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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
砂漠の王国 バルク
22/82

21 理由

 数日後、報せを受けたサミーアが軍事司令を伴ってこちらに向かっている、と早馬によって告げられた。軍事司令を伴うという事、それは取りも直さず戦になるという事だ。イリスは言うまでもなく、ビルディアやセスタまでもが若干緊張した面持ちでサミーアを迎えたのだった。


「私達は貴女に寛大ですよ」

 部屋に座したサミーアの前で、頭を垂れたままの三人にサミーアは苦笑しながらも優しく声をかけた。その言葉にセスタがちらりと顔をあげる。

「敵兵は我が国の民を襲っていたとの事、陛下は大変憤っておられます。戦も已むなしと」

「ですがサミーア殿、戦ともなれば我が国に不利だとおっしゃっていたのでは……」

「ですから。今回の失態は戦で取り戻してくれるのでしょう、イリス?」

そう言って、サミーアはにっこりと笑った。その笑顔は優しげであるものの有無を言わせないもので、イリスは咄嗟に頷いた。

「戦になった時の不利益ばかり考えていましたが、勝てるのならばこれ以上の状況はありません。ルシアナの侵攻を恐れる事なく我らは内政を整える事が出来るのですから」

サミーアは扇子をはためかせてそう続ける。


 この地は王城の地に比べれば然程暑くないが、サミーアは気持ちを落ち着かせる為か扇子を動かし続けていた。その表情には戦になった事への憂いはなく、ただ現実に起こる戦への前向きさだけがあった。

「戦をするのならば後は勝つ事だけを考えていきましょう。その為にビルディア、セスタ殿、イリスには司令と共に先鋒を務めて頂きます。果たし得なかった勤め、今度こそお願いしますね」

「承知しました。必ず勝利を手にしてみせます」

「では、いつ敵が攻め入るや解りませんからしっかりと準備をお願いします」

そう言ってサミーアは扇子をパチンと閉めて置いた。それを合図に、セスタとビルディアが頭を下げて座を辞する。


 二人に倣ってイリスも腰を上げた、のだが。

「貴女は少し残って頂けますか」

サミーアに呼びとめられ、思わずビルディアとセスタを見遣ると。二人は「頑張れ」とでも言う様な視線をイリスに送って、部屋を出て行った。イリスは観念して、再びサミーアの前に腰を下ろす。自分の仕出かしてしまった事の大きさに、イリスは顔を強張らせながらサミーアを見遣った。

「取って喰らう訳ではありませんから、そんなに怯えないで下さい……」

半ば呆れた様子を見せながら、サミーアは苦笑した。だがイリスは、その緊張を解けないまま口を開いた。

「己の仕出かした事の重大さは理解しているつもりです。だからこそ、陛下の温情は有り難過ぎて……」

「今、此処には私と貴女しか居ません。ですから腹を割って話せるでしょう」

「はい。……何でしょうか」

「先ずは、戦になった経緯ですね。貴女にだけは詳細を伝えておいていいでしょう。貴女が斬ったという賊ですが、やはりルシアナの兵でした。しかも中々の地位です」

「やはり……そうですか」

「ルシアナはそれを理由に戦を仕掛け来ようとしています。その為にこの集落を襲っていたようなものですからね。斬った兵が名家の出というのもあちらにとっては究竟であったでしょう」

 サミーアはでそこまで言って、イリスから目を逸らし暫く間を置く。イリスはじっと座ったまま言葉を待った。

「まぁ此処までは概ね予想範囲内です。此処までは、ですが」

そう言って、サミーアはイリスの眼をじっと見詰めた。まるでイリスの心の機微を見逃すまい、というように。そしてそのまま言葉を続ける。

「私が解せないのは、貴女程の洞察力があれば解り得る筈の事柄を貴女が見落としていたという事です」

「……」

「いえ、恐らく見落としていたのではありませんね……。貴女は、賊がルシアナの兵であり身分も有る人間だという事に気付いて、その上で斬ったのです。違いますか?」

「……」

「沈黙は是として捉えますよ」


 穏やかな口調ながらも有無を言わさぬサミーアの物言いは、是非を確かめる類いの物ではなかった。サミーアには、確かめる迄もなくそれが事実であると解っていたのだ。認めてしまうと、今度は何故その様な事をしたのか問われるだろう。

 いや、寧ろサミーアはそれを尋ねたくて、イリスをこの場に残したのだ。だがそれを説明するには、彼女は己というものを語らねばならない。それは今の緒李にはなかなか難しい事だった。

 だが。

「……貴方の仰る通りです」

イリスは小さく認めたのだ。

「そうですか。ならば質問を変えます。努々殺してはならない、との達しがあった筈です。それにも関わらず貴女は殺した。而も身分の高い者を。何故そのような事をしたのかお聞かせ願えますか」

