18 議会紛糾2
議堂は喧騒に包まれている。その全てが、ニールに向けられた謗言であった。
だがニールは表情を変えない。一番豪奢な椅子に身を預け、口の端を曲げて笑んでいる。たった今、首席罷免を言い渡されたのに、だ。隣に立つイリスの方が焦ってしまい、おろおろと視線を彷徨わせていた。
「言ったろう。首席は誰にも奪われぬ絶対の権利。罷免などとんでもない」
「それは首席が彼の血筋から出られていた場合です。首席家以外からの指名という、前例にない事が行われたのです。それくらいの権利をこちらにも与えて頂かなくては」
「なるほどな」
深く頷いて、ニールはやはりにやりと笑った。今にも席が奪われようというのにこの態度。
あまりにもやきもきして口を開きかけた、その時だった。
「イリス、例の物を」
「は」
我に返ってイリスは手にしていた包みをニールの前に置く。これは議会の前にニールに渡されていた物だ。
議会の途中で必ず使うからと言付けられ、ずっと脇に抱えて持っていた。中身は知らない。
ニールは勿体振った様に布をゆっくりと開き、ある物を取り出す。諸侯の何人かが、悲鳴の様な小さな声をあげた。
「何ですかな、それは」
「ご覧の通り、書状だ」
「ですから何の書状かを尋ねておるのです」
諸侯らの態度は二分している。
ニールの態度に苛つき、顔を顰めている者。
そしてもう一方は、これから何が起こるか予想がつき、青ざめている者だ。
「今青い顔で書状を見ている者たちよ、本当の売国奴とは貴殿らの事だ!」
怒鳴る様にそう言って、ニールは書状を乱暴に広げた。
勢い良く広がったそれに並ぶのは、十数名の名前と血判。そして──。
「こ、これは!」
書状に関わっていない諸侯らから、驚きの叫びが聞こえる。
書状の内容は端的に言えばこうだ。
──アスランをルシアナの属国とする口利きの代価に、名を連ねる諸侯らの身の安全と優遇を保証せよ。
「これを記した者こそが国を売る張本人だ。血判もある、言い逃れ出来まい」
「何故この様な愚挙を!」
ある諸侯が詰め寄る。その先は青ざめた顔の初老の男だった。先程まで声高にニールの罷免を求めていた彼も、この世の終わりの様な顔をして立ち竦んでいる。
答えられぬ彼らの代わりに、ニールが話し出す。ニールはもう押し込めていた嘲笑を隠してはいなかった。
「アスラン軍部はもう当てにならぬ。ならば今一番力を持つルシアナに取り入りたい。自分の権力を維持する為に。
大体は合っている筈だ、だろう?」
誰も声をあげない。それが余計にニールの言が真実であると告げていた。
ニールは大袈裟に手を振って、嘆く仕草をしてみせる。
「まさか此れ程まんまと引っかかるとは思わなかった。餌を撒いた価値があるというものだ」
「餌を撒いた、ですと」
「本物のバルクからの書状はこれだ。我が国との同盟を願うものだった」
「謀ったのか! ニール!」
初老の男が唾を飛ばしながら激昂する。首席である筈のニールに敬称をつけるのも忘れて、今にも掴みかかりそうだった。
咄嗟に動きかけたイリスを手で制して、ニールは静かに言う。この議会で初めて、彼はその言葉に怒りの感情を乗せていた。
「ああ、謀ったとも。お陰でこの国の膿を炙り出せた」
「膿、だと」
直接的な侮蔑の言葉に、諸侯らは声を失くしている。だがニールも静かにだが激怒していた。それを露わに、彼は断ずる。
「売国奴である貴殿らには、退室願おう。二度と議堂には入られぬよう」
「な、何だと! 議席は誰にも奪われぬ絶対の……」
「先程貴殿が言ったのではないか。前例のない事が行われたのだから、そのくらいの権限があっても良い、と」
もう縋るものはないと、彼も分かったらしい。がくんと膝から崩れ落ち、白亜の床にゆっくりとその額を付けた。
「衛兵、この者らを連れ出せ」
項垂れた諸侯らは、部屋の外に控える衛兵に連れ出され、議堂を後にした。
