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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
雪の軍事大国 ルシアナ
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12 イリスの枷

 吹雪のルシアナは昼でも太陽の光が薄い。故にカーテンを閉め切って仕舞えば、部屋は真っ暗になる。それは今イリスにとって都合が良かった。真っ暗にした部屋で己に問いかければ、その心の内がつぶさに感じ取れる気がしたのだ。


 やはり昨夜のアミヴァの言葉はイリスを揺さぶっていたのだ。

「私は、ユシリアを──」

そう口にすれば、つきん、と胸が痛む。その理由は、きっと昨夜アミヴァが言った通りなのだ。

「はは、ふざけるな……」

 掠れて嗤う自分の声が、闇の部屋に響く。それが酷く不快で、イリスは机の上の物を乱暴に手で払った。確かカップや花瓶が置いてあった筈だが、闇の中では分からない。ただがしゃん、と取り返しの付かない音が響いた。


 仇、なのだ。郷里を滅ぼし、母を見捨てた。なのに何故自分は、その男に心を傾けているのだ。

 目を閉じれば、浮かんだのは気遣わしげにイリスを見るユシリアだった。


 ──お前も、同じ運命を辿るのかも知れない。

 ──少しでもお前の気が紛ればよい、そう思った。


 以前言われた言葉が蘇って、イリスは床に膝をついた。ぽろりと涙を流しながら、自嘲する。

「絆されたのは、私だったのか」

彼の懺悔に、彼の人の良さに、負けたのはイリスの方だった。

 イリスは泣いた。己の心の弱さと愚かさを悔いて。光の一切入らない部屋だ、誰も咎めない筈なのに、頭の中がうるさい。朧げに思い出した母の顔が歪んで、イリスを責めている様だ。崩折れる身体を支えようと床に手を付くと、じゃり、と痛みが走った。破片が刺さったのかも知れないが、構わなかった。


