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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
砂漠の王国 バルク
26/82

25 辛勝

「伝令! 間もなく到着!」

 ルシアナに悟られぬ様に事前に取り決めた、簡潔な一文が喧騒の中に響き渡った。待ちに待った報告にイリスもビルディアも、安堵の息を漏らす。そしてどちらからともなく二人は目を合わせると、力任せに辺りの敵兵を薙ぎ払った。


 その時ルシアナの陣から声があがり、対峙していた敵の陣形が展開していくのが分かった。多くの敵をのしたにも関わらずまだ圧倒的な兵力を有するルシアナの陣は、ゆっくりと寡兵であるバルクを包み込む。

 ──ここが正念場だ。ごくり、と生唾を飲み込み、今一度双鞭を握りしめた時だった。

「あ……っ!」

背を預けていたビルディアがおもむろに走りだそうとし、慌ててイリスは彼の肩を掴んだ。

「離せ……っ! あいつが……アミヴァが」

その言葉にイリスも目をやると、馬に乗り陣形が展開する中をゆっくりと後退していくアミヴァの姿があった。

「くそっ! おめおめと逃がす事になるとは……っ」

悔しそうに唇を噛み締めるビルディア。ふるふると身体は怒りに震え、口の端にはつっと血が滲む。


 全身で悔しさを表すビルディアに、イリスは小さく声をかけた。

「行きたければ行けば良い」

ビルディアの瞳が大きく見開かれる。

「お前……なにを」

「私の分もアミヴァを……ルシアナを討ってきてくれ。私は貴方が抜けた穴を埋める」

「馬鹿か!こんな兵力差で俺が抜けたら、お前は絶対に死ぬぞ」

「私だってこのままあいつを逃がしたくはない。ビルディアが必ず討ってくれるなら、私は絶対に死なずに此処を埋めてみせる」

 ビルディアは信じられないといった様子でイリスを見つめた。そして気付く。自分と同じ様に、怒りに震え唇を噛み締めるイリスの姿に。

 イリスにとってもルシアナは仇国だが、アミヴァに対しては複雑な心境でもあった。親しげにイリスの名を呼んだ彼は、仇国の将である彼は、果たして討つべき者なのか。

 戦場での武人の感覚は鋭敏だ。ビルディアにはイリスのそんな迷いを感じ得たのだろう。彼は一度頷くと、軽い身の熟しで馬に跨がった。今日初めて背を預けて戦ったが、ビルディアにはイリスの武が信頼に足る事が直ぐにわかっていた。

 だが。

「死ぬなよ、お前の仇をとるのを手伝うのは御免だ」

精一杯の憎まれ口を叩いて、ビルディアは小さくなったアミヴァの姿を追って突出していった。


 鉛の様に重い身体に鞭を打って、イリスは双鞭を振るった。辺りは敵が囲み、まるで一人きりの戦いの様である。

「……初陣の戦いを思いだす」

舞いながらイリスは口の中だけで呟いた。

 あの時も、倒れた伍長の代わりを務める為にひとりきりでしんがりの任を務め、敵に相対したのだった。初めての戦いだったあの時は、只々戦場に立てた喜びだけを感じていた。ただ目の前の敵を倒す事だけを考えていた筈だ。

「今は考える時じゃない」

 そんな余裕などない。ビルディアの穴を埋め、生き残り、この戦に勝ったその時にこそ悩めば良いのだ。奇しくも初陣と同じ苦しい状態になった事で、初心に帰れた様だった。

 イリスは気持ちを切り替えたように、双鞭を振るい続けた。敵はイリスを取り囲みながらも、どんどんとその陣形を変えていく。倒せど倒せど敵兵は壁の様に取り囲み、終わりはない。だがどれだけ息が荒れても、心だけは疲弊させてはいけない。

「必ず……成功させてみせる……」

ビルディアの穴を埋める。本隊の到着までは絶対に倒れるものか。


 がらがらと何かの合図の音がルシアナの陣から聞こえ、兵たちの鼓舞の声が響き渡った。恐らく今、鶴翼の陣が展開し終えたのだろう。視界の中にはルシアナ特有の鳥の紋章を刻んだ甲冑の兵しか映らなくなった。

 押し寄せる敵、敵──イリスはふらつく足を歯を食いしばって踏み締め、双鞭を振るっていた。双鞭の棘からは血が滴り、振るう度に返り血が緒李の顔に服に飛び散る。その為か双鞭の殺傷能力が少しずつ落ちている様だ。イリスが動けど動けど、周りの敵への手数は増える一方だった。

「くそ……っ」

荒れる息の隙間から、小さく吐き捨てる。


 敵の振るう槍がどんどんとイリスの身体を捉え始めた。頬を掠め、脚を撫で、腹帯を引き裂く。自身の身のこなしが落ちているのが分かった。

 一つ大きな声が上がり、鋭い痛みが掌を襲う。痛みを堪えるが、返り血と己の血が混ざりずるりと左の鞭を取り落としてしまった。甲冑の兵たちがその時機を見逃さず、声あげて押し寄せた。緒李は腰を落として避ける準備をする。

