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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
雪の軍事大国 ルシアナ
50/82

19 愛しき

「これ、返しておく」

 そう言ってイリスが差し出したのは銃だった。机の上にごとり、と置かれたそれを見遣って、向かいに座るユシリアは眉を上げる。

「使わないのか。まあリヴがあの様子では無理ないが、また使う事もあるだろう。持っていれば良い」

「いや、もう使わない」

イリスがきっぱりとそう言うと、ユシリアは小さく、成る程、と呟いた。少しの間目を閉じて、静かに口を開いた。

「行くのか」

「貴方は、止めないだろう」

「……ああ」

ユシリアは小さく頷いて、机の上から銃をどけた。

「俺には、そんな資格、ないからな」

少しだけ俯きながら言うユシリアを見遣ってから、イリスも少しだけ俯いた。

 決して引き留めて欲しい訳ではない。だが、どうしても、寂しく恋しく思う気持ちが生まれてしまう。本当に厄介な感情だと思った。


「な、久しぶりに少しだけやらないか」

 顔を上げたイリスがそう言うと、ユシリアは首を傾げる。何の事だ、と目で問う彼を見遣りながら、イリスは悪戯っぽく笑いながら机の上にそれを置いた。ガラス駒の入っている巾着袋が、かしゃりと音を立てる。

「六道軍戯か」

「ああ、久しぶりに、な」

「また飽きた、と言うんじゃないだろうな」

「言う訳ないだろう、最後になるんだから」

 ──惜しみながらやるさ。その言葉は心の中で呟いて、イリスは駒を取り出して手の中で弄んだ。

 そう、戦の出立はもう明日なのだ。これが最後のゲームになるだろう。

「そうだな」

ユシリアも頷いて、駒の入った巾着の紐を解いていった。


 時折ちらとユシリアの顔を窺いながら、イリスは一つずつ駒を並べていく。窓から差す夕陽が反射して、ガラス駒は赤い光を帯びていた。ずっとこのまま時が止まればいい、そう思ってしまいそうな心を叱咤して、イリスは駒を置いていった。


 やがて夕陽が沈みきって、部屋が夜の帳に包まれた頃だった。

「やはり引き分けばかり、か」

「だから言ったろう。飽きたと言うなと」

「飽きたとは言っていない」

イリスは口を尖らせ、ふいと視線を空中に向ける。そしてうっとりと溜め息を吐いた。

「綺麗なものだ、本当に」

「そうだな」

空中に浮かぶのはガラス駒の光。それが夜の闇の中では尚美しく、まるで掴み取れる星の様だ。真っ暗な部屋の中でガラス盤だけが光る様は、とても幻想的だった。


 日が沈むのが、ユシリアが帰る時刻の合図だった。だが今日初めて、彼はその慣習を破っていた。それが別れを惜しむ気持ちからであれば良い、などと馬鹿な事をイリスは考えていた。

「しかし、よく後代が許したものだな」

「国を出る事をか。許しは得ていない、抜け出してやるのだ」

「それをよく正直に俺に言うものだ」

「貴方はそれを知って、何か動くのか?」

イリスが挑む様に尋ねれば、ユシリアは分かっているんだろうと言いたげに笑う。馬鹿正直な二人だ、互いの言いたい事など分かっていた。

 ──ただ一つの事を除いては。


「イリス」

静かに、ユシリアはイリスの名を呼んだ。顔を上げるがユシリアの顔はよく見えない。ガラス駒の光だけが浮かぶ、夜の部屋だ。表情がわからない分声色だけで相手の感情を探った。

「これを、やる」

そう言って机の上に出されたのは、小さな箱。イリスが首を傾げながらそれを手に取ると、いつもは無口なユシリアが焦ったように話し出した。

「しょっちゅう手土産を見繕っていた頃に買ってしまったものだったんだが、渡すべきでない気がしてな。だが俺が持っていても仕方ないから持って行け。ルシアナを出るのなら、お前がそれを持っても構わないだろう」

