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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
砂漠の王国 バルク
8/82

7 共闘2

 さらさらと流れる川、鬱蒼と繁る木々、色とりどりの花。蝶や蜂が飛び交って、桃源郷かと見紛う程穏やかな景色。

 バルクが砂漠の国と呼ばれるならば、アスランは水の国と呼ばれる。そして豊富な水源の側には、バルクには殆どない森林や花畑などが鬱蒼と繁るのだ。

 豊かな風土、アスランの環境を評するならばそれがぴったりだった。


 自分達が幕を張る場所に着いて、イリスは目を丸くした。この様な穏やかなものを、武器として戦うのだと言われても彼女にはピンとこなかった。もちろんバルクで水計などあり得ないのだから。

「水は恐ろしいものだ。その圧倒的な力に、私たち人間にはどう足掻いても太刀打ち出来ぬ。ひとたび牙を向けば、我らは呑み込まれてしまう」

そう言ってニールはハカム川を見つめていた。

 古来からこの穏やかな川は時折氾濫し、人々の生活を奪って来たと言う。そういった生活を繰り返す上で、アスランはこの穏やかな脅威を味方につける方法を学んだのだ。これはアスランだからこそ出来る戦だった。

「このハカム川は本流と支流の二つが合流して海へと流れ出る。この水門は合流地点からすぐ下流に位置している。

我々はこの水門を閉めたまま守るのだ」

「閉めたまま? 開いて水を出してこその水計なのでは?」

「この水門を開いただけでは水攻めは成らない。後で追い追い説明する」

そう言ってニールは身を翻した。話の途中だったので、イリスも怖ず怖ずとそれに続いた。


 ニールは冷たい物言いに言葉少なだ。どうしても緊張する。やがて水門近くに建てられた砦に近付くと、ニールはふいに鼻を鳴らした。

「如何なさいました」

「ふん。サミーア殿は築城の名手とは聞いていたが……その名には違わぬ様だな」

そう言って見上げる先は、この戦の為にサミーアが設計した砦だった。此度の戦の為に建てられたそれは、急拵えのものとは思えなかった。

「彼自身は食わせ者で好かないが……これだけは見事だ。一夜作りとは思えぬ」

そう言ってニールは暫し考え込む仕草をした。きっとこの砦の何かが琴線に触れたのだろう、築城に造詣のないイリスには分からないが。

 暫し物思いに耽ったあと、ニールは思い出した様にイリスを見て言った。

「あぁイリスよ。お前と私は上手く連携をとらねばならぬ。後で此度の水攻めの詳細を叩き込むから覚えるのだ。よいな」

「了解しました」

「出立前も言ったが、私達の働きが戦の結果を左右するのだ。戦が始まれば、一時たりとも気を抜くな」

「承知しております」


 その言葉は本当だった。ニールに水計の詳細を聞けば聞く程、イリスの担う役割りは大きいものだったのだ。

 というのも端的に言えば、最終的に水門を守るのはイリスの部隊だけなのだという。ニール部隊は戦が始まった後にこの水門を離れ、此処より上流の水門を開けに行くのだそうだ。こちらの水門が閉まって暫く、上流の水門が開け放たれた時にこそ水攻めが成るのだ。


 ニールの自信は凄かった。彼は自分の水計が成らぬ筈はないと信じ切っていた。だから続々と入ってくる下流域での本隊の情報を聞いて、どんどんその表情を強張らせていった。

「ルシアナの布陣はこちらの倍とか。水攻めが成るまで持ち堪えるでしょうか」

「焦ってはいけない。水門を閉めた後充分に水を貯めなくてはそれこそ水攻めが成らない」

「今から閉めていてはいけないのですか」

「今から川の水が引けば、水計しますと発表している様なものだろう」

 今更部隊の配置を変えられる訳もない、まんじりともしないまま翌日を迎えたのだった。


 そして翌朝、日が顔を出して直ぐに戦況は動いた。バルク、アスランの本隊がルシアナと、目論見通り下流域で交戦を始めたのだ。早馬によってもたらされたそれに、イリスたちは急いで水門を閉めた。ここからイリスにとっての戦が始まるのだ。

