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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
雪の軍事大国 ルシアナ
32/82

1 東屋にて

 ルシアナの首都はバルクとは違って、夏の季節でも肌寒いくらいだった。雪が降る程には寒くはないが、その雪は一年中溶けることがないという。初めて見た雪に、イリスは目を瞬かせていた。ルシアナの自然は豊かで、雪化粧の下には、その寒さに耐え得る花がーールシアナにのみ咲く白いそれが、垂れ咲いていた。


 首都に着いて、イリスは何故か人目を忍ぶように馬車から下ろされた。ぞろぞろと帰還する本隊はまっすぐ城へと向かうが、イリスは三人の見張りをつけられて裏道を歩いていた。


「どこへ連れて行かれるんだ?」

見張りに声を掛けるが静かに、ついて来て下さいと言われるだけだ。

 本当に人質らしくない扱いだ。イリスにとって三人の見張りを倒して逃げる事など朝飯前なのに、この状況にして良いのか。アミヴァの事だ、逃げる訳がないと分かっているのだろうが。

「ここはどこなんだ……」

ぶつくさ言いながら、前を歩く見張りに続く。

 方向的には城に向かっているには間違いないだろう。だが慣れない靴に服装、そして知らない町、足取りが重くなるのは致し方なかった。


 しばらく歩みを進めると、開けた場所に出た。城郭は抜けたから城の内部ではあろうが、少し外れた場所なのだろう。鳥が囀る声と葉がさわぐ音だけが聞こえる庭園のような場所。薄い雪化粧は光りを受けて煌めき、その下の透ける緑と枝垂れ咲く花を潤わせている。その自然は心が落ち着く雰囲気を醸し出していた。

 そこにぽつりと立つ東屋。東屋とはいえど、それは石で出来た重厚なものだ。掃除が為されたのか、屋外に立つとは思えない程に綺麗で、人目から隠すようにすだれがかけられている。

 中に入ると、屋外に置くには高級過ぎる椅子と寝台があった。そこには寝具と美しい衣服もおかれている。

「もしかしなくても私は此処で寝起きするのか?」

見張りの兵に尋ねれば、彼はこくりと頷いた。ご入り用であれば何なりと、と仰々しく言って。


「扱いが良いのか酷いのか解らない……」

 庭園の東屋が人質の檻か、とイリスは自嘲した、が。外で寝起きさせられる割には、高そうな衣服や家具など、人質には勿体ない待遇だ。しかも何故か人質にはあってはならない目隠しのすだれまでもが、ご丁寧に掛けられているのだ。

 ここに滞在させられるのには何か理由があるのかも知れない。

 イリスは置かれた衣服を手に取り広げてみた。その白い綺麗な織物は、今まで彼女が着た事のない女性らしいものだ。派手な金の刺繍と丈の短さに、イリスは顔をしかめた。

「これを私は着るのか……」

袖を通した事のない露出の多い服を寝台に投げて、イリスは寝台に横になった。


 さわさわと穏やかな葉音が耳をくすぐる。ひんやりとした空気も、バルクに比べれば寒いものの凍える程ではない。しっかり防寒すれば、屋外の東屋でも問題なく寝起き出来るだろう。自然のみがある東屋が自分の部屋になる事に、イリスは僅かばかりだか安堵したのだった。


