17 議会紛糾1
白亜の議堂を見上げる。荘厳の言葉がぴったりの楼閣を見遣って、イリスはごくりと息を呑んだ。
隣に立つのは鋭い目をしたニールだ。彼もまた緊張の面持ちで議堂を見上げていた。
議堂は限られた者しか踏み入れない。だのにイリスは今そこにいる。
理由は分からない。だが彼女を呼んだニールには有無を言わさぬ迫力があり、イリスも議会に興味があった事から、大人しく彼に着いて来たのだった。
「今日は荒れる。だがお前は黙って見ていろ。決して喋るな」
「では何故私を伴ったのです。何か意図がおありでしょう」
イリスが首を傾げると、ニールはああ、と小さく頷いた。何か考え込んでいる彼の瞳は強く、だが疲労の色も見え隠れしている。
何かが起こるのだ、今日。それくらいはイリスにも分かっていた。
「お前は見届ければ良い。今日の議会の結果こそ、アスランの総意となる」
決意を露わにそう言ったニールを見て、イリスもまた姿勢を正したのだった。
議堂の中はだだっ広く、目に痛いほどの白で埋め尽くされていた。
議堂の真ん中には円状の重厚な机が置かれてあり、三十人程が座る、これまた重厚な椅子が置かれている。半分くらいの席は埋まっていた。
円卓といえば、誰が首長でもないという話がある。だがこの円卓は違う。誰がどの席か、誰が一番強い力を持つのか、全て席で分かる様になっていた。
ニールは迷い無く、一番豪奢なそれに座り、側にイリスを呼んだ。そして耳元に口を寄せ、静かに言う。
「何があっても決して口を開くな。私の問いにはただ首を縦に振れ、分かったな」
何と強引な事か。だがイリスには頷くしか選択肢がないのだ。睨みながらも頷くと、ニールは満足そうに笑んだ。
一体何が話されるのか。固唾を飲んでその時を待つ。
議会の開会が宣言されたのは、それから直ぐの事だった。
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「諸君は答えをお持ちだろうか。前回のバルクの書状に対し、如何すべきか」
ニールの言葉に、同盟についての話し合いか、とイリスは目を瞬かせた。まだだと言っていたのに、と喜びかけて、違うと気づく。
余りにも空気が重い。まるで戦の前のようだ。諸侯らは皆一様に渋い表情をしている。
そして声をあげたのは、席次から見て発言力があるのであろう初老の男だった。
「重視すべきはアスランの存続でしょう。バルクの属国になるなど以ての外ですな」
「そうですな。先ずそれが選択肢にある事自体がおかしい」
そうだそうだ、と声が上がる。
イリスはまだ話についていけない。だが今はまだ黙っているしかなかった。
「ではルシアナと手を結ぶと、そういう事になるが?」
ニールが溜め息混じりに言う。それに何人かは渋い顔のまま頷いていた。
「もしくは徴税と徴兵だな。諸侯らにも身を切ってもらう事になるが……」
「今更徴兵をして何になります。軍備を整えようにも時間がありませんぞ」
「全くです。負けばかりの軍に数だけ入れたとて、脆弱は脆弱。付け焼き刃にもなりますまい」
ふと感じた違和感。議会の諸侯らは、自軍を脆弱だと認めないとニールが言っていた。なのに何故彼らはそれを認め、尚且つルシアナと手を結ぶなどと話しているのか。
それを補うかの様に、ニールが言う。
「ほう。諸侯らは以前まで、軍備における私の助言になど耳を貸さなかった。何故今になってアスランの軍は脆弱だと仰られているのか?」
「事が事だ、仕方なかろう。今はプライドを投げ打ってでも、ルシアナに縋るべきでないか?」
「私はそうは思わぬ」
ぴしゃりとはねのける様なニールの物言いに、何人かの諸侯が眉をひそめる。だがニールは構わずに、凜然と言葉を続ける。
「ルシアナは好戦的かつ不気味だ。手を結んだとて、安心できる相手ではあるまい。それに対して、バルク国王は仁君と聞く。味方にするならどちらか、歴然だ」
俄かに議堂が騒然となる。立ちあがってニールに野次を飛ばす者もいた。
だがニールは豪奢な椅子に身を預けたまま、ちらりと一瞥するだけだ。血が上ったのか、一人が声高に叫んだ。
「売国奴だ! 首席の言葉とは思えぬ!」
「私が売国奴? 何故だ」
「惚けるなど笑止! バルクと手を結ぶ事は即ち、彼の国の属国となる事! アスランの存続が一番大切な事だと仰ったではないか」
「私はアスランの存続が大切だなどと、言っていない」
ニールの返答に、議会が再び紛糾する。まるで煽っているかの様な物言いだ。さすがにイリスも、真意を理解できずにニールを見遣る。
だが彼は動じない。ただただ強い瞳で、諸侯らを見つめている。まるで彼にだけは、この議会の結末が分かっているかの様だ。
「私が最重要と思うのは、アスランの民の平穏だ」
ニールの言葉にそこらで失笑が漏れる。側に立つイリスの方が居た堪れなくなりそうだ。
「さすが、首席の言は違いますな。だが考えてもみて下さい、バルクの属国となる事が何故平穏だと?」
「危険なルシアナと手を結ぶのとは比べるまでもないと、先程も言った。
更に言えば、身を切る政策を拒否する議会が政治を行う国よりも、とも付け加える」
空気がぴしりと冷える。諸侯らは皆一様に色を作して、ニールを睨みつけていた。
暫し続く、張り詰めた静寂。それを破ったのはやはりニールだった。
「諸侯らはアスランの現状を知りながらも、何故身を削らない。国の為と言うのならば、私財を投げ打ってでも国を正そうとは思わぬか」
ニールの口上が、議堂に反響する。誰もが気まずげに口を噤んでいた。
だが一人、立ち上がる者がいた。その者の表情を見た時、イリスは咄嗟にまずい、と眉を寄せた。
立ち上がる彼の初老の男もまた、強い怒りを目に燻らせていたのだ。
「ニール殿の言は立派ですな。だが空論だ。政務官の貴方には、諸侯らの苦労が分からぬらしい。
我々もいずれ出来得るだけの財と兵を献上します。ですがそれは私らの骨と血です。当たり前の様に使われては困る」
さすが、初老の男は上手い。少し言葉を紡いだだけで、周りの諸侯らを味方につけた。そして、まるでニールが駄々をこねているかの様な言い方をする。
少し風向きが変わった。此処が押し所だと言わんばかりに、彼は言葉を続ける。
「誰が国の為の力を惜しみますか。だが今ではない、今でなければ間に合わない。
だから言うのです。貴方の出した三択の内、選べるのは唯一、ルシアナと手を結ぶ事だけだと」
ぱらぱらと拍手が起きる。これでは答えが決まってしまったかの様だ。
焦ってニールを見遣るが、彼の表情は変わらない。強い意志を貼り付けたまま、じっと諸侯らを見つめている。
気を良くしたのか、初老の男はまだ言葉を続け始めた。
「ニール殿はまだ若い。やはり貴方には首席など早いでしょう。他の者にお譲りになっては」
「首席は誰にも奪えぬ絶対の席だ。それは私が決める」
ニールが断ずると、初老の男はにやりと笑う。そして声高に言うのだ。
「議題として、首席の罷免を求める!」
初老の男が目を細めてニールを見ている。だがニールは、呆れた様に笑うだけだった。