 水門を閉めて仕舞えば、あとは静かなものだった。今戦が行われているのはこの川の下流域だ。

 両軍の戦力の差は倍もあるのだ、その戦いは想像以上に苛烈なものだろう。だが離れたこの場所では、伝令でしかその様子を窺えない。それが酷くもどかしく、イリスは双鞭を手に落ち着かずにうろうろと歩き回っていた。

 いや、イリスだけではない。この戦を主に指揮していたニールは更に厳しい顔をして、馬に跨っていた。

「ニール殿、いつ頃動かれますか」

「せめて夕刻までは待ちたい。そうでなくては有効な水攻めにならないだろう。焦ってはいけないのだ」

「そう、ですか」

ニールは居た堪れなさを抑えた苦悶の表情で、己に言い聞かせる様に言った。


 今はまだ朝靄が漂う時間帯だ。それが夕刻までとは、長すぎる。こちらに敵軍が来るとも限らないのだ、何もしないでいる時間はとてつもなく長く感じられた。

 逐一届く伝令に詰め寄って出来る限りの情報を聞き出すに、どうやら今のところは戦況が傾いている訳ではないようだ。本隊の善戦が窺い知れる。


 そんなじりじりとした午前を過ごして、午刻を過ぎたあたりだった。もどかしさが限界に達したのだろう、ニールが部隊に出立を告げ知らせた。とうとう上流の水門へ向かうのだ。

「お気をつけて」

「あぁイリス。お前もくれぐれも気をつけるのだ。努々水門を敵に許してはならないぞ」

「承知しております」

「我らがこの水計の肝要だ。共に成功させるのだ」

「はい」

ニールはそう言って部隊を連れて馬を駆っていった。今この時より、イリスの部隊は単独で水門の警備にあたる。


 水門の周りの警戒にあたっていた警備兵より報せがもたらされたのは、それから間も無くだった。

「お知らせします。敵の一団が水門を見つけたらしくこちらへ向かっております」

「見つかったのか……」

いや、よくぞここまで見つからなかったというべきか。今から夕刻までなら問題なく足留めさせられるだろう。余程の精鋭でなければ。

「どれ程の部隊か分かるか」

「こちらの部隊とそう数に違いは無いようです」

「そうか」

 少しほっとする。こちらはサミーアの砦があるだけ有利だろう、攻城は兵差があってこそ成功できるものなのだから。だからといって油断は禁物だが。気合いを入れて、イリスは声を上げた。

「砲兵は配置につけ。騎兵隊は打って出る、私に続け!」

 双鞭を握りしめて、イリスは馬を駆った。ここにいるのは殆どがバルクの兵だ、自分が前線に出る事に少し不安があったが、じっとはしていられなかったのだ。

 暫く馬を駆ると、草原の向こうから駆けてくる一団が見えた。伴った騎馬兵達に緊張がはしる。敵は何故かイリス達に対する直前で一旦足を止めて、その団を二つに割った。


 間から進み出したのは一人の騎兵だった。彼がこの隊を率いる者だろう。煌びやかな白銀の鎧は余り実用的には見えないが、その身分をはっきりと表していた。胸元にはルシアナの印である鳥型の紋章が刻まれていた。

 口上でも述べるのだろうか、イリス達も警戒は解かないまま足を止める。

「川の水が引いている。そちらに水門があるな、水計でも企んでいるのか」

「さぁ? 私は川の水がどうなったら異常なのか分からぬが……干上がったのではないか?」

「誤魔化すにしてももう少し上手くやるのだな。ここに兵を置くあたり、水門は水計の要と見える。通してもらおう」

「おいそれと通すと思うか」

そう答えた瞬間に、イリスに向かってダガーナイフが投げられた。すんでのところで避けて敵を見遣ると、その敵将はニヤリと笑ったようだった。


 その一撃は交戦開始の合図となった。両軍共が鬨の声をあげて刃を交える。イリスは煌びやかな敵将に向かって双鞭を走らせるが、敵将も次々とナイフを投げつけてくる。変則的な武器同士の戦いだ、どちらもが攻めあぐねていた。