 その時だった。俄かにルシアナ兵が騒がしくなる。その声は勝鬨の声でも、鼓舞するものでもなかった。

「うわぁぁっ!」

「あれを見ろ!」

ルシアナ兵がおののきながら指をさす。イリスは腰を落としたまま、そちらを横目で窺った。その大きな瞳はゆっくりと見開かれる。

 崖とも呼べる丘を騎馬の大軍団が凄まじい勢いでおりて来るのが見える。それを率いていたのは丘の上で充分に任を果たしていたセスタだった。


 本隊が到着したのだ。

 司令達が言っていたとおりに、丘の上には三十人程しかいないとの情報が敵に渡っていたのだろう。油断していたのか、敵は情報とは違う大軍団の登場に驚きおののいていた。

「こ、後退! 後退だぁ」

 このままでは挟撃される、その状況にルシアナ兵たちは慌てて後退を始める。イリスは取り落としていた鉄鞭を拾い、その兵たちを薙ぎ倒した。

「そうは問屋がおろすものか」

気持ちの所為か、驚く程軽くなった脚でイリスは舞うように敵兵を倒していく。後退を一番の目的としている兵たちは、皆一様に背に刃を受けて地に伏していった。

 後退されては元の木阿弥、本隊が到着したとはいえこちらが寡兵なのは変わらぬのだ。この奇襲で出来るだけルシアナの戦意と兵力を削いでおきたいが、ルシアナ兵全てを足止めする事は叶わない。それでもイリス達を擦り抜け、後退していく兵はまばらに見えた。

 反対側でも司令が一人で踏ん張っているのだろう、策は成功している様だ。イリスは夜の帳が下りる中、最後の力を振り絞って双鞭を振るっていた。


□□□□


 暫くして夜が更けた頃、奇襲による挟撃をうけて総崩れになったルシアナ軍は撤退していった。篝火が掲げられ、勝鬨の声があがる。かなりの兵力の差を覆して、イリスたちバルク軍は勝利とも言うべき結果を収めたのだ。

 だがバルクの陣も無事では済んでいなかった。敵の軍団と相対していたイリスたち先鋒の軍は半分以下の兵数になっていた。もうあれ以上はもたなかっただろう。


「イリス!」

 名を呼ぶ声が聞こえ、イリスは荒い息のままゆっくりと振り返った。馬に跨がってこちらへ向かってくるセスタを見たイリスは、安堵に全身の力が抜ける様に感じた。

「イリス、大丈夫か?」

「セスタ……殿……」

ふらつく身体を踏ん張る様にして、イリスは手を挙げセスタに笑顔を向けた。駆け寄ってきたセスタは、馬から降りるとイリスの肩を支える様に隣に立つ。

「よくぞ……よく無事でいた」

「貴方も……。策が上手くいったのは貴方のおかげです。……有り難う御座いますセスタ殿」

「いや……本当に君は頑張ったよ」

「ふふ。情けない事に脚に力が入らず。貴方を見て気が抜けた所為でしょうか」

「本当にお疲れ様だな。そういえば……ビルディアはどうした?」

辺りを探る様に視線をさ迷わせたセスタの言葉に、イリスははたと気付いた様に顔を上げた。

「セスタ殿、すまないが馬をお借りします」

「え……イリス⁉︎」

セスタが呼び止める間もなく、イリスはひらりとセスタが乗ってきた馬に飛び乗ると、一目散に走り去って行った。後に残されたセスタは言葉もなくイリスの後ろ姿を見つめていた。


 疲れきった身体に鞭を打って、イリスは馬を駆った。ビルディアが下手を打つとは思っていない。だが、撤退するアミヴァの後を追って敵陣に突っ込んでいく、という危険を冒しているビルディアを放っておく気にはなれなかった。

「ビルディアーっ!」

 だだっ広い平原だ、バルクの陣から離れるとその姿は直ぐに見付かった。馬の腹を蹴り、そちらへ急ぐ。

「ビルディア!」

声を掛けながら、立ち尽くす彼の隣に馬をつけた。だがビルディアは顔を前に向けたまま、微動だにしない。倣ってそちらに目を向けると、そこには近衛兵に周りを固められているアミヴァの姿があった。


「応援を呼んだか。だがたった二人程度で何が出来る?」

前に見た時と同じ不敵な笑みを浮かべたアミヴァはビルディアを鼻で笑った。だがイリスの顔を見ると、僅かに瞠若しその笑みを崩す。

「イリスか……。久しいな。相も変わらず苦しいばかりの戦に身を置いているのか」

 苦々しげに眉を顰め、アミヴァは溜め息を吐く様に言った。以前会った時は身体に傷を負ってまでイリスの名を呼んだアミヴァ。だが今はその必死さは窺えず、何か心持ちが変わった事は明らかだった。


 それで少し、イリスは安堵した。いや以前の事は何かの間違いだったのだ、と考えられたと言った方が正しいか。アミヴァに対する戸惑いが僅かばかり昇華していくのが感じられた。それはイリスの言葉にも表れ、彼女はいつになく挑戦的な物言いでアミヴァに対したのだ。

「苦しいばかりの戦か。しかしその勝てる筈の戦に負け続けているのは誰だろうな?」

その言葉に目を瞬かせたビルディアがイリスを見た。

「こちらが負けた、と? お前は青臭い事を考えるのだな。兵力で勝る我らがこれで終えると思っているのか」

「何だと……?」

アミヴァは不敵な笑みのまま、イリスを嘲笑った。イリスもビルディアも臨戦態勢を取る。

「直に分かる。今は一時の勝利に浸るが良い」

捨て台詞を言い残し、アミヴァは身を翻した。近衛兵に手厚く護られているこの状況では早々手は出せない。だが。

「待てっ! アミヴァ・ルシアナ!」

 ビルディアは銃を収めて、代わりに腰の剣を抜いた。だが途端に近衛兵らが壁を作り、ビルディアの前に立ちはだかる。ビルディアは剣を振るいながら押し退けようとするが身動きがとれない。

 イリスも鉄鞭を振るいながらビルディアの道をあけようとするが、流石は近衛兵。簡単に倒れてくれる相手たちではないのだ。

「待てぇっ! くそっどけ、この野郎!」

ビルディアの叫びが響くが、それなど気にも留めない様子でアミヴァは姿を消したのだった。

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