表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
砂漠の王国 バルク
23/82

22 気勢

 夜も更けた頃、イリスは屋敷を出ていた。その手には何処で摘んできたのか、小さな花が数本握られている。

 そう、彼女は例の儀式をしようと水場を探して夜の集落の中を徘徊しているのだ。それをして、苦い記憶をシンを思い出す事で気を落ち着かせたかった。来たる戦の気合いを入れたかった。だが思うような水場が見つからず、途方にくれたその時だった。


「あの、将軍様」

蚊の鳴く程の小さな声。イリスが振り返ると、背を丸めて小さく立っている女性が目に入った。こんな夜に、誰も外に出ていない中を出て来たのだろうか。

「危険だ。家を出るなとの通達があったのではないか」

「はい……。ですが将軍様に一言、御礼を申し上げたくて……」

 暗い闇の中目を凝らせば、そこに立っていたのは、ルシアナの兵に襲われていたあの女性だった。

「御礼? 礼など言うに及ばない。私のした事は、あなた達を更に危険に陥れる浅薄な行動だった」

「いえ……例えそうだとしても……私は将軍様に守られました。私の敬愛するこの国の将軍様が優しいお方で良かったです」

イリスは思わず目を見張った。優しいお方、と女性はそう言った。イリスの反応がない事に女性は諦めたのか、深々と頭を下げて去って行った。


「私がした事は、間違っていたのだろうか」

 それは分からない。確かにイリスは、サミーアの命に反した行動を取ってしまった。だがその行動自体は間違っていない筈だ。

「こんな事を考えていては、サミーア殿に叱られてしまうかな」

苦笑しながら、イリスは手元の花を見遣る。あのジャンナトの戦の時もそうだった。自国の利の為に、罪のない民の地を奪う事を躊躇していた。

 大局を見ればイリスの躊躇いは愚考であろうが、そこまで冷淡に成りきれないのがイリスなのだ。そう思っていても良いじゃないか。


 相変わらず、泉などの水場は見つからない。だがイリスの手の中の花弁には、小さな水滴がぽとりぽとりと垂れた。

 その僅かな水を依り代として、イリスは唄を紡いだ。小さな水滴を湛えた花を天に向けて、鎮魂の歌声を星夜に響かせていた。


□□□□


「全く……何処の馬鹿だ、こんな時に出歩くなんて」

「うむ……。家から出ない様にと通達がいっている筈なのだが……」

 セスタとビルディアは、満天の星空の下、静まりかえった集落を歩いていた。見回りの兵から、何者かが集落の中を徘徊しているとの報告があったのだ。

「何故我等が出ねばならんのだ」

「仕方ないさ、人手不足だからね」

ぶつくさ言いながら歩くビルディアとそれを宥めながら歩くセスタが集落の外れまで来ると、そこに僅かな気配を感じた。

「誰かいるのか?」

「さぁ、人の声が……」

 僅かに響く声。それが世にも美しい歌声だと気付いた途端、二人は足を止めた。

「イリス……?」

ビルディアは驚いて声を上げた。世にも美しい歌声。それは星空に届かんばかりに壮大に響いていた。


 何だあいつは。落ち込んでいたのではなかったのか。そうビルディアは心中で呟くが、不思議と目を離す気にはなれなかった。そこには邪魔をし難い程の荘厳な雰囲気があったのだ。

「あれは彼女なりの気勢なのだろうな」

そうぽつりと呟いたのを聞いて、ビルディアはセスタへと視線を移した。

「あれが……?」

「彼女はね、前のジャンナトでの戦で部下を亡くしてるんだ。同郷の部下で、彼女にとって心の支えのようだった」

そう言ってセスタは口を噤んだ。


 倣って口を閉ざすビルディアには、別の気まずさがあった。ジャンナトの戦でアスランに順じていたビルディアにとっては、仕方がない事とはいえ、気まずい話である事に変わりはなかった。それを見留めたセスタは小さくビルディアに微笑んだ。