「饒舌だな」

「うるさい」

笑いながら箱を開けると、中から小さな小さなイヤリングが出てきた。色も形も暗くてあまり分からないが、イリスはそれをとても嬉しいと思った。アクセサリーのプレゼントを、嬉しいと思ったのだ。

「……ありがとう、貰っていくよ」

「ああ。お前のものだ」

彼はどんな顔をしてこれを買い、今どんな顔をして渡したのだろう。見られないのが酷く残念だった。


 含み笑いの漏れるイリスを見遣って溜め息を吐いていたユシリアは、小さく身じろぎすると再び口を開く。

「……ルシアナを出るからには、幸せになれよ」

 ああ、どうして顔が見えないのだろう。彼は今どんな顔でそれを言うのか。ただその声色で僅かに感じたのは、慈愛。

「なるさ、必ず」

 いや、やはり顔が見えなくてよかった。恋心に胸を揺さぶられて泣く姿など、見られたくはない。武人として生きると決めたのに、こんな感情に揺れる弱い自分を見られたくなかった。

 それなのにユシリアは、

「泣くな」

と、小さく笑うのだ。今更誤魔化しきれるものではないが、指先で目尻を拭う。

「泣いていない」

「そうか」

ぽろぽろと涙は止めどなく出てくる。それを悟られない様に拭った。

「やはり、泣いている」

向かいから手が伸びて来て、それが今度は躊躇いもなくイリスの頬を撫でた。流れていた雫をすくって、小さく笑っている。

 だが先程一瞬ガラス盤の光に照らされて見えたユシリアの頬が、濡れていた様に見えたのは気のせい、だろうか。いいや例えそうだとしても、何も変わらない。イリスは何も言えない。


 ただ少しだけ、やはり今日だけは許してくれ。彼との別れが辛いと思ってしまうのを。弱い自分を。

 誰に許しを得れば良いのか分からない。だがイリスは心の中でずっと、そう叫び続けていた。


□□□□


 ユシリアが部屋を出て行った後、暫くイリスは茫然としていた。

 だがもうその時間は終わりだ。自分の心に渦巻く制御出来ないものをどうにか押し込み、イリスは自分の頬を叩く。

「よし、大丈夫だ」

 イリスの決意は揺らいでいない。ただ少しだけ目を赤くして、イリスは席を立った。明日の準備でもしようかと、部屋の扉を開けた時だった。

「遅い」

 廊下の壁に背を預け、腕を組んで不機嫌そうに眉を寄せているのは。

「アミヴァ」

「アミヴァ、じゃない。一体いくら待たせるつもりだ。私にこんな気まずい思いをさせるのではない。それとも何か、私に見せ付けていたのか、そうだな」

「おい、落ち着けアミヴァ。どうした」

イリスが戸惑っている事で気が削がれたのか、アミヴァは大きく溜め息を吐いて呆れた様に言う。

「もう夕飯の刻限だが」

「あ」

 それ程までに時を忘れていたのか、と気恥ずかしくなった。そしてそれ以上にそんな場面を見ながらも待っていてくれたアミヴァに、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「すまない」

「本当だ」

アミヴァは面白くなさそうに鼻で笑って、イリスを見遣った。

 今日も彼の笑みに、あの嗤いはない。それどころか、気遣わしげにイリスを見て言う。

「出て行けば、いずれ奴とも戦うのだぞ」

「分かっている」

イリスは頷いた。そんな事に思い至らぬ筈がないのだ。その上で決めている。

「だが、それを避けられる道があるなら。彼も救える道があるなら」

イリスの目指す未来に、胸に楔を持つ彼をも救える道があるなら、勿論それを選ぶ。

「甘いかな」

「だから甘いと言っている」

アミヴァは呆れている。


 当然だ、ついこの前まで一人で歩けもしなかったイリスが急にそんな事を言っても信じられないのだろう。だがイリスは違う。

「胸に決めた事があるのは強いのだよ」

必ず成し遂げると決めている。

 ──大陸の大局を変え、ニキア・ルシアナを討つ。そして救うのだ。憎しと思った仇たちを。今は愛しき者たちを。

「夢物語を語るものだ」

そう言って呆れた様に笑うアミヴァも、その目は優しげに細められていた。

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