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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
雪の軍事大国 ルシアナ
33/82

2 灰の髪の軍人

「おい、何なんだここは」

 灰色の髪の軍人は、低い声でイリスに尋ねる。その声にはぴりぴりと緊張が走っていた。軍人らしいがっしりとした腕は、彼の腰に提げた剣にやられているらしかった。だが、イリスには答えようがないのだ。決して明かすなと、きつくアミヴァに言われているのだから。何か良い言い訳はないかと頭を巡らすが、思い当たらない。

 だがすらりと彼の剣が抜かれて、これはいけないと声を上げた。

「ここに、いるようにと言われている」

焦った為か職業柄か、意図せず挑む様な声色になってしまった事に内心歯噛みしながら、軍人に目をやる、と。

「なるほど、将軍だな」

軍人は得心がいったという風に頷いて、渋い顔をした。そして何やら哀れむような視線を送ってくる。

「お前も災難だな、奥にすら入れて貰えぬのか」

そう言いながら剣を腰の鞘に収め、彼はイリスの髪を見遣って溜め息を吐いた。

「そのなりでは仕方ないだろうが、な」

イリスの紅い髪の事を言っているのだろうか。彼の言から察するに、イリスが此処にいるのは、彼女の特徴的な髪の所為であるらしかった。


 彼が剣を収めた事で、イリスは落ち着きを取り戻していた。イリスは待ち続けていたのだ、アミヴァ以外の人が此処を訪れるのを。

 不躾でない程度の視線を軍人に遣って、彼の様子を窺う。肩まである灰色の髪、軍人らしい長身、年の頃は三十を越したあたりか、落ち着いた雰囲気の軍人は、気まずそうにイリスを見遣っていた。

「貴方は……?」

出来るだけ丁寧に声を出す事を心掛けて、イリスは彼に尋ねた。同情の視線を寄越してくる彼ならば、少しは話が出来そうだと期待して。

 尋ねられた軍人はイリスに向き直ると、ああと呟いた。

「そうか、いきなり男が入って来たら驚くのも無理はないな。悪い。俺は、ユシリアだ」

そう短く自己紹介して、彼は東屋を出て行こうと踵を返した。

 このまま帰す訳にはいかない。折角話が出来そうな人が来たのだから、少しくらいは先に繋げなくては、とイリスは彼の首根っこをがしりと掴んだ。勿論思わずだ。ユシリアの喉からはくぐもった音が漏れた。

「ぐ……っ! な、なんの真似だ」

「も、申し訳ない! 思わず!」

そう言ってぱっと手を離したイリスを、ユシリアは首を摩りながら仕方なさそうに見遣る。

「籠の中の鳥の様な暮らしでは、人恋しい気持ちは解るがな。そういうのは将軍に相手してもらえ」

「何を言っているのか分からないが、彼は私をここに連れて来た張本人だ。おもねる気などない」

「何だ、またか……」

 イリスの返答に、ユシリアは酷く傷付いた表情をした。まるで辛い話題を出されたという風に溜め息を吐いた彼は、イリスに向き直り椅子に腰を下ろす。どうやらイリスは引き止める事に成功したらしい。