「ビルディアが気にする事はない。彼女も戦に身を置いているんだ、そんな小さな人ではないさ」

「別にそういうつもりではない」

口を尖らせて零したビルディアに、セスタは苦笑の息を漏らして言葉を続けた。

「彼女は女で、しかも異例の早さで出世して。周りの妬みや謗りは凄いものだった。でもそんな中で、一人の部下が彼女自身を、尊敬している、と言ったんだ」

セスタは再びイリスに目を向けながら、言葉を紡いだ。

 それは近い過去を辿るように丁寧に。ビルディアは何も言えないまま、セスタの言葉を待った。

「でもその部下は前の戦で亡くなってね。いや、部下だけでなく小隊は奇襲によって潰滅した。彼女自身も酷い怪我を負って……その時だったかな、彼女が歌っているのを見たんだ。その時に言っていた。自分の未熟さ故の失態は二度と踏まぬ。彼らの死を背負って先へ進むのだ、とね」

そこまで言って、セスタは視線をビルディアへと戻した。その表情は僅かばかり寂しそうに見える。

「だからイリスにとって、あれは儀式みたいなものだよ」

そう言ってセスタは踵を返し、元来た道を辿りだした。そして振り返り、

「ビルディア。そっとしておこう」

と、帰りを促す。あぁと返事をしながら、ビルディアはもう一度イリスを見遣った。


 彼女を女のくせに、と嫌悪していた自分は、彼女を妬んでいた周りの連中と何ら変わらないのではないか。彼女自身がどんな気持ちで戦場に立っているかも知らずに。

 女だから、と中傷され続けてきたなら、ビルディアのそうした言動にあのように熱り立っていたのも無理はない。そう思ってみると、女の上司を素直に尊敬していると言えるその部下の器の大きさが窺えた。それと同時に、己の言動の愚かさも感じ入ってしまう。ビルディアはその場を後にしながら、腕を組んだ。


 だからといって。元来素直でないビルディアに、嘘でも『今まで悪かった』などと言える訳がないし、そうしたいとも思わないのだ。

 ビルディアはもう一度後ろを振り返ってから、先を行ったセスタを追って足を早めたのだった。


□□□□


 夜が明け、イリスとセスタは広間で食事を摂っていた。初め顔を合わせた時は遠慮がちにまごついていたイリスも、話を続けるうちに普段の表情を浮かべるようになっていた。


「明日には本隊が到着する様だよ。明後日には戦が始まるだろうね」

「そうですね。丘の向こうにはもうルシアナの陣営が出来ていくのが見えています。近いでしょう」

交わされる会話の内容は、これからの戦が多いものの昨日までの変な緊張感は薄れていた。昨夜の例の儀式はやはり彼女の心持ちを変えたのだ。そんな時、広間にのそりと姿を現したビルディアを見て、セスタは言葉を切った。

「お、おはよう。ビルディアどうしたんだ」

 そうセスタが問い掛けたのは、無理からぬ事だ。現に一緒にいたイリスもビルディアの顔を見て眉宇を寄せていたのだから。

「どうした、とは何がだ?」

「気付いてないのかい。目の下、隈が酷いよ」

そう言われて、ビルディアは涙袋に指を遣った。そして首を傾げながら、とすんとセスタの隣に腰を下ろした。

「やはり慣れない場所では眠れん」

「昨日までは大鼾をかいていたじゃないか」

「む……」

何故か歯切れの悪いビルディアをイリスがじっと見ていると、ふっと目が合ったが直ぐに逸らされた。そしてそのまま、ビルディアは運ばれてきた朝食に口をつける。

「戦の前だ。気が高ぶらない訳がないな」

「……まぁな」

「今日はゆっくりすれば良いよ。戦の準備は明日からだ」

始終口数の少ないビルディアに、セスタは一言声を掛けて自室へと戻っていった。後には黙々と食事をするビルディアと、立ち去る時機を失ったイリスが残された。


 沈黙の中、ビルディアが食事をする音だけが響く。

「ビルディア」

イリスが名を呼ぶと、ビルディアは忙しなく動かしていた手をぴたりと止めた。だが目を合わせ様としない。向かいに座っているというのに。

「ありがとう」

だがイリスの言葉に、ビルディアは飯で頬を膨らませたまま、イリスの顔を勢いよく見た。出た感謝の言葉を、意外だという様に。

「何を突然?」

「いや、貴方には世話になった。ビルディアやセスタ殿がいてくれて助かった」


 昨日までと比ぶべくもない程気の晴れたイリスを見て、何故かビルディアは気まずそうにもごもごと口を動かす。何か言いたい事でもありそうな彼をじっと見ていると、ビルディアは観念した様に口を開いた。その表情は何故か、叱られた子供のようだ。

