19 叢雲
イリス達の滞在の為に二つの家が貸し出された。一つは将の為、もう一つは率いてきた兵達の為だ。どうやら賊に襲われるようになってから、この集落からは日毎に人が出ていってしまっているという。その為に空き家が数多くあり、兵達の滞在先には困らなかったのだが。最初受けたこの集落の物悲しい雰囲気はこの為だったのだ。
イリス達は屋敷に着くと、自然と居間らしき部屋に集まる。何故かビルディアが居辛そうにして、イリスはいつにない彼の様子に首を傾げた。
「なかなかに厄介な案件ですね」
「そうだね。相手が敵国であるのがどうにも動きづらい」
「山賊などでしたら討つだけで良いのでしょうが」
「全くだ」
額を寄せて三人で話し合う。
取り敢えず、明日からは集落の出入り口である二つの道路をセスタ、ビルディアがそれぞれ警備する事となった。
「では私は村の主だった場所を巡回する事とします」
「うん。後で村長殿が地図を持って来てくれる様だから、それと照らし合わせようか」
それからイリスたちは夕食までの間、各々自由な時間を過ごす事となった。イリスは、宛がわれた自室へと向かおうとするセスタへと声を掛けた。
「セスタ殿、少し良ろしいでしょうか」
「何かな? 今回の案件かい?」
「ええ。どうしても解らないのですが…我が国の面子を立てつつ戦を避けるとは…一体どうすれば?」
「難しい事だよ。私にもはっきりとは言えないが……。例えばの話、君が誰かに喧嘩を吹っかけたとして……相手に反応が無ければ、君はどうする?」
「むきになるでしょう。挑発行為を激化させるやも知れません」
「今のルシアナがその状態だ。ならば逆に、その状態で君はどうされれば矛を収めようと思う?」
セスタの質問に、イリスは一瞬目を瞬かせて口を噤んだ。だが直ぐに思案して結論を紡ぐ。
「私ならば……相手が喧嘩に乗らないとはっきりと解ってしまえば諦めがつくと思います。いつまでも乗ってこない相手に挑発を続けるのも恥ですし」
そう言うと、セスタが指を立てて頷いた。恐らく彼が考えていた事も同じなのだろう。
「戦を避ける為には挑発に乗るのは愚行だ。だが無視を続ければ相手の挑発は激化するばかり。つまり我々は、挑発には反応しつつ乗らないでおく」
「……つまり?」
「来る相手だけを退け、追いはしない。そうしてやがて相手が諦めるのを待つ」
「長丁場になりそうですね」
「だが、それしかないだろう?」
セスタが確信を持った様ににこりと笑う。イリスにも、それしか方法はないと思えた。
「来る相手だけを殺さずに退けて、様子を見る。それが私達のすべき事だ」
「良く解りました。有り難うございますセスタ殿」
イリスは小さく頭を下げると、踵を返して広間を後にした。
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イリスを見送ると、二人の様子を座って窺っていたビルディアが、声を上げてセスタを呼んだ。
「何故そんな回りくどい真似を? 我が国が荒らされてるんだぞ。黙っていては沽券に関わる」
「仕方ない。時期が悪いんだ。私たちにもっと国力があればこんな事はせずに済む」
「……皆がそんな心持ちならもう何も言うまい。だが今回、陛下の気が引けた結果なら、俺は戦も已むなしとするぞ」
「それは有り得ない。何処の誰が好き好んで敵国の勝手を許すものか」
「……ならばもう俺は指示通り動こう。勝手について来た身だ。余り我が儘は許されないだろうからな」
少し気色ばんでいたビルディアだったが、話を終えると少しその様子を潜めさせ、今し方イリスが出て行った戸口を横目で見遣った。
「なかなか素直だな、あの女」
「イリスの事か?」
「俺に対する態度とはえらい違いだ」
ビルディアの言葉に、僅かにセスタは目をしばたたいた。対するビルディアはじっと彼の目を見詰めている。セスタの目に宿る何かを見抜こうとする様に。
「そうかな。私からすれば、君に対する遠慮ない態度こそ気を許しているのだと思うけれど」
「あれがか? ……ないない気色の悪い事言うな」
「どうして君はそういう言い方をするかな……。仲間だろう、少なくとも視察に同行しようと思うくらいには」
セスタの言葉に含まれた若干の棘を感じたのか、ビルディアはぴくりと眉を上げた。そして様子を窺うようにじっと、セスタの顔を窺っている。分かりやすいな、とセスタは思った。現に今ビルディアは、意を決した様にこくりと喉を動かしている。
「なぁセスタ。怒っているのか、俺が同行した事」
「何故私が?」
「折角の二人での遠征だったんだ。俺がついて来て邪魔したかと」
今度はセスタが眉を上げる番だった。
「何故、私が邪魔だと思うと?」
「え⁉︎ いや……」
「……?」
「お前とイリスは…恋仲なのだろう?」
