国の併呑に大きな反抗はしなかった」

「そう、ですか」

 イリスが頷くと、ニールは薄っすらと笑った。彼の穏やかな笑顔を初めて見たような気がして、イリスは目を瞬かせる。

「お前が私に決断させた、平穏の姿だ」

ニールは窓の外の景色を見て、小さく呟く。

 そこから臨むのは青々としたアスランの風景だ。水と緑と光の豊かな変わらぬ景色の中にもイリスには分からぬ変化があるのだろう、感慨深そうな彼の表情はいつかの時よりもずっと優しげだった。


「イリス殿!」

 バタン、と大仰な音を立てて扉が開かれ、部屋の主であるニールが眉を寄せる。飛び込んで来た彼の弟子は、小さく肩をすくめて笑って見せていた。

 イリスが知る彼より少し背が伸び、少し声も低い。おどおどとして子どもに見紛うほどだった彼の姿は、いつの間にか立派な青年のものへと変わっていた。自信や誇りといった1年半の年月が彼の姿にも表れているのだ、そしてそれは彼の腕の中にも。


「またお前はサランを連れ歩いているのか。全く」

「良いではないですか。僕はサラン様の家庭教師なのですから!」

 腕の中で彼の栗色の髪を引っ張るサランに優しく笑い掛け、リヴはイリスを見た。

「お久しぶりです、イリス殿。今回はお仕事ですか?」

「ああ、アスランに派遣する警邏の兵の書類をな。ついでにまあ色々と」

「そうですか。イリス殿もお忙しくしているのですね」

 リヴは体を揺らしながらそう言って笑った。無意識に体を揺らしてあやしているあたり慣れたものだ。そんな姿を見る限り、家庭教師とは名ばかりで遊び相手のようなものかも知れない。サランも慣れているのだろう、片手で抱くリヴの腰にうまくしがみ付いている。

「もうそれ程に大きくなられたのだな。時が過ぎるのは早いものだ」

「本当に。僕も実感してます」

 目を細めてリヴはサランを見る。その視線が幸せそうに見えて、イリスは鼻の奥がツンと痛むのを感じた。

 

「リヴ」

 小さく呼び掛けると、リヴは大きな目でイリスを見た。姿は成長して少し変わったが、彼のこの目は変わらない。正直なこの目だけは。

 だからイリスはじっと彼の目を見て、一言尋ねた。

「今、笑っているか。素直な心で」


 ──素直な心を持てる場所に連れて行く。

 ──きっと……連れて行って下さいね。


 そう誓ったのはいつの事だったか。彼がいなくてはこの未来はなかった。リヴを助けると言いながらも、本当はイリスが彼に救われていた。

 だからこそ、彼にも救いを。どうか幸せでいて欲しい。

 イリスはずっとそう願っていたのだ。

 

 一瞬虚をつかれた様に、リヴが大きな目を更に見開く。だがイリスの問いの本当の意味に気付き、目を潤ませて笑うのだ。

「はい、勿論です!」

と満面で。

 その背後でニールが密かに似合わないくらい穏やかに目を細めているのを、イリスはしっかりと見留めていたのだった。


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