誰も足掻く者はいなかった。それが妙に物悲しく、残った者は誰も声を出さなかった。
重苦しい雰囲気に耐えかねたのか、声をあげたのはニールだった。やおら頭を下げた彼は、静かに謝罪の言葉を口にする。
「私とて考えなく謀った訳ではなかった。だが貴公らを騙した事に変わりない。申し訳なかった」
ざわ、と細波の様に困惑が広がる。
残った者は諸侯の中でも比較的若く、席次も下の者ばかりだ。あまり発言をしない彼らは、どの様に反応すれば良いのかわからないのかも知れない。
そんな彼らの顔を見回し、ニールはゆっくりと口を開く。形骸化し、半減した議会に、引導を渡す為に。
「やはり、私は売国奴となるだろう。私はアスラン治世権をバル王家に返還しようと思う」
感情を押し殺した様に絞り出した声。もう誰も驚かなかった。そうなってしまうかもしれない、そんな予感が皆あったのだ。
「アスラン連邦は、議会は、なくなるのですか」
「残す意味があるか。首席家は絶え、議会は崩壊。このままでは国の体を保てぬだろう」
「ですが、国としての歴史が!」
「だから、返還するのだ。無理を続ければいずれ国の全てを失う。だが今治世権の返還を申し出れば、きっとバル国王は悪い様にはすまい」
ニールが静かに言えば、戸惑いの為か沈黙が降りる。国の存亡を賭けた話し合いだ、おいそれと答えを出せるものではない。
だがニールは言い募る。もう答えは出ているのだと言いたげに。覚悟を決めろ、と訴えるように。
「私たちが守るべきは議会ではなく、アスランに住まう民だ。その為には形骸を止めない議会よりも、確固たる権力の元に還すべきだろう」
──国としての平穏を願うなら。
パチパチと、一人の諸侯が手を叩いた。それはニールの言葉に賛同を表する証。ぱらぱらと拍手は伝染し、やがてその場に居る者皆が手を叩きアスラン議会の総意となった。
議会は今、議会の終を自らで決めたのだ。
それは同盟よりも強固な一国の誕生だった。
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信じられぬ思いで、イリスは議堂を後にした。余りにもあっさり決まり過ぎて、己が望んだ事にも関わらず、騙されている様な心地であった。
「私が知らぬ間に、本当に色々あったのですね」
隣を歩くニールにそう声を掛ければ、彼は目を閉じて大きく溜め息を吐いた。
「そうだな。だがお前が持ち帰った書状は無駄ではなかった。あれこそが、私が治世権返還を決意した理由でもある」
「どういう事ですか」
「器の大きさを示された。噂に違わぬ仁君だと思ったのだ」
成る程、とイリスは頷いた。少しでも自分の働きが報われたと知って、胸がすく。笑みをこぼしたイリスを見て、ニールも目を細める。
だが彼の表情は晴れやかとは言えなかった。
「三日前迄は私も少し、期待していた。切羽詰まった状況になりさえすれば、諸侯らも私欲を捨てて国の為を考えるのではないかと、な」
そう言って彼が見上げるは、白亜の議堂。もう二度と使われる事のない、アスラン政治の中枢だ。
「だが違った。議会の半分が選んだのは、国の再建ではなく立場を守る事だった。だからこれがアスランにとって最善だ。そうだろう」
「ええ。そう、思います」
「だが、本に私がこの決断をして良かったのか、まだ答えは出ぬ。幾ら自分に言い聞かせたとて」
ニールは静かに言う。議会ではその眼に強い意志を宿していた彼もまた、惑っていたのだ。
ぐ、と拳を握って、イリスは身を乗り出す。自分の拙い言葉が彼の慰めになるとは思えないが、それでも伝えておきたかった。
「後悔はさせません。ルシアナ討伐の後には、長らくの平穏を。きっと陛下ならば為さる筈です」
根拠もない、唯の女将の言葉。だがニールは笑って言う。
「必ずだ。私はお前を信じたのだから」
目を瞬かせるイリスを置いて、彼は長い髪をなびかせて颯爽と歩いて行く。彼が議堂を見上げる事はもうなかった。