言ってから恐る恐る顔を上げるビルディアを見て、やはり厄介だとセスタは眉を寄せた。機微に敏くないビルディアに悟られる程に、自分は態度に出ているらしい。
「何を言い出すかと思えば……」
「ち、違うのか⁉︎ もう本当の事を教えてくれ! もう居た堪れない……」
そう言ってはぁと大息を吐くビルディア。恐らく先程から居辛そうにしていたのはその為だったのだろう、とセスタは合点する。同時に、空気の読めないビルディアがここまで気を揉んでいたのかと同情も禁じ得なかった。
「恋仲……か」
ぽつりとセスタが呟く。
「違うよ、残念ながらね」
「だがお前はあいつを……」
「察しはついているのだろう?」
「……そうか」
ビルディアは、セスタの想いは既に察している。別段隠す事もないだろう、とセスタは素直にそれを認めた。若干の気恥ずかしさはあったが。
「すまない。個人的な事にずけずけと……」
「いや、気にしないでいい。公私を混同しているのは私だ」
「……大丈夫か?」
「ふっ……ビルディアに心配されるなんてな」
セスタは自嘲した。今回の視察、なかなかに厄介な案件なのだ。この様な浮ついた気持ちでは満足のいく結果をもたらせる事が出来ない。もう一度気を引き締めなくては。
「ビルディアに覚られるとは……私もまだまだだな」
「なぁセスタ?」
「ん?」
ビルディアが怪訝そうな顔でセスタを見上げている。なんだと尋ねれば、ビルディアはその端正な顔をぐにゃりと歪め、笑いを堪えるように言った。
「……あの女の何処が良いんだ?」
「は?」
「だから。あの女の何がいいのか俺にはさっぱり分からん。顔か?」
「……ビルディア」
「いや、まぁお前の女の好みをとやかく言う訳じゃないが……。顔だけで女を選ぶのは感心せんぞ」
「……」
「ましてや、口は悪い。性格も難あり。男か女か分からん振る舞いだぞ」
「ビルディア」
「俺にはとても理解でき……ん?」
ひとしきりイリスの事を笑ったビルディアは、セスタの表情を見てその笑みをぴたりと止めた。セスタの顔には笑みがうかんでいるが、先程までのそれとは本質が違うもので。
「私が自分の想い人の魅力を素直に話す人間に見えるかい?」
「……いや」
セスタはビルディアの返事を聞いてにこりと笑った。
「君は知らなくても良いよ」
「すみません……」
満足げに笑うセスタを見て、ビルディアは納得がいかないと言う様に口を尖らせたのだった。
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翌日、昨日より幾分か気が軽くなっているらしいビルディア、とセスタは、手筈通りに集落の二つの出入口をそれぞれ十人ずつ連れて見張っていた。イリスは先駆隊のうち数人の者と遊撃隊として、集落の中を巡回していた。一日目、二日目とも異変はなく、恐らく明日来るであろうという見解が皆に広がっていた。こちらは待ち受けていたのだ。
三日目。ビルディアは、遥か先に砂塵を巻き上げて走って来る騎馬の群れを見つけ、心中『やっとか』と呟いた。騎馬の数が多いのは気のせいだろうか。賊の襲来を知らせる為、隊のうちの一人を伝令として、イリスとセスタの元へと走らせる。そして剣を腰の鞘から抜いて外し、臨戦体制に入った。
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セスタは伝令を受けると、槍を構えて援助に行こうかと思案した。予め受けていた報告によると、やって来る賊は先駆隊と同等の兵数らしい。ならばわざわざ隊を分けて勢力を分散させはしないだろう。そう思って隊に指示を飛ばそうとした時だった。
「なに……?」
セスタは目を疑った。自分の読みとは違い、担当する出入口に押し寄せる騎馬隊。あれは報告を受けた兵数を遥かに上回るのではないか。もしそうだとしたら。
「君‼︎」
伝令を終えた彼は、ビルディアの元へと踵を返した所だった。呼び止めて、新たな伝令を指示する。
「兵力はあちらに分がある。弛まぬ様に、と。生き残る事が第一だ」
伝令の彼は頷くと大急ぎで駆けて行った。それを見送ると、セスタは鋭い視線を騎馬隊へと向けた。
《殺さぬように、退けよ》
骨の折れる事だ、と溜息を一つ吐いて。
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ビルディア、セスタ共の伝令を聞いたイリスは、鉄鞭をぴしりと地に打ち付けた。何故我等が来た途端兵力が増えたのか。こちらの情報が漏れていたのだ。イリスは小さく眉を顰めて、大通りをへと向かった。
この集落の何処に行くにも通る事になるであろう、一番大きな通り。そこに僅かに五人の先駆隊の兵を連れて仁王立ちになる。村人たちは皆戸口を固く閉め、家に閉じこもっている。
