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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
雪の軍事大国 ルシアナ
46/82

15 対バルク戦

 ルシアナは一年中雪が溶けない。うっかりすればその季節の移り変わりを忘れてしまいそうだった。イリスがそれに気付いたのは、この国に初めて来た時に見た白い花が咲いていたからだ。

 バルクとの戦が、くる。もう目の前だった。


 アミヴァはイリスを連れて此度の戦の指揮をするという。護衛兵の様に横に侍らせ、見せ付けるつもりなのだろう。もうイリスはルシアナの者である、と雄弁に。

 そして戦場に出る事など殆どないというユシリアも、此度の戦へ出陣が決まっていた。それもイリスが勝手をしない為の、アミヴァの企図なのであろう。

 此度の戦場は、一年前にバルクの者としてルシアナと戦った、あの場所だった。


□□□□


「お前は私の側を離れるなよ」

 白銀の鎧を着たアミヴァはがしゃがしゃと鎧の音を立てながら、ぼんやりと立つイリスの隣に立った。

 今はイリスも、これ見よがしにルシアナの鳥の紋章が刻まれた鎧を身に纏っていた。今手元に彼女の得意のあの双鞭はない。アミヴァに与えられた細身の剣を腰に穿いて、イリスは向かいに広がるバルクの陣を見ていた。

 今二人は、眼下に戦場を臨む砦にいる。ここが本陣、指揮系統が集う場になる。

「言った通り、私は戦には出ないぞ。私が剣を振るうのは自分の命が危ない時だけだ」

「元からの約束だ、承知している。それよりお前も……」

「分かっている。貴方から離れなければ良いのだろう」

アミヴァを見ないで静かに言って、イリスはじっとバルクの陣を見つめ続けていた。戦場に立ってまで惑う程愚かではないつもりだが、ただ強く願うのは、セスタやビルディアと相対さないでいたいという事だった。


 バルク程暑くもなく、ルシアナ程涼しくもない風は、さわさわとイリスの紅い髪を弄んで吹いていく。それに目を閉じていると、背後からかつかつと靴音が聞こえてきた。

「後代、そろそろ時間です」

「分かった」

目を開いて振り返ると、戦装束に身を包んだユシリアが跪いてアミヴァに何やら伝えている。恐らく布陣の事であろうとイリスはぼんやりと二人を見ていた。

 話し終えたユシリアは、イリスを気遣わしげに一瞥して帰って行く。彼は本陣の砦のすぐ外に布陣しているらしかった。その布陣は鉄壁だ。絶大な軍事力を有するルシアナはその物量に物言わせ、完璧な守備を固めている。

 以前はルシアナのその兵力におののいていたバルクだったが、今目の前に広がっているバルクの布陣もルシアナに引けを取らないものだ。一年の休戦をバルクは上手く使えたのだろう。

 初めて、戦力の拮抗している戦だ。どうなるかなど、少しも分からなかった。


 睨み合ったまま、やがて焦げ付きそうだった太陽が茜色を帯びて姿を隠さんとした頃。一年前と同じように、俄かに両陣が騒がしくなった。

 とうとう始まるのだ。イリスはごくり、と唾を飲んで緊張に耐えていた。


 そうして戦が始まって間なしだった。伝令が走り寄ってアミヴァに何やら伝えている。側に立つイリスも耳をそばだてた。

「バルクの陣中央から、一団突出しております」

「罠か」

「分かりませぬ。兵数は僅かですが、騎馬砲兵の団で中々近寄れず。凄まじい勢いでこちら本陣に向かっております」

「分かった。数が僅かなら装甲兵で壁を作り、横から弓兵で迎撃しろ」

「御意」

伝令は頭を下げて走って行く。血気に逸った一団の暴走だろう、と結論したらしかった。

「凄まじい騎馬砲兵、だそうだ。心当たりはあるか」

 イリスをちらりと見て、アミヴァは尋ねてくる。大して興味もなさそうだが、イリスの反応を窺っている様だ。

「……さあな」

一瞬脳裏をよぎったのは、白金の短髪を持つイリスの同僚。だがイリスは想像を振り切り、素知らぬ顔をした。そうでなければ良い、という願いから。

 やはり興味がなさそうに、アミヴァも眼下に広がる戦場に目を遣った。西日を受けて、ルシアナの白い鎧が赤く染まって見えていた。


 その後何度も、伝令から戦の詳細を伝え聞く。やはり戦力は拮抗しているらしく、刃を交えながらも戦況は未だ動いていなかった。そうして日は沈み切り、篝火が灯され、今日はもう停戦かと思われた時だった。焦った様に足をもつれさせ、伝令が飛び込んで来たのだ。

