18 視察
出立の日、まだ日の出きらない朝早く、城門の前で馬に跨がりその時を待つ。隣には馬に乗ったビルディアがいた。夕べは夜遅くまでシルヴィアに執務をさせられていた様で、少し眠そうに欠伸を噛み殺している。セスタの隊の精鋭たち二十名も整列をし、そこに立っていた。
暫くして、細かい指示をサミーアから受けたらしいセスタが馬に跨がってこちらにやってきた。
「やあ待たせたね。では行こう」
そうしてイリスたち一行は、北の国境への道程を進んで行った。
道すがら、イリスは隣を歩くセスタに声を掛けた。
「不穏な動きとは……詳しく説明がありましたか」
「いや……詳しくはサミーア殿にも解っていらっしゃらない様だよ。ただ追い剥ぎや掠奪なんかが多発しているらしくてね、それがどうやらルシアナの方から来るらしいんだ」
「追い剥ぎ? それは所謂山賊の類ではないのですか」
「うん。その地の者の話では山賊にしては見形が悪くないらしい」
「そうですか。厄介な事にならねば良いですが」
「全くだ。そこはサミーア殿にも念を押されたよ。くれぐれも軽はずみな行動は慎む様にってね」
その言葉に、イリスもゆっくりと頷いた。心してかからねばならないと今一度自分を戒めて。
そうしてちらりとビルディアを窺う。何故かイリスの方を見ていたらしいビルディアとはたと目が合って、思わず逸らした。ビルディアが何か起こさないか心配だ、なんて言ったら、彼はまた騒ぎ出すだろうから。
「しかし……ビルディアが付いて来たのは意外だったな。第一印象のせいか君とは仲がよくない様に見えたからね」
隣のセスタが薄く笑みながらそう言った。イリスはくるりとセスタに顔を向けて、苦笑を浮かべる。
「まぁ……彼は執務から逃げ出したかっただけです。私が居ようが居まいが関係なかったのでしょう」
「私に言わせれば、お互い手探りで仲直りのきっかけを探ってる様に見えるね」
「ビルディアがですか?」
「あぁ。勿論君も」
セスタの言葉に驚き、目を見張って彼を見遣る。彼は何故か切なげな笑顔をしてイリスに優しく言った。
「まぁ、二人とも素直じゃないからね」
その言い方に、イリスは思わず吹き出した。ひとしきり笑った後セスタを見る。
「貴方は本当に私の保護者の様です。それもとびきり甘やかしてくれる」
「はは。また言われてしまったな」
笑うセスタは何故かまた少し切なそうな表情をした。
ビルディアは前を歩くイリスとセスタをじっと見ていた。
特に何の気はない。全員が馬に乗っている訳ではないので、隊の動きはゆったりとしたものだ。それ故馬に乗っているビルディア、ぼうっと前を行く二人を見ていたのだった。だが先程、セスタと話していて弾かれたように笑うイリスを見てから、ビルディアは二人の様子を注意深く観察しているのだ。
いつも、誰の前でも限らず、イリスは喜怒哀楽を表に出さない。それはセスタの前でも同じだと、ビルディアはずっと思っていた。だが先程からの様子を見るに、イリスはセスタには気を許しているらしかった。いや、もしかしたら気を許している程度ではないかも知れない。
セスタもそうだ。この前ははぐらかされたが、表情を見ている限りセスタがイリスを女として見ている事はほぼ間違いないだろう。それ程に、セスタのイリスを見る目は穏やかで熱っぽかった。
もしかしたらこの二人。恋仲ではないか。
そう思った瞬間、ビルディアは冷や汗が吹き出る思いだった。
つまり無理矢理付いて来た俺は完全なる邪魔者ではないか! 恋仲の二人の邪魔になりながら何日間も視察に行くくらいなら、執務をさせられていた方がマシだったかも知れない、と今更ながらに少し後悔するビルディアだった。
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昼は馬を歩かせ、幕を張る事幾晩か。日も沈みそうな夕刻になって、ルシアナとの国境近くの集落が見えてきた。北の国ルシアナとの国境だけあって、バルク独特の砂漠はこの辺りには見当たらない。王城近くとは違う、涼しい風が髪を撫でる。集落は小さなものだが、それとは別のひっそりとした静けさがあった。
別動隊として先駆けていた者が、セスタたちの前に歩み寄る。
「御足労頂き有り難うございます。早速ですが状況の説明を」
そう言って集落の中でも一際大きな屋敷へと案内した。