 がちゃりと扉が開く音がして、え、と漏れた様な声がする。誰かなどと確かめなくても分かった。

「おい、イリス! いないのか!」

どこかに身体をぶつけているのか、音を立てながら近づいてくる足音。それがイリスの側を通ってやがて、カーテンを開ける音と共に光が射した。

「うわ! 何だ、いるならいると返事くらいしないか」

「アミヴァ……」

驚きに目を見開いていたアミヴァは、イリスの手が赤く染まっているのを見つけて走り寄ってきた。

「何事だ、これは」

眉をひそめながら辺りを見回して、そして溜息を吐く。呆れた様な表情だが、イリスの血を拭うその指先はとても優しげだ。

「お前の、所為だ」

「何がだ」

「お前が余計な事さえ言わねば、私は!」

「私の所為なのか」

そう小さく言って、その辺にあった布でイリスの手を包むアミヴァの手を、イリスは振り払った。

「分かっている、私が弱い所為だとな! だが、やはりお前の所為だ」

 支離滅裂だと自分でも分かっている。だがやはり、アミヴァを責めるのをやめられなかった。


 イリスが泣いていたのに気付いたのだろうか、アミヴァは小さく笑った。酷薄な笑みだった。

「お前も悔いて狂って仕舞えば良い。さすれば私の側にいるしかなくなる」

「そんな事、なるものか!」

やはり、彼は将軍の息子だ。少しでも優しいと思ってしまった自分を、イリスは呪った。

 泣いているのを見られたくない、そんなプライドも最早どこかへ飛んで行ってしまっている。涙でぐしゃぐしゃになった顔でアミヴァを睨んで、イリスは吠えた。

「お前の側にいるなど、死んでも御免だ! そうなるくらいなら、私とて覚悟はある!」

「ほう……?」

 ひやりと。空気が冷えた。


 アミヴァの笑みは、いつも通り酷薄なものなのに何故か。イリスは初めて怖いと思った。言うなれば、何か取り返しの付かない事になりそうな危うさ、だろうか。

「ではお前の覚悟、示してもらおうか。今日の午刻、中庭にいけ。面白いものを見せてやろう」

そう酷薄に笑って、アミヴァはイリスの手を掴む。やはり手当てはしてくれる様だ。先程の空恐ろしい彼の笑みを思い出して、イリスは口を噤んで大人しくしていた。

 彼が見せるという、面白いものとやらを思いながら。


□□□□


 アミヴァに言われた通り、午刻の頃にイリスは中庭にいた。無論無視するという選択も出来たが、もう今更何が出ても驚かない筈だ。そう思った。

 中庭と言っても、そこは今は酷い吹雪だ。外に出るわけにも行かないから、中庭を臨む通りに立つ。そこならば、何が来てもイリスが先に気付ける。


 そうして雪しか見えない中庭をぼうっと眺める事暫く、イリスの立つ通りの曲がり角から、高い声が響いてくるのが聞こえた。

「何の用事だと言うのだ。いつもはこちらが呼んでも無視するくせに」

「まあ、後代様の仰りですから」

「下らぬ用なら許さない」

角をじっと見遣る。この辺りは決して人通りのある場所ではないし、話し声から窺うにアミヴァに呼び出されたらしい。角から現れる者、それこそがアミヴァがイリスに見せたいものなのだ。

 暑くもないのに、つと背中に汗が垂れた様な気がする。緊張に汗滲む掌をぎゅっと握って、イリスは角を凝視していた。

 そして、角から現れたのは。短く刈られてはいるが、紛れも無い紅鼠の証の燃える様な紅い髪だった。


 イリスは一瞬で悟った。とことこと足早に歩いてくる紅い髪は、男の子。歳は五つか六つくらいだろう。誰に聞かないでも分かる、彼は恐らく母の子なのだ。イリスの、血の繋がった弟なのだ。

「アミヴァめ、性格の悪い事だ」

小さく口の中でだけ言って、歯を噛みしめる。彼はここまで、切り札を隠し続けていたのだ。イリスがこの国を脱する事が出来なくなる、切り札を。

 やがて、通りをイリスの方に向かって歩いてくる男の子と目が合った。何故か、彼はイリスを見て眉を寄せる。

「ギル、あれは誰だ」

「はあ。どなたでしょうね」

ギル、と呼ばれた男の子に従う壮年の男性が首を傾げてイリスを見遣る。イリスは意を決して声を掛けた。ここまで来て、逃げ出す訳にもいくまい。

「失礼、ご挨拶を。私はイリスと申します」

「イリス様、ですか! エイレス様、兄上の奥方様ですぞ」

ギルと呼ばれた男性はイリスの名を知っていたらしく、男の子にそう説明した。するとエイレスは寄せていた眉を更にひそめさせてイリスを指差す。

「兄上の奥方だと。それがどうして母上にそっくりなのだ」

「どうして、でしょうね」

ギルは気まず気にイリスをちらりと見遣って、エイレスに同意している。


 成る程、エイレスという名の男の子は、とても母似だ。短いが紅い髪も整った目鼻立ちも、薄く記憶にある母の面影を映している。だがその顔に浮かんでいる薄い笑みは、彼の父や兄から受け継いでいるのだろう。

「で、兄上の奥方が僕に何の用だ」

「いえ、用など。ただ見かけたのでご挨拶をと」

「ふん」

鼻を鳴らして、エイレスは身を翻した。

「やはり兄上からの呼び出しなど、ろくなものではない。ギル、行くぞ」

「はい」

すたすたと去って行く後ろ姿は、子供には思えぬ程堂々としている。母の面影を強く残す弟は、紛れもなく仇の息子でもある。それを強く意識させられて、イリスは不快感に顔をしかめた。


 イリスの覚悟を示せと、アミヴァは言った。それがどういう事か、やっと分かった。奴は、母の血を引く弟を見捨てられるのか、と言っているのだ。

 それはイリスには非常に有効な枷であった。イリスにとって、母の血を引く事、それはとても大きな事だったのだから。

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