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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
そして大陸大戦へ
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2 ルシアナ討伐前哨戦

 軍議で話し合った通り、イリスはビルディアの小隊と共に件の関所へと行軍した。勿論行軍する兵はそれだけではないが、今回主力として動くのは小隊の兵になるだろう。

 行軍が進むとやがてその道程には雪が積もり出した。防寒こそはしているものの、やはりイリス達と、バルク兵らの足取りには差が生まれ出す。想像以上の緩慢な足取りに、イリスもやきもきしていた。

 そうして着いた関所は、ルシアナとの国境からまだ北に山道を越えた所にあった。辺境の地の関所、その一言でその場の雰囲気は言い表せられる。

 高い木々が鬱蒼と繁り、その身はどれもが厚い雪を纏っていた。今は雪こそ降ってはいないが、それでも積雪は溶けないだろうと予想がついた。

 高い山に挟まれる様にに位置する関所は、立地に依るかなりの堅牢さが窺える。関所に続く道の細さも、それに拍車をかけていた。

 だが今回は関所の堅牢さなど関係ない。イリスらの目的は攻め入る事ではなく、目的の人物を誘い出す事なのだから。


 イリスは山間にそびえる堅塁を見上げ、ぎゅっと拳を握っていた。冷たく冷えた指先が白く震える。

 目の前に布陣したというのに、関所は何の動きも見せず、焦った様に兵が出てくる事もない。膠着状態になる事はあまり好ましくないのだ。

 やはり刃も交えずに目的を遂げられる訳はないのだろう。一度は戦う姿勢を示し、イリスは名乗りを上げるべきであろう。

 もう一度イリスは鋭い目で関所を睨み、天幕へと戻って行った。そこで待つビルディアと、侵攻について話し合う為に。


□□□□


 関所の窺える比較的開けた場所に陣営を築いた王国軍らは、一際大きな天幕にて額を付き合わせていた。

 幕をあげて身体を滑り込ませれば、外に比べて幾分か寒さが楽に感じられた。恐らく熱気の所為だろうと、顔を付き合わせ話し合う兵らを見て思う。

 それ程に今王国軍の士気は高い。

 慣れぬ環境、堅牢な関所と状況は厳しくとも、彼らの顔を見れば何かを為せる様な気がした。


「イリス殿如何でしたか。関所の様子は」

 幕に入ったイリスに気付いて、シルヴィアは長めの白金の髪を揺らせて立ち上がった。ビルディアの小隊に属する彼もまた例外でなくこの作戦に参加している。


「相変わらずだ。関所に絶対の自信が有るのだろう、ちょっとやそっとでは動きそうにない」

「やはり、ですか」

 シルヴィアが気を落とした様に俯くのを見て、イリスは大袈裟に明るい顔をして見せた。

 折角高い士気を徒らに落とす必要もないのだ。わざとおどけて口を歪める。

「では、ちょっとやそっとではない事をしてみせようか」

 突拍子もないイリスの提案に、面々が目を瞬かせて彼女を見た。

 イリス自身は頭の切れる兵ではないが、彼女が今迄に様々な難題を成し遂げて来た事を、彼らは知っている。故に彼女を見つめる視線には、多大な期待が含まれている様に見えた。