道すがら辺りを見渡すと、畑が数多く見られ、この集落は自給自足の村なのだろうと窺われた。だがその畑はどれもこれも荒らされた様で、酷いものは蹄の跡が残っている。
「想像以上に酷いですね」
「そうだね……。追い剥ぎなどと聞いていたが様子が違う様だ」
屋敷へと足を向けながらセスタとイリスはひそひそと囁き合う。
そう、畑の荒らされ方は掠奪されたと言うよりは、踏み荒らされたと言った方がしっくりくる。違和感を感じながら、イリスたちは案内された通り屋敷に足を踏み入れたのだった。
「早速ですが、状況を説明させて頂きます。私がこの村の長を務めている者です」
深々と頭を下げて、村長が口を開いた。イリスたちは向かいに座して、村長の話に聴き入る。
「ほぼ三月程前になります。武器を持った男たちが来て、畑の作物を奪って行ったのです。我々は見ての通り自給自足の生活で、商いをもっていませんので、直ぐに生活が困難になりました」
「そこまでは存じております。護衛と食物の運搬の為に先駆隊を派遣しましたね」
「そうなんです。ですが……」
ちらりと村長が視線を移す。目を寄越された先駆隊の長が、怖ず怖ずと声をあげた。
「恥ずかしながら、我々では歯が立ちませんでした。兵の多寡では勝るとも劣らない筈ですが、なかなかの手練らしく……」
「山賊かとも思っていたのです。ですが最初は奪われていた作物が荒らされるだけに変わりました。その者たちの見形も悪くなく、馬にもしっかり蹄鉄がつけられておりまして……」
村長と先駆隊長が言葉を濁す。
イリスとセスタは顔を見合わせた。村長たちは恐れ多くて口に出来ないといった様子で俯いている。認めてしまえば戦にならざるを得ない、そんな危惧が口を噤ませているらしかった。
「ルシアナの関係者の線が濃いという事か?」
ビルディアが後ろから声をあげた。その直接的な物言いに、皆の視線が彼に集まる。
「何だ? ルシアナの方から来るんだろ? 見形は悪くない、作物も取って行かない、それでいて腕も立つ。下手すりゃ兵なんじゃないか?」
ビルディアの言葉に誰も異論を唱えなかった。誰もが心の内で思っていた事だ、口に出してしまえば話が進むのは早い。
更にビルディアが言葉を続けた。
「ならルシアナの兵だったとして、奴らの目的は何だと思うんだ?」
「我々が見る限り、戦を仕掛け来るという雰囲気ではありません」
「恐らくだが挑発行為でしかないだろう」
セスタが顎に手を当てながら静かに呟いた。皆がその続きをじっと待つ。
「恐らくこちらに戦の構えがあるかどうか確かめたいのだ。ルシアナからすれば、バルクが内政に専念している今が攻め時なのだろう」
「ならば何故この様な回りくどい真似を? 国力の差から鑑みても、ルシアナが躊躇する理由などないのではないか?」
「彼の国はハカム川合戦で痛い目を見たからね。ルシアナが今一番恐れているのは、我らとアスランが再び手を結ぶ事だ。余り直接的に戦を仕掛けてはそうなりかねない、と考えているんだろう」
「では、戦を避けながら我々に戦の構えがある事を示せば良いと?」
「……言葉にすれば簡単だけど、なかなか困難な話だよ」
セスタは困ったように息を吐いた。
それはそうだ。下手にこちらが戦の構えをすると、ルシアナの方も引っ込みがつかなくなって戦にならざるを得ない。ルシアナは戦の大義を求めているのだから。ではどうすれば良いのか。
「取り敢えず相手の出方を見てみようか。村長殿、賊は結構な頻度で来るのでしょう?次の目安は付きますか?」
セスタが村長にそう尋ねると、村長は重い表情をした。
解らないでもない。賊が来る事とはつまりこの集落にとっては禍が来る事なのだ。
「この所以前よりも頻繁に来るようになっております。最近では週に一度は。少なくとも三日以内には来ると思われます」
「かなりの頻度だな。ならばその時の奴らの出方を窺う。それでいいんだな」
ビルディアそう確かめると、皆がゆっくりと頷いた。はたと気付いたようにセスタが口を開く。
「くれぐれも言っておくが追い返すだけだ、殺めぬ様に。腕が立つようだし、相手が高い身分だとそれが原因で戦になりかねない」
「承知した」
みな一様に頷く。
戦を避けつつ、我が国の体面を立てる事。それがイリスたちに課せられた任務だ。それがなかなかに難しい事だと、その場にいた者は皆頭を抱えたのだった。