4 登用
此度の戦勝で、王城は束の間の祝福ムードに湧いていた。アルヴァ国王も類に洩れず、帰還してすぐに戦の責任者であるセスタを呼び出した。
「ご苦労だったなセスタ。聞くに此度のルシアナは今までにない兵力で布陣していたとか。そのルシアナを撤退させるとは、やはりセスタは頼りになる」
「は。有り難いお言葉です」
跪いて頭を垂れながら、セスタは考えていた。
勿論彼は、あの戦の前哨戦の内容を囮部隊の兵に聞いて知っていた。あの日に初陣を迎えたばかりの女兵士が、機転を利かせて皆を護り、しんがりを務めて先駆隊を引きつけたのだと。彼女の活躍なくして此度の戦勝はあり得なかったのだと。
セスタはそれを聞いて複雑な思いを抱いた。
イリスの素質を見抜けたと喜ぶ気持ち、彼女のその強大な力を危ぶむ気持ち、そして彼女の失った記憶を訝しむ気持ち。
その様な複雑な思いを抱きながらも、イリス自身に不穏な何かを感じる訳ではなかった。
セスタにとってイリスは、自分が見出した原石の様なものだったのだ。
そこまで考えてセスタは一つに考え至る。自分の葛藤を消化するにはこれしか思い浮かばなかったのだ。
「アルヴァ様、お願いがございます」
「セスタがか? 珍しい事もあるな、申してみよ」
「はい、恐れながら。実は私の副将としたい者がおりまして、アルヴァ様にお許しを頂きたいと思います」
「ほぉ……?」
セスタの言葉を聞いて、アルヴァは少し考えこむ仕草をした。だがその口元には薄っすらと笑みが浮かび、これからのセスタの言葉に予想がついている様だった。
「その者の名は」
「私直属小隊に属しますイリスです」
「ふむ……。最近入隊した者だな」
「はい。シェコー殿の娘御です」
「そうかそうか。私も彼女の英談は聞き及んでいる。此度の働きの褒美となろうな」
「では」
「構わぬぞ。ではイリスをセスタ軍事司令補佐の副将に任じよう」
「有り難う御座います」
「セスタよ。此より戦は一層厳しくなろう。そなたを頼りにしている。これからも宜しく頼む」
「お任せ下さい」
セスタは最敬礼の体位をとって部屋を辞していく。彼の後ろ姿を見送って、国王の側に控えていた政務補佐のサミーアが顎に生えた僅かな髭を弄りながら、静かにだが凛と声を上げる。
「私は早計と思いますよ。イリスは記憶も持たぬ身元のはっきりしない者。彼女の信頼の依拠はシェコー殿だけでしょう。要らぬ厄介を招く事になりませんかね」
「そう言うな。私はシェコーを信頼しているし、イリスはシェコーを盲信している。そなたの危惧するところにはなるまいよ」
「だと良いのですが。我が国王はお優し過ぎるので、疑うのは私の役目なのですよ」
「ならばそなたにはもっともっと嫌われ役を演じてもらわねばな」
楽しそうに軽口を言って笑う国王を見遣って、サミーアは溜め息を吐いた。
サミーアも本当にイリスを危ぶんでいる訳ではないのだ。だがシェコーもアルヴァも、サミーアが疑問を抱く程にイリスに対する信頼が厚い。
普通ならばたとえ信頼の置ける薬師の子でも女の兵卒一人に王が会いはしないし、ましてや戦果を挙げたからといって初陣を果たしたばかりの小娘を重用はしない。
もしかしたらイリスの何かをアルヴァ陛下は知っているのかもしれない。それに考え至って、だがサミーアは頭を振った。
陛下の為に疑うのが仕事だとは言うが、あまり考え過ぎても良くはないと考え直したのだ。
イリスは見目麗しい若い娘だ。それが武器を振るうのが珍しく、陛下の興味を煽っただけかもしれないのだから。
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王の御前を辞したセスタはというと。早速イリスの元もといシェコーの居室へと向かっていた。
別館へ続く渡り廊下を進み、長い長い回廊を歩いたその先、医務室近くの広いバルコニーに彼女はいた。時折吹くこの地特有の砂混じりの熱風に顔を顰めながら、それでも手摺りにもたれて何かをじっと見ていた。
「イリス」
「セスタ殿、如何なさいました」
「いや。何か、見えるのかい」
そう尋ねて、セスタも倣って視線を巡らせる。
このバルコニーから見えるのは、王城を取り囲む砂漠だけだ。セスタにとっては見飽きた景色だが、彼女には何かが見えているのだろうか。
「この国を見ておりました。高いところから国を見渡す事などなかったので」
「代わり映えない砂漠ばかりだろう」
「それがこの国の美しさでしょう」
その言葉にセスタの眉がピクリと動く。前哨戦の時からじわじわと広がっていたその疑問を、今突かれた気がしたのだ。そしてそれはセスタの意図とは関係なく口をついてしまった。
「記憶をなくす前、イリスはバルクに居たのではないのかな」
「え……?」
目を見開いて振り向いたイリスを見て、セスタは内心、しまったと舌打ちをした。疑心があると思われるのは、セスタにとって良い事ではなかった。
だが一度でた疑問だ。彼女への葛藤を拭う切っ掛けになればと、セスタは言葉を続けた。
「単純に疑問だったのだ。君は時々私たちとは違う行動をとったりするからね」