「俺はお前の様にはなれん。嫌いな相手に『ありがとう』などとは言えない。人から妬まれ謗られても黙って頑張る事だって無理だ。憎き敵を前に、そんな冷静に戦に臨む事など考えられない。

 お前とは相容れない」

「そうかもな。だが始めからそうじゃないか」

 しれっと言うイリス。彼女の表情には、昨日まで落ち込んでいた様子は窺えない。

「ルシアナが憎いんだろう! だからお前みたいな冷静な奴があれ程取り乱したんだろう! なのに何故だ! 何故今そんなにも落ち着いていられる!」

 ビルディアは持っていたフォークをばしっと卓に置き、声を荒げた。溜め込んでいた苛立ちを吐き出す様に。イリスは黙って聞いている。

「俺はお前の様に冷静に戦など出来ん! 憎い仇敵を前にどうして……」

「私だって冷静じゃない」

ぽつりと呟いたイリスを、ビルディアは言葉を切って見つめた。自嘲する様に俯いたイリスを見て、少し言い過ぎたかと口を押さえた。

「私の故郷もルシアナに滅ぼされたらしい。記憶が蘇った今では、勿論憎いに決まってる。だが今血気に逸って特攻しても徒に命を脅かすだけだ。そうセスタ殿に言われた。私は時機を待とうと言い聞かせているだけだ、冷静である筈がないだろう」

「それが冷静だと言うんだ。俺は今すぐにでもニキア・ルシアナの首をあげたい」

「そうだな。此度の戦で、そうなれば良い」

 数多くの国に侵攻し、滅亡させてきた彼の国だ。ビルディアの様に考える者も少なくない筈だ。そして彼の国は、いつか、他国にしていた様に滅ぼされるのだろう。おごれる人も久しからず、因果応報だ。


「勝とうな、ビルディア」

 此度の戦は、今までにない程に劣勢だと聞く。だが絶対に負ける訳にはいかないのだ。記憶を取り戻した今だからこそ、尚。

「当たり前だ」

「で、寝不足の原因はそれか?」

「そう言われると餓鬼の様だが違いはない。戦が、待ち遠しい」

「あまり一人で突っ走らないでくれよ。一つしかない命だ、確実に仕留めるまで安売りは出来ないものな」

「お前は冷静に恐ろしい事を言う」

 ビルディアはもう一度イリスの顔を見遣ってから、再び朝食を口に運び出した。それを見てイリスも自室に戻ろうと腰を浮かせた時だった。

「お前、戦の時はいつもあれをするのか」

「あれ、とは何の事だ?」

「以前も唄を歌っているのを聞いた事があったが。なかなか上手いんだな、どこかで習って……」

 そう言いながらイリスを見て、ビルディアは言葉を止めた。

「き……聞いていた、のか……?」

そう言いながらビルディアを見るイリスの顔は、驚く程真っ赤だったのだ。それにはビルディアも呆気にとられていた。

「お前なんでそんな真っ赤に……」

「恥ずかしいに決まってるだろう! いや、それより黙っていてくれ。わざわざ言う必要ないじゃないか」

「いやだってあんな広場で歌ってたら誰かには聞かれるだろう。そんなに嫌がるとは……」

「もう言うな皆まで言うな」

そう言って顔を両手で覆ってしまったイリスを、ビルディアは微笑ましそうに見遣っていた。そしてイリスには解らないくらい小さく笑う。

「お前も人間だな」

「何を突然……」

イリスはまだほんのりと赤い頬のまま、顔をあげた。睨んでいるつもりだろうが、赤面したままではいつもの迫力はない。

「いつもの朴念仁とは違う」

そう言ってビルディアは再び飯を掻き込んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