やがて、集落の二つの出入口の方で喧騒が上がった。戦いが始まったのだ。
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ビルディアは、報告されていたよりも遥かに多い賊達を相手しながら舌を打った。
「一体何なんだ!相手は十数人ではなかったのか‼︎ ……っく!」
苛々を吐き出す様に叫びながら、賊を薙ぎ払う。命を奪ってはいけない、つまり彼は拳銃を使ってはいけなかった。慣れない得物を振り回して、ビルディアは必死に兵を退けていた。連れの十人も必死に戦っている様だった。だが多寡で勝る相手を全て相手にする事は出来ず。
「あっ! くそっ!」
数人、それも中では立場の高そうな者達が集落に侵入するのを許してしまった。内心舌打ちをするが、集落にはイリスが待ち構えているはず。あの女ならば心配はないだろうと思い直し、今は眼前の賊に意識を集中する。彼の中では、賊数人の侵入など不安材料にも成り得なかったのだ。
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ちょうどその頃。イリスは大通りから少し離れた所で、セスタ側の出入口からなだれ込む賊を相手にしていた。先駆隊では歯が立たなかったとは、一体どんな兵かと思っていたのだが、何の事はない。荒くれ者、といった感が拭えなかった。まぁそこらの賊よりは腕が立つのは確かだが。
鞭を武器とし、体術を得意とするイリスには、相手を殺さずに行動選択の余地を奪う事などた易かったのだ。先ず鉄鞭で相手の武器を搦め捕り、奪う。そして殺さぬ様、こめかみや顎などを狙って拳や爪先を繰り出す。そうすれば敵は簡単に意識を失っていった。多少の出血には目を瞑ってもらおう。
そうして自分に群がる敵を相手にし終え、イリスは武器を下ろし一呼吸ついた。まだ二つの出入口では戦っているのだろう、その気配がある。その時だった。
「きゃあぁぁぁぁ……っ!」
恐怖を帯びた女性の叫び声。大通りの方角から聞こえたそれは、考えるまでもなく集落に住む女性のもので。
「……くそっ!」
イリスは大通りへと走り出した。率いる五人の先駆隊の兵たちが驚いた様に彼女を見詰め、一呼吸おいた後に走り出す。ビルディア側の出入口からも、賊が侵入していたのだ。
大通りに辿り着いたイリスは、悲鳴の先を急いで探す。締め切っているはずの集落の中に、一つだけ乱暴に開け放された小さな家。そこに狙いを定めてイリスは飛び込んだ。
「……っ!」
イリスは声にならない息を飲み、目を見開く。一足遅れて飛び込んできた兵たちも皆固まって息を飲んだ。
賊数人に蹂躙される妙齢の女性。見開かれた女性の瞳。浮き出る恐怖。口の端から流れる血。涙。必死の形相で目が合ったイリスに訴えかけている。
「たっ……助けて──!」
その女性の言葉に、イリスの理性が飛んだ。
「ああぁぁぁぁー‥‥‥っ!」
瞳孔の開いた眼差しで、悲鳴にならない絶叫をあげ、鉄鞭を振り上げる。その時、配下の兵の一人がイリスの武器を奪い取った。
「なりません! イリス殿!」
必死な形相でイリスを宥める兵にも彼女の理性は戻らず。正気を失ったままのイリスは憎悪の篭った眼差しを賊に向けた。そして女性を蹂躙する賊の一人に踵を落とし、その武器を、奪ってしまったのだ。
あとは一瞬だった。配下の兵が気付いた時にはもう既に賊の背中から剣が深々と突き刺さり、切っ先が胸から覗いていた。その剣先から赤い雫が、乱れた姿の女性の頬にぽとり、と垂れる。
イリスは目を見開いたまま、やすやすとその剣を引き抜き、それを別の賊に向けた。跳ね返るおびただしい赤には気にも留めず。その剣は一瞬でその場の賊全員の生命活動を奪ったのだった。
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ビルディアは、出入口に群がる賊を粗方相手にし終えて、息をついた。最初に取り逃がした身分の高そうな者を除けば、全てを始末している筈だ。取り逃がした者にしても、中にいるイリスが片付けているだろう、と大して気にも留めていなかった。
だから、イリスと共に巡回にあたっていた兵が取り乱して自分の元にやってきた時、ビルディアは何が起こったのか解らなかったのだ。
「イリス殿が……っこ、殺して……!!」
やっとの事でそう切れ切れに紡いだ兵を押しのけて、ビルディアは大通りへと向かった。一つだけ扉が開いている家を見つけ、ビルディアは剣を構えながらその家に飛び込んだ。
そこには。血塗れで倒れる、自分が取り逃がした賊数人。その側で返り血を浴びて震えている乱れた姿の女性と。血濡れの剣を片手に持ったまま呆然と立ち尽くしているイリスの姿があった。