「分かった。話し相手くらいにはなってやる」

「良かった、あの神経質な顔ばかり見ていたら気まで参る所だった」

「お前……絶対にそれを本人に言うなよ。下手すれば殺されるぞ」

「不敬罪か。この国では恐怖政治でも行われているのかな」

黙ったユシリアの表情は、イリスの問い掛けに明確に答えるものだった。なるほど気を付けよう、とイリスは心に決めた。


 ユシリアに尋ねたい事は沢山ある。だが、自分を明かさずに聞きたい事だけ聞きだせる程、イリスは話上手でもなかった。必然的に話は、当たり障りのないものになっていく。

「雪なんて初めて見たのだ。だから触ってみたくもなるだろう? なのに彼奴はそれさえも餓鬼の様だと笑うのだ」

「まあ……東屋の周りに雪だるまが並べば、それは滑稽だろうが」

「しかも餓鬼扱いは、それだけではないのだぞ。書物を読む事が苦手だと言えば、彼奴は嘲笑しながら絵本を渡してきたのだ。流石にそれはない!」

「しかしそこに並ぶ本は殆どが子供向けだと思うが……」

「何だと? ……この国の教育は水準が高いのだな」

「そういう問題か?」

結果、殆どがイリスの愚痴だった。それにユシリアは苦笑しながら、うんうんと聞いている。敵国の中心で何と呑気なのだろう、と内心イリスは自嘲していた。


 だがユシリアも。何故初対面の女の愚痴を親切に聞いているのだろう。しかもそれは国の将軍に対する事だ、彼の言う不敬罪にあたるだろう。そのくらいならば尋ねても平気か、とイリスは口を開いた。

「何とも思わないのか?」

「何がだ?」

「先程から私は、結構酷い事を言っている自覚があるのだが」

「まぁ……愚痴には慣れているんだ」

そう言ってユシリアは遠い目をする。イリスの他にも彼は愚痴を聞かされているのか、と思うと少し同情する。ユシリアはどうやらとんでもない程のお人好しであるらしかった。

「ならば遠慮なく」

「いや、愚痴が問題ないという訳ではないのだぞ」

ユシリアはまた苦笑した。彼は常に言葉少なだが、その表情は雄弁だとイリスは思った。


 そうして話をしていると、急にユシリアは立ち上がった。その目はすだれから覗く夕日に向けられている。

「思った以上に長居した。俺はもう行く」

「そうか。すまないな引き止めていて」

「いや、構わん」

ユシリアは出入り口の*帷帳に手を掛けて一度振り返る。イリスの表情を窺った彼は、少しだけ笑ってそのまま出て行った。あの笑みが意味する所は分からない、が何故かイリスにはそれが悪いものではないと確信できたのだった。


□□□□


「ユシリアが来ていたようだな」

 開口一番、アミヴァは口の端に嫌な笑みを浮かべながらそう言った。それにイリスは本に目を落としながら、眉を寄せただけで返す。アミヴァの薄い笑みは、全てを見透かしているようで不快だった。

「それがどうした」

「見張りから聞いている。随分と長い間話し込んでいたとな。籠絡する気か?」

「何を馬鹿な……」

内心舌打ちをしながら、目は本を見たまま鼻で笑う。イリスが彼の親切心を利用しようとしている事くらい、分かりきっているだろう。形だけの否定をしただけだった。


 アミヴァもまた鼻で笑うだろう、とイリスは思っていたが、その予想は外れる事になった。

 アミヴァはイリスが読んでいる本を取り上げてパタンと閉じてしまったのだ。大して熱中していた訳でもないが、無言でそんな事をされれば文句の一つでも言いたくなるというもの。おい、と低い声でアミヴァを見上げたイリスの目は、キョトンと瞬かれた。いつも薄く笑みを湛えているアミヴァの顔が、いたく真面目だったのだ。

「彼奴は無駄だ」

「何がだ。私は籠絡などするつもりはないと……」

「彼奴は父上の腹心だ。父上の命のみで動き、父上の心には決して背かぬ。お前がいかに動こうと、奴を動かす事など出来ぬぞ」

「は……?」

アミヴァは吐き捨てるように言う。その言葉には隠し切れない恨みが込められているように感じて、イリスは言葉を切った。


 無口だが気の良さそうな軍人、イリスの第一印象は間違っているのだろうか。何も言えないでいるイリスを見遣って、アミヴァは小さく呟く。

「あの時も……そうだった」

掠れる様に微かに耳に届いたアミヴァの言葉の意味は分からない。だがそれを尋ねる事がはばかられる程に、アミヴァは神経質な眉を更に寄せて嫌悪を露わにしていた。

 一つだけ分かった。

 次期皇帝であるアミヴァは、現皇帝である彼の父に対して、何かしら思うところがあるらしい。一枚岩ではなさそうな様子だけをイリスは感じ取っていたのだった。

*帷帳‥‥カーテンの事。ここでは東屋を外と仕切るための布を指す。

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