「我らがすべき事は関所を攻め落とす事ではない。対談をもつ為に、関所から誘き出すだけだ」

「そうだな。たとえ一人でも捕まえりゃ、こっちの勝ちだ」

 腕組みをしてイリスの言葉に同意したのはビルディアだった。彼もまた、今迄にない信頼と期待をその視線にのせている。

「何か、突拍子もない事をしてみよう。関所に攻め入るならば絶対にしない事。不審に思って、奴らが出て来ざるを得ない様な事を」

 悪戯を考えるかの様に口を歪め、イリスは地図上の関所を指差す。そして同じく地図を覗き込む面々をぐるりと見渡した。

「良いかも知れないな。戦にならぬだけ、色々試してみれば良い。敵もいずれ不審に思って此方の真意を探りに来るだろうしな」

「何でも良いんだ。それこそ、皆で関所に石を投げるとか、な」

「それは流石に、馬鹿にされるだけの様な気もするがな」

 イリスのふざけた提案に、ビルディアは肩を震わせて目を細めた。イリスもまた肩を竦めて笑う。


 戦の策を話し合っている筈なのに、和気藹々としたこの空気は何だろう。そう言いたげに、兵たちは顔を見合わせている。

 だが一人、ゆっくりと手を上げておずおずと話し出す者がいた。

「あの、では煙で燻し出してはどうでしょう。火矢を射かけるなどして」

「成る程、確かに煙は籠城戦には上策だな。他には誰かないか」

 口火を切ってくれた兵に笑顔で頷き、そして周りを見渡せば、ちらほらと手が上がり始める。中には吹き出したくなる程ふざけたものもあったが、中々に良い案が次々に出て来た。


 言わば今のイリス達は悪戯を考える子どもなのだ。

 イリスは元々策謀など柄ではないし、ビルディアも勿論頭を使える人物ではない。ならば皆に案を出して貰わねばならなかった。

 そしてそれは決して難しい顔で話すべきでもないだろう。敵の意表をつく策は、頭が柔らかい時にこそ生まれる。

 ふざけた案を出し合い、和やかに話す事は一番大切な事だったのだ。


 次々に出て来る『悪戯』を聞きながら、イリスは満足そうに目を細めた。イリスの真意を知ってか知らずか、ビルディアもまた満足そうに『悪戯』軍議を見つめている。


 その時シルヴィアがゆっくりと手を上げて立ち上がった。

「では、一斉砲撃は如何でしょう」

「一斉砲撃?」

 おうむ返しに声を出すと、シルヴィアはにんまりと笑ってビルディアに目を移した。

「ええ。昔兄上が子どもの頃実際にやった悪戯です。夜中に何人かで同時に空砲を放ったんです。屋敷中に爆音が響きましたよ」

 笑いをかみ殺しながら子どもながらの武勇伝を話されて、ビルディアはしかめ面をしてシルヴィアを睨む。だがシルヴィアは素知らぬ顔で話を続けた。

「あの時は数人でしたが今の小隊は数百いますし、それが一斉に放てば轟音となるでしょう。誘き出すにはもってこいかと。空砲ならば貴重な弾丸も減りませんしね」

「夜中に、轟音……」

 口の中で呟きながら、イリスは頭を働かせる。

 確かに夜中に聞いた事もない轟音が響けば、何か新しい重機でも配備されたのかと敵は疑うだろう。そして様子を窺いに出て来る、必ず。


 意見を聞こうとビルディアを見れば、ばつの悪さからだろうか眉宇を寄せている。唇を突き出しながらだが、確かにゆっくりと頷いていた。

 悪くない、と表情が言っている。


「その案、今夜試してみよう」


 イリスが声を上げると、兵たちは皆満足そうに頷いた。悪い事を企む、小さな子どもの様な表情で。


□□□□


 薄い月光に照らされ、永久に解けることのない雪が時折ちらちらと光を弾く。冷たい外気の所為か刺すほどに澄んだ空気で深く呼吸すれば、口先から白い蒸気が広がった。

 雪が全ての音を吸い込み、無音の世界が広がる。

 こんなにもの大軍団が足を進めているのに空気が震えていない。それはとても好都合だった。


 薄闇の中足を忍ばせ、関所へと近付く。

 何故か気が逸る。分かっている、自分たちの『悪戯』で敵が慌てふためくのを楽しみにしているのだ。

 イリスには悪戯の経験などないが、これは癖になってしまうかも知れないと不謹慎にも考えていた。


 掌を広げて振り下ろし、イリスに続いていた兵に進行方向を指し示す。夜の中明かりもなく歩いているが、隊列は上手くイリスの誘導通りに進んでいく。イリスは立ち止まって隊列の動きを見守っていた。