 右手の鉄鞭を腰に差して剣に持ち替え、相手のダガーナイフを叩き落とすと、敵将も剣をイリスに振り下ろす。甲高い金属音と共に鍔迫り合いの格好になった。

 兜の隙間から相手の目が見える。目が合ったその瞬間、敵将が息を呑むのが分かった。

「……女?」

「だったらどうだというんだ」

今のイリスは厳めしい鎧を着て、頭にバルクのターバンを巻いている。遠目に一見しただけでは女とは分からないだろう。敵将も至近距離で見てやっと、イリスが女だと気付いたらしかった。

「女だったら手加減してくれるとでも言うのか。ならば兵をひいて欲しいものだな」

「何をほざくか。女相手に押し通るなど容易い」

 そう言って敵将はイリスの剣を押し返してきた。さすがに純粋な力では敵わない、イリスは剣を捨てると再び双鞭を振るう。敵将も剣とダガーナイフを織り交ぜて攻撃を繰り出してきていた。


 そんな膠着が続いて暫く。避け続けた身体が疲労を感じ始めたのか、敵将の投げナイフがイリスの身体を捉え始めた。殆どは彼女の纏う分厚い鎧に阻まれていたが、その一つがイリスの頭のターバンを掠めたのだ。ターバンが裂け、纏めていた髪がはらりと散った。燃える様な紅い長い髪が、鎧を着た彼女の背に流れる。

「……え?」

 敵将の声が聞こえ、その顔を見遣ると何故か、彼は目を見開いて酷く驚愕していた。その両の手は力をなくしたようにだらりと下がっている。余りの変わり様にイリスは僅かにたじろいだが、隙を狙って鉄鞭を振り上げた。


「イリス!」

 振り上げたその双鞭は、手からするりと落ちる。イリスの眼も、敵将に負けないくらい驚愕に見開かれていた。

 何故、ルシアナの将が、イリスの名を呼ぶのか。一瞬浮かんだ可能性に、イリスの身体はがたがたと震え出した。

「イリス、イリスだろう⁈ 私だ、アミヴァだ!」

「な、何を言っている……」

「私がお前を見紛う筈がないだろう‼︎ お前は私を忘れたのか⁉︎」

 アミヴァと名乗った将の最後の言葉は、絶叫だった。心からイリスを呼び掛けている。だが、イリスには。記憶がないのだ、何もかもの。

「イリス‼︎」

「やめてくれ! 私は貴方が分からない!」

「イリス⁉︎」

 耳を塞いでしまいたかった。その可能性はじわりじわりと広がって、今イリスを責めている。もうこれ以上、彼の言葉を聞きたくなかった。周りの兵も将同士の異様な雰囲気に何事かとざわめいている。

「イリス、こちらへ来るんだ! お前をルシアナへ連れて帰る!」

「やめろ……っ! やめてくれ‼︎」

 最後はイリスも絶叫だった。イリスの『帰る』場所はバルクだ、絶対にそれ以外ではない。

 頭の中に蠅でもいるのだろうか、音ではない何かがぐるぐると煩い。それを振り切りたくて、イリスは思いきり双鞭を振り上げた。

「……ぐっ」

 くぐもった声にアミヴァを見遣ると、涙ぐんだ顔でこちらを見ている瞳と目が合った。その腕はイリスの鉄鞭によって薄く抉られている。

「後代様!」

周りの兵がアミヴァに駆け寄り、その身体を支える。将が傷付いたのだ、それにあの様子では彼はもう戦えまい。周りの兵が勝鬨にわいても、イリスはルシアナの部隊が撤退していくのを茫然と見送っていた。


 やがて日が沈み、やっとその時を迎える。身体の奥まで響くほどの地鳴りと共に、水門で堰き止められていた水が見る見る間に減っていく。

 上流でニールが上手くやったらしい。水計が成ったのだ、限界まで貯められた川の水がルシアナの陣を襲った事だろう。一瞬だけ、アミヴァと名乗った敵将の顔が浮かんだが、イリスは頭を振ってそれを追い出した。

 ニールの水計が功を奏し、劣勢が予想されていた本隊の方でも辛くも勝利を収めたらしい。夜の帳が下りる中、兵達はバルク、アスラン共に手を取り合って喜びに浸っていたのだ。

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