「お伝えします! 先程の突出した騎馬砲兵、こちらに向かっております!」

「何だと。装甲兵はどうなった」

「それが、急な方向転換により用を成さず……」

「全く……」

アミヴァは舌打ちをして、大きな声を上げた。

「総員を砦の曲輪に配置。砦に入ろうとする騎馬砲兵を狙い撃て!」

「は!」

アミヴァの号令で、がしゃがしゃと慌ただしい音を立てて兵が配置についていく。部隊長の指示が飛び、砦の中も俄かに騒がしくなった。

 だが奇襲を受けているというのに、アミヴァは何故か焦りもしない。ただ静かに、

「イリス、剣を抜ける様にしておけ」

とだけ小さく言ったのだ。


 それはすぐだった。曲輪に置かれた兵たちが騒ぎ出したかと思うと、続いて響いたのは銃声。気味が良い程乾いた音と共に、一人二人と曲輪から落ちる人影が見えた。

 そして轟音と共に蹴破る様にして人垣を分けて飛び込んで来た騎馬砲兵──白金の短髪の同僚は、アミヴァの側に控えるイリスを見てその表情を歪ませている。

「止め! 弓兵止め!」

ユシリアの指示の声が聞こえる。今ビルディアは余りにもアミヴァに近い。彼を弓で狙うのは危険すぎた。

 近くに敵兵がいる、というのにアミヴァは剣を抜かない。彼得意のダガーナイフにも手を伸ばさない。ただ小さく一言、

「イリス」

と名を呼んだのだ。


「私は嫌だと言ったぞ」

「お前は私に逆らわぬ。だろう」

にやりと嗤って、それでも剣を抜かない。イリスがそうするのを待っている。

 この為に、きっとアミヴァは招き入れたのだ。イリスはもうルシアナの兵だと、そう明確に示す為に。

 細身である剣が、酷く重く感じられた。戦の喧騒の中でも響き渡るかの様な印象的な音を立てて、イリスは剣を、鞘から抜いた。アミヴァが笑みを深めたのが分かった。

 それに激昂したのは勿論ビルディアだ。

「お……お前、いっぺん、殴らせろーっ!」

叫ぶが早いかビルディアが馬から飛び降りたかと思うと、次の瞬間には、イリスの頰には激しい痛みが走っていた。

 勢いに腰を打ち付けて、眉をひそめる。顔をあげると、赤い顔をして拳を突き出しているビルディアが間近に見えた。ぬるりとした錆味が口に広がる。余りに唐突過ぎて、誰も動けないでいた。

 イリスだけが頰を押さえながら立ち上がり、ビルディアをきっと睨んだ。

「おま、え! 顔は駄目だろう!」

「うるさい! 馬鹿! お前などいっぺんじゃ足りん。もう一度殴らせろ!」

「嫌だ!」

皆が呆気に取られるのも致し方ない。急に敵兵同士が口喧嘩を始めたのだから。そしてそれは次第に激しさを増していく。

「ふざけるなよ、どいつも。セスタもうじうじとしているし話にならん! 一番の馬鹿はお前だがな」

「馬鹿はお前だ! 単独で突出など、将のする事ではないぞ」

「お前が説教を垂れるな!」

「落ち着けビルディア。お前言っている事もやっている事も無茶苦茶だ」

「うるさい! こうなってしまうのは最初から分かりきっていただろう! 何故ルシアナに渡った!」

「今更だ、仕方ないだろう」

「お前のそういう所が気に食わん! 良い事をしたつもりか? 聞き分けが良いつもりか!」

「だから! もう過ぎた話だと!」

「うるさい、やはりもういっぺん殴らせろ!」

「嫌だ! お前殴りたいだけだろう」


 そんなイリスたちの言い合いを止めたのは、アミヴァだった。ただ静かにイリスに近寄っただけだが、ビルディアの気を引くには十分だった。

「アミヴァ・ルシアナ! やはりお前が元凶か!」

「うるさく吠える犬だな。お前自分の今の状況を冷静に考えるのだな」

そう言ってアミヴァが右手を上げる。曲輪にいる弓兵が一斉に弓を引くのが見えた。

「アミヴァ、よせ」

「イリス。今こそ命が危ない時だ、せいぜい振るえ」

「アミヴァ!」

イリス諸共ビルディアを射る、というのか。近くにいる自分とて身が危ういというのに。だがアミヴァならばやりかねない。イリスが覚悟を決めて腰を落とした、時だった。


「後代、危険です」

「止めるなユシリア」

「後代の身にまで矢が刺さりかねません」

「ほお、珍しいな。お前が意見するのは」

「後代の身が危うければ当然です」

ユシリアの返答に鼻で笑って、アミヴァは手を下ろした。弓兵もならってその矢を下ろす。そしてくるりと背を向けて小さく吐き捨てた。

「興が削がれた」

「そりゃあ良かった」

アミヴァの不機嫌そうな呟きに答えたのは、何故かビルディアだった。

 いつの間にか馬に跨っていたビルディアは、走り抜けざまにイリスの首を掴もうと手を伸ばしてきた。連れて帰ってくれるつもりなのだ、と分かって、イリスは思わずその手に縋ろうとした。だが、イリスは一瞬だけ迷ってしまったのだ。目の端に見えた、アミヴァの薄い笑みに。

 その僅かな躊躇の為に、ビルディアの手がすり抜けていく。すれ違う瞬間、驚いて目を見開いたビルディアの顔が見えた。だが彼は止まっていられないのだ、ビルディアは一度だけ振り返ると表情を歪ませ、馬の腹を蹴った。一瞬の差で、ビルディアのいた場所に矢が刺さっていた。


 ──行ってしまった。

 強い後悔と、一抹の安堵。イリスは身体から緊張を解き、溜め息を吐いた。いつの間にか手から剣が滑り落ちて、からんと乾いた音を立てている。

「よくやったな」

 アミヴァの言葉に彼を一睨みして、イリスは頰を押さえた。思いっきり殴られたらしい、口の端には血が滲んでいた。

 ずきずきと痛む頰を撫でながら、彼は逃げられただろうか、とそればかり考えていた。

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