セスタの疑問は無理からぬものだ。何故ならバルクに生きる者は戦を知らない。バルク建国の際はルシアナ帝国建国の混乱に乗じてだったので、独立戦争などがあった訳ではない。戦争において、バルク軍は言わば初心者であったのだ。
であるのにイリスはあの劣勢の中で如何に動くべきか知り、その冷静さをもって臨機応変に立ち回った。戦慣れしていると言わずに何であろう。それがセスタのイリスに対する疑念だった。
今の彼女は、ただ強き武だけを直向きに追いかけている。だがもし、彼女が何かの切っ掛けで記憶を取り戻したら。その過去が我々にとって良くないものだったとしたら。
武の才に秀でた彼女が敵に回る可能性だってある。
「何か思い出した事はないかい? 君は此度の戦で色々感じていた様だったから」
「……特にこれと言っては」
「そうなのか」
「ええ。ただひどく充実していました。もしかすると私はやはり武人であったのかも知れません」
「そうだとして、それが意味するところが分からない訳ではないだろう」
「はい、もちろんです」
「ならば何故そう平然としていられる?もし君の過去が蘇れば、私たちとは相容れぬかも知れないとは思わないのかい 」
「今の私を形作るのはバルクでの記憶です。それがある限り、私がこの国を反するとは思えません」
きっぱりと言い切って、イリスはセスタに向き直った。バルクの温い風が、イリスのその紅い髪をさわさわと吹き上げる。その鮮やかな紅は砂漠の藤黄の色にひどく映え、彼女の凛とした物言いと共にセスタの記憶に鮮明に刻み込まれたのだった。
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こうして、初陣を果たすと共に異例の出世を果たしたイリス。強く焦がれた武の道を進めた事に喜んでいた彼女だったが、取り巻く環境は目まぐるしく変わっていったのだ。
「だから、何故そうもよそよそしくするのだ!」
「当たり前でしょう! 貴女はセスタ殿の副将となられたのです、私共と調練などとんでもありません」
「話し方まで……っ! 昨日までは共に軽口を叩いていたのに」
「聞き分け下さい、イリス殿!」
兵たちの訓練棟で言い争う声が聞こえて、セスタはこめかみを押さえた。女兵士の異例の出世だ、揉めるとは思ったがこういった揉め方をするとは予想外だった。それから冷静なイリスも、思いの外子供っぽい面もあるらしかった。
どうした、と声をかけてその場に入れば、イリスに詰め寄られていた兵卒たちがほっと安堵の表情を浮かべた。
「イリス殿が……」
「セスタ殿、私も調練に参加してはならないのですか。昨日まで共に訓練していた仲間が酷く他人行儀なのです!」
「君は戦では指示を出す立場だ。調練は必要ないよ」
「……くっ。何故私は一人で訓練せねばならないのですか」
「君は上官となるんだ、自覚を持つんだ」
「……り、了解しました……」
渋々といった様子で引き下がるイリスに、セスタは溜め息を吐いて苦笑を浮かべた。兵卒たちを見遣ると困った様に顔を見合わせている。
彼らは確か、前の戦で囮部隊としてイリスと共に戦った者だ。あの苦戦を経て、どうやら良い友人関係を築いていたのだろう。それを慮ればイリスの反応は分からないでもなかった。女性であるが故に、彼女は軍内でも肩身の狭い思いをしてきていたのだろうから。
「イリス、調練の邪魔だ。来なさい」
「了解しました」
促すと、項垂れながら付いてくる。少しだけ哀れに感じて、セスタは歩調を緩めてイリスの隣に並んだ。
「全く君は。まさか君がそんな反応をするとは思わなかったよ」
「申し訳ありません」
「気持ちが分からない訳ではないんだが、珍しいね。君らしくない」
「……恥かしながら、私は友人が出来たことが嬉しかったのです。今まで記憶を失っていた所為か、深く人と付き合えなかったもので。推挙して頂いたセスタ殿に聞かせる話ではないですが」
「言っただろう? 気持ちが分からない訳ではないと。上官として成るにはそんな気持ちにも整理をつけなくては」
「了解しました」
そう言って敬礼の型をとる彼女を見遣って、セスタは逡巡した。
そして名案を思い付いた、というように手をぽんと叩く。
「そんなに寂しいなら、私が君の友人になってあげよう!」
「は……? というか酷い言い草ですね」
「酷くはないよ。名案だ」
「いえ。それに貴方上官ではないですか」
「だが君は私の副将だ、助手みたいなものだろう。その二人が信頼関係を深めるには良い手だ」
「セスタ殿……」
イリスの呆れた視線も気にせず、セスタは満足そうに笑んでいる。だが彼なりの気遣いである事くらいは、イリスにも分かっていた。イリスにとってセスタは、武人としての道を示し、取り立ててくれた恩人でもあるのだ。
「では有り難く、その申し出受けさせて頂きます」
「え、あ、そうか……!」
薄く笑んでイリスは頭を下げた。
承諾した事に驚いたのか、何故か言い出した本人が酷く狼狽して焦り出した。そんな表情を見ていたら、イリスの胸のうちに温かいものが広がっていったのだった。