「理解し難い理由でも、でしょうか?」

「伺いましょう」

 いつもと変わらぬ、サミーアの優しい口調。だがこればかりははぐらかせるものではない。それでもイリスは、説明するに些か躊躇があった。

「サミーア殿。では私が今、説明し得る部分だけお話し致します。だが私にはまだ……話せない事が」

「何故です」

「まだ私は己の全てを受け止めきれていないのです。得た記憶も途切れ途切れではっきりともしません」


 サミーアは僅かに眉を顰め、一瞬だけ切れ長の目を更に薄く細めた。だが、次の瞬間にはもう元の表情へと戻り、ゆっくりと頷いた。

「解りました。どうしてもというのなら、話せる範囲で伺いましょう。ただし一つだけ、条件があります。今はまだ聞かないでおきますが……次に尋ねる事があった場合には、話せるようにしておいて下さい」

サミーアの顔は真剣そのもので、イリスは一瞬逡巡した。だが、今の自分には頷く以外の選択肢は無いのだ。

「それで宜しければ」

 イリスは頭を垂れながら、しっかりと言葉を紡いだ。それを認め、サミーアは一度だけゆっくりと頷く。それを話を促す合図として、イリスは話し辛いといった様に目を伏せ口を開いた。


□□□□


 ──その日、イリスと母は着飾っていた。まだ少女と呼ぶに相応しい齢のイリスは着飾る自分が不満なようで仏頂面をしていた。そんなイリスを美しい母は何事か言って諭していたが、イリスはそんな母の言葉を聞き流していた。

 母は美しかった。普段は化粧っ気がなかったがそれでも美女として他国でも噂される程だった母が、着飾ればその美しさは際立つものがあった。

 穏やかな時間が流れていた、その時だった。俄かに町中が騒がしくなり、悲鳴や怒声が響き渡ったのは。

『何事ですか⁉︎』

母が声を上げた時、大きな音を立ててイリスと母のいる部屋の扉が開かれた。そこに立っていたのは数人の男。男たちは部屋に入って来るなり、母を見つけて好色な笑みを浮かべた。母は危険を察知したのだろう、イリスを背に隠し、何かを探す様に辺りを見回した。

『やっちまうか?』

『いいんじゃね?』

『ばれたりしねぇだろ』

 男たちは嫌な笑みを顔に貼付けたまま、何事かを言いながら母へと距離を詰める。何が起ころうとしているのか、イリスにも解った。男たちが母に掴みかかったのと同時に、母はイリスの背を押して部屋の窓から彼女を逃がした。

『逃げなさいイリス!』

 そして僅かな時間稼ぎの為、窓の格子を閉め、鍵をかけた。咄嗟の事にイリスは脚を動かす事が出来ず、暫く窓の外の僅かな足場に立ち竦んでいた。

 母に襲い掛かる男たち。何とか止めようと格子を揺するが、閉められた鍵の為にそれは叶わず。

『母上! 母上ぇっ!』

涙ながらにイリスは声を上げた。その声に母は一度だけイリスに視線を寄越して口を開いた。

『逃げなさい』

鳥型の紋章をその身に記した兵たちは、その背で母の姿を隠してしまった。次々と剥がされていく母の衣服を、イリスは茫然としたまま見詰めていた。

 力無く床に落ちる母の白い腕が、イリスの目蓋に酷く鮮明に焼き付いたのだった。


□□□□


「母は蹂躙されて殺されたのだと思います。私がこの前思い出したのはそれだけでした。母の姿が、あの女性に重なったのです」

「それで思わず殺してしまった、と」

「私が紅鼠の国の出で、祖国がルシアナによって滅んだのは聞き知っていました。記憶のなかった私にはそれ程度だったのです。ですがその時の事を僅かばかりでも思い出した今、私の中にとてつもない憎悪が渦巻いているのを感じます」

「そうですか。色々な事が納得出来た気がします」

「色々な事ですか」

「何故貴女が、此れ程までに重用されているのか。ね」

「理由があるのですか」

「ええ。貴女が紅鼠の国の出だからですよ」

 そう言って、サミーアは笑った。何故笑うのかイリスには分からなかったが、彼はひどくすっきりした顔をしていた。

「元々貴女の事は信用できていたのですけれどね。共にアスランへ行った時から」

「さっぱり要領を得ません。何の事ですか」

「事は我が君アルヴァ陛下にも話が及びますので、私からおいそれと話す訳にはいかないのです」

「そう、ですか」

「では私も、貴女を守る為に知恵を絞りましょう。まずは来るルシアナとの戦です。必ず勝ちますよ」

「了解しました」

イリスは今一度深々と頭を下げた。


 サミーアの言葉は含みがあり過ぎて、いまいち分からない。だがはっきりしているのは。自分の失態は来る次の戦で取り返すしかない、という事だ。失態を取り戻すだけではない、下手を打てばバルク王国をも揺るがす事態になりかねないのだから。