 やがて隊列は個隊に分かれ、関所の近くの木々に身を隠した。恐らく見つかってはいないだろうが、もしそうでも構わない。今から王国軍が鳴らす轟音は、警戒中でもその威力を発揮する筈だ。必ず。


 木々に身を隠した兵たちは、息を殺してある一点を見つめる。視線の先には緩やかな雪山の傾斜、そして酷く派手な布を抱きすくめながら走るイリスだった。彼女は不意に足を止め、布を掲げる。

 イリスが抱えていた布はバルク王国軍を表す隊旗だった。バルクの色である藤黄の布地に、王家の紋が金糸ででかでかと刺繍されている。


 その派手で大きな隊旗を掲げた瞬間に、兵たちが隠れる木々の其処此処で、火花が上がる。それぞれが篝火に火をつけたのだ。

 次第に火花は増殖し、木々のすそは赤い光で覆い尽くされていった。雪が光を浴びてとても幻想的に見える。今王国軍がしようとしている『悪戯』が高尚な策に思えてきて、イリスは思わず小さく笑いを吐き出した。

 木々を燃やす程の火花を関所の兵らが見咎めたのだろう、石造りの窓に数多く灯りが点るのを見て、イリスは大きく息を吸い、思い切り隊旗を振り下ろした。


 ──瞬間。

 耳を斬られたかの様な鋭い音に、戦場で目を閉じた事のないイリスが咄嗟に目を瞑る。

 例えるならば、大木をも打ち倒す雷。それが身体を貫いたかと錯覚する程の衝撃。

 音は集まると重機をも越す力を発揮するという。身を以て体感した。


 緩々と目蓋を上げて関所を窺うと、イリスらがこの地に着いてから開けられる事の無かった鉄門扉がカタカタと鎖の音を立てて上がっていくのが見えた。敵襲を知らせる笛の音も小さく霞んで聞こえる。

 走り出したい程に気が逸るのを何とか抑え、イリスは関所をじっと睨み付ける。


 先ず出てくるのは斥候部隊と陽動隊であろう。陽動隊が我らを誘き出し、堅牢な関所の籠城戦へと導く目論見の筈だ。

 そうはさせない。誘き寄せられる前に、捕らえる。

 今王国軍の兵らは息を殺して身を隠している。姿を消して、轟音に驚いて慌てふためく敵兵を更に混乱させる為だ。


 鎖の音が止んで鉄門扉が開ききると、敵兵の一団が姿を現した。凄まじい轟音に大軍団を想像していたのだろう。だが兵の一人も見えない今の状況に狼狽えているのが、遠く離れたイリスからでも分かる。

 もう少し関所から離れたらば、と雪の上にうつ伏せて、じりじりとしながら狼狽える兵を見つめていた、その時だ。


 微かに耳に届いたのは、関所から響く笛の音。その音が何を示すのかは分からない。だが辺りを見回していた敵兵らが踵を返しかけるのを見て、イリスらにとって良くないものであると知る。

 飛び上がる様にして身体を起こしたイリスは、再び雪の上に横たえていた隊旗を高々と掲げた。

 それが、合図だった。


 息を殺して身を潜めていた兵たちが一気に数人の敵兵目掛けて飛び出す。

 急な襲撃に敵兵は混乱の極みであるのだろう。身を翻して関所へ駆け出す者、その場で武器を構えて襲撃に対する者、二分した。王国軍はその場で足を止める兵数人に狙いを定めて襲い掛かる。


 一人でも捕らえられれば良い。

 その任務は滞りなく完遂したらしい。イリスのいる場所からは、王国軍の兵しか見えないが。


 イリスは踵を返して忍び笑いを漏らす。こんなふざけた戦は初めてだ、と。

 そして隊旗を片手に野営地へと走っていくのだった。


 王国軍の一連の動きは完璧だった。

 斥候部隊の兵数人を捕らえた王国兵たちは、俊敏な動きを以って宿営地へと帰還したのだ。元から容易な悪戯もとい任務であったとはいえ、死傷者を出さずに成し遂げられた事は大きな成果であった。

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