「おい。お前、また寝ているのか」

 揺すられて初めて、自分が寝ていたのだと気付いた。焦点の合わない瞳をきょろきょろと動かして、寝台の側に立つ声の主を見遣ると、やはりそこにいたのは。

「アミヴァ……?」

イリスが名を呼ぶと、アミヴァは彼の細い眉をぎゅっと寄せた。まるでイリスに名を呼ばれるのを酷く厭うようだ。その表情で気付く、次期皇帝を敬称もなしに呼び捨てた事を。

「あ……すまない」

「いや、もう構わん。お前にそういった礼儀を説くのも無駄だ」

「馬鹿にされているのだな」

「そうされたくなければ、暇となる度に寝る癖を改めるのだな。図太過ぎて説教する気にもならぬわ」

ふん、と鼻を鳴らすように笑って、アミヴァは言い放った。言われている事は至極正論だ。イリスは口を噤む他なかった。

「全く、私を名で呼ぶなどお前くらいなものだ」

そう言い捨てるアミヴァは、気を悪くしたというよりは哀しそうに見えたのだった。


 イリスは身体を起こして、アミヴァに向き直る。人質としての心得を探っておきたかった。何分人質らしからぬ扱いであったのだから。

「で、私の牢はここで良いのかな」

「このあつらえを見ても牢と呼ぶか、甲斐のない女だ」

「私は人質だ。まさか枷もなく野外に放たれはしないだろう?」

「そのまさかだが」

イリスは呆れたようにアミヴァを見た。何故人質である自分が枷の事など心配せねばならぬのか。

「逃げたらどうする気だ」

「分かっていて聞くのか」

 アミヴァはきゅっとその口を三日月の様に歪めて笑った。白く覗く歯が、とても酷薄に見える。

「ルシアナの全勢力を以ってバルクに向かう、当然だろう」


 それを聞いて初めて悟った。イリスが人質なのではない、イリスに対してバルクを盾にとっているのだ。だからイリスに枷など必要ない。彼女が逃げる事は即ち、彼女にとってバルクがその役割を失した時なのだから。

「それ程までに何故私を求めるのだ。私にはその価値などありはしないのに」

イリスが絞り出した疑問に、アミヴァは答えなかった。当然だ、敵の情報など欲しないと、イリスが言ったのだから。イリスもアミヴァが答えない事など分かっていたのだ。

 暫しの沈黙の後、アミヴァは薄く笑んだまま小さく話し始めた。

「この庭園には余り人が立ち入らない。私くらいしか来ぬだろうが、もし誰か来てもお前は名乗ってはならぬ。お前が何処の誰か、私以外の者に決して明かすな」

「分かっている。敵国に来て、そんな愚行を犯す筈ないだろう」

「ならば良いが。お前は思ってもみぬ事をしでかしそうだ。一から言付けておかねばなるまい」

アミヴァは小馬鹿にした様に笑った。良く考えてみれば、アミヴァはよく笑っている。だがいつも穏やかに笑うイリスの上官のそれとは全く本質が違う。アミヴァの笑みはいたく冷たい。その冷淡な笑みに、イリスは僅かな嫌悪感を抱いていた。


 だが余りに頑なに反抗ばかりして、機嫌を損ねても良くない。不可解ではあるが、イリスにとってこの扱いは悪いものではないのだ。だからイリスは両手を挙げ、降参の姿勢をとって口を開いた。

「全く。混乱する事ばかりだが、願っても無い厚遇だ。甘えさせて頂くよ」

「大人しくしていろ。そうすれば悪いようにはすまい、今はな」

そう言ってアミヴァは東屋を出て行った。それを見送ってイリスは再び寝台に横になる。

「暇であることには違いないのだがな」

そう独り言ちて、瞳を閉じた。寝るしか時間を潰す方法を思いつかなかった。


 そうしてイリスの囚われない人質生活が始まって暫く、やはりアミヴァ以外の人はやってこない。イリスにはそれが安心にも残念にも思えていた。


 始めのうちは東屋の周りをうろついて時間を潰したりもしていたが、それもしなくなった。イリスが雪で雪だるまを作って遊んでいたと見張りがアミヴァに伝えていて、それを含み笑いでアミヴァに言われた時、イリスは二度とすまいと心に決めたのだ。

 アミヴァが偶に差し入れる書物をただ読んで過ごす。そうするしかイリスは日々を過ごせなくなっていた。


 今日何冊目の書物だろう。イリスは小さな本をパタリと閉じて寝台側の机に置いた。元来じっと書物を読む質ではない彼女だが、今ではすっかり読書家だった。アミヴァ曰く、児童文学らしいが。

 読み終わった本を指先で弾いて、イリスは顔を上げた。東屋はすっかりイリスの居室となっていた。最初は女性らしい衣服や調度品であふれていたそこは、今や小ざっぱりとして何もない。ただ机の上に本だけが積まれている。掛けられている衣服も、地味な色合いのローブばかりだった。粘った甲斐があるというものだ。

 ほう、と息を吐いて、読書で疲れた目を指先で押した。その時だった。

「何だここは」

背後で聴こえたのは男の声。だがそれはアミヴァのものではない。彼の声はこんなに低くはないのだ。

 どきどきと焦る心臓を押さえながらゆっくりと振り返ると、そこに立っていたのは灰色の髪をした軍人らしい男だった。

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