□□□□


 イリスがサミーアに尋問されている頃、先に部屋を出ていたセスタとビルディアは別の部屋で話をしていた。彼らはイリスが何故あの様に取り乱したのか、知り得ていなかったのだ。

「良かったのか? 理由を聞かないで」

「あんな様子の彼女にかい? それは少々酷だろう」

「だが、任を果たせなかった以上何らかの叱責があるかも知れん。もしそうなった時、事情も知らなければあいつを庇う事もままならんぞ」

その言葉にセスタは一度考え込んだが、目を伏せ小さく首を振った。

「彼女はそんな事を望んでいないだろう。イリスが罷免されるというならまだしも、彼女の責は問われないんだから」

セスタが目を伏せてそう言ったのを聞いて、ビルディアは呆れたように嘆息した。

「興味本位ではないだろう。お前は上官なんだから知っておくべきではないか」

「分かっている。だがそれは今サミーア殿がなさっている。私の領分ではないよ」

「そうか。ならもう言わないが」

 釈然としない表情でそう言ったビルディアは、落ち着きなく手の中で拳銃を弄んだ。

 彼は今回一番イリスの処遇を気にかけている。その理由を、セスタは分かっていた。

 もしかしたら今サミーアの尋問を受けているのはビルディアであった可能性もあったのだ。彼もまた祖国をルシアナに奪われた人であり、此度の視察の内容に大きな不満を抱いていたのだから。


「イリスが出て来たみたいだね。ちょっと行ってくるよ」

「ああ」

セスタが部屋を出て行くと、残されたビルディアは再び落ち着きなく拳銃を弄んでいた。


□□□□


 部屋を出たイリスは、深い溜息を吐いた。正直思い出した事といえば、母を蹂躙し殺したのがルシアナであるという事だけだ。武人であれば家族を失う覚悟も決めていた筈だし、戦闘種族であるなら尚更だ。なのにどうして此れ程までに感情の制御が出来ないのか。この絶大な憎悪の感情は何故なのか。肝心な事が思い出せないでいた。


「イリス」

 優しげなセスタの声。イリスはひどくほっとして、そしてひどく謝罪の念に駆られた。

「セスタ殿‥‥‥申し訳ありません」

「謝罪はもう良いから。大丈夫かい?」

「はい。もう落ち着きました」

「良かった。これから戦になるんだ、平静でなければいけないからね」

そう言ってセスタは穏やかに微笑んだ。その顔を見て、イリスは逆に謝罪の念を膨らませてしまう。セスタが自分を責めないのが分かっているからだ。

「理由を聞かないのですか」

「ん、何がだい?」

「理由です。何故こんな事を仕出かしてしまったのか、気になるでしょう」

「いいや、無理矢理聞こうとは思わないよ。君が話したくなった時に話してくれれば良い」

 そうセスタは言う。やはり彼は優しい保護者の様だ。どろどろに甘やかされている気がして、イリスは首を振った。混乱していても、彼女は庇護されていたくなかったのだ。


「私は、母を亡くしていたようです。件の女性の様にルシアナの兵に蹂躙されて殺されたのです。それだけを思い出しました」

「そうか」

「今まで戦に特別な感情など抱いていませんでした。心を揺らす事などなかった。ですが、今は抑えきれない怨悪の情を感じます」

「ならば逆に冷静にならなければいけないね」

セスタは俯くイリスの背を優しく撫でる。まるで幼子にする様なそれに、イリスは泣きたくなった。

 でも泣いてはいけない、自分の失態でこれを招いたのだから。

 セスタは言葉を続ける。

「敵討ちをするな、なんて言わないよ。その感情はきっと君やビルディアにとって大切なものだ。だが逸ってはいけない。仇討ちで命を落とすのは弔いにもならない」

「そうですね。その通りです」

「冷静になろう。君なら出来る」

 そうだ。自分は怨恨の念で命を落とす訳にはいかないのだ。未熟さ故に大切な仲間を亡くし、二度と同じ轍は踏むまいと決意したのは、昔の事ではない。心を強く持ち、強くあろうと決めたではないか。

「その為にも、ルシアナを退けねばなりませんね」

「そうだね。ルシアナの意図通りに事が動くのも癪だろう?」

「ええ。有り難うございます、セスタ殿」

 イリスは顔を上げた。正直まだ胸に燻る感情はある。だがセスタの言葉の所為か、イリスの心持ちは自分でも驚く程変わっていた。


 先ずは勝たねばならないのだ。来たるルシアナとの戦に。自分の失態が招いた、劣勢の戦に。顔を上げたイリスの目は、もう色を亡くしてはいなかった。

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