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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
砂漠の王国 バルク
16/82

15 犬猿

 その日イリスは嬉々としてサミーアの背後に付いて歩いていた。

 今まで延ばしに延ばしていたイリスの私室の件であったが、将となった今王城の一室が与えられる事に決まったのだ。怪我もほぼ完治した、これからまた新たに邁進しよう、そんな気迫のこもったイリスの足取りは、部屋に近づくにつれて重くなっていた。

 そしてサミーアに部屋を示されたイリスは、彼には見せた事のない程げんなりとした表情だった。

「ここ、ですか」

「どうかしましたか? ここならばセスタ殿の部屋も近いですし、隣は同僚ですから仕事もし易いでしょう。これからは貴女方にも働いてもらいませんと、人手が足りぬのですよ」

「了解致しました……」

「新たに副将となった方にはお会いしたのでしょう?」

「はぁ、しました」

「ならば良いです。では書類を持って来させますから、仕事をお願いしますね」

「はい」

そう言って、サミーアは忙しそうに去って行った。


 ここ度重なる戦でバルクは疲弊していた。いや、それはバルクだけではなく、連合軍に敗戦を喫したルシアナやジャンナトの地を失ったアスランもだった。三国はこぞって内政を整え、国力を付ける事に躍起になっているのだ。

 だから今サミーアの様な政務官たちは今までになく忙しいらしい。人手が足りず、書類仕事が軍人であるイリス達に回ってくる程にだった。

 自室となった部屋の扉を見遣る。隣はなんとビルディアの私室だった。サミーアは良かれと思って計らってくれたのだろうが、顔を合わせたらまた揉めてしまいそうだ、とイリスは溜め息を吐いた。

 部屋に入ってみると質素だがなかなか広い部屋だった。机の上には、もう既に山になって書類が乗っている。先程サミーアは更に持って来させると言っていたが。

「景色が良いのだな」

窓を開けると、もわっと音がしそうな程の熱風が入って来る。

 これから夏が来るのだ、砂漠のバルクの夏は厳しい。それを窺えそうな、刺す様な日差しと市に沸く城下、そしてあいも変わらない一面の砂漠が臨めた。


 不意にノックの音が聞こえ返事をすると、入って来たのはセスタだった。彼は、ビルディアの隣なんだね、と少し渋い顔をしている。

「もう大丈夫だとは思うけれど……何かあれば言うんだよ」

「心配し過ぎです。私が軍人と分かった今彼も何かしようとは思わぬでしょう」

「だとは思うが、念の為だよ。ところでもう直ぐ新たに配下となった部隊の調練だろう。行こうか」

「はい」

そうして二人で連れ立って調練場へと向かうと、そこに居たのは異国の風貌の軍隊だった。


 イリスはジャンナトの戦では、彼らと対していない。だから中立地区の兵の事は聞き知っていただけなのだ。彼らは色素の薄い金や白の髪をもち、みな大柄な体格をしている。中には陶器かと思われる程に白い肌をしている者もいた。中立地区の殆どは、その西洋の窓という役割の為に異国の血が入っていると聞く。それを忌み嫌う者もいたが、イリスは単純に綺麗だと思った。

 そして中立地区の傭兵団は戦い方も異国風だった。大陸は今鎖国状態であるから、西洋のものである鉄砲あまり流通していない。だからそれを扱えるのはセスタやオーギュストの様な軍の上層部と、専門の訓練を受けた少数の鉄砲隊だけだと認識していた。

 だが彼らは皆腰に拳銃をもち、扱う武器はそれ一辺倒だという。折角共にセスタの配下となったというのに、共に鍛錬など出来そうもなかった。


 そしてセスタも、今まではイリスと共に鍛錬する時は剣や槍であったのに、あれ程華麗に銃を扱えるのだと彼女は初めて知った。自分の武に不安はないが、イリスは一抹の寂しさを覚えながら、セスタと中立地区の傭兵団の調練を見ていたのだった。


□□□□


「私も少しは扱えた方が良いのだろうか」

 数日後、イリスは自室で書類を広げながら独りごちていた。ペンを走らせても走らせても終わらない事務仕事の傍ら、頭をよぎるのはあの鉄砲隊の事で。

 共に戦う部隊が鉄砲隊なのだから自分がそれを扱えられれば戦術の幅も広がるだろう、それがイリスの結論だった。今すぐにどうとは思わないが、少しずつでも学ぶべきだろうと。

「セスタ殿に頼んでみる、か」

 思い立ったら何とやらだ。イリスは椅子から立ち上がると、セスタの部屋に向かおうと足早に部屋を出た。この所寝る間も惜しんで進めている書類仕事から逃げたい、という気持ちもあったのだが。


 そうして廊下を歩いていた時だった。イリスの二つ隣の部屋、つまりシルヴィアの部屋の扉がゆっくりと開き、顔を覗かせたのは。

「シルヴィア」

「あ……イリス殿。おはようございます」

「もう昼過ぎだが。どうしたんだ、顔が紫色だ」

イリスが尋ねると、シルヴィアはかさかさになった唇を震わせて掠れた声を出した。

「仕事が……終わらなくて」

「仕事?」

「昨日の夜からで……気付いたら今でした」

「寝ていないのか、ならば直ぐに寝た方が良い。顔色がおかしい」

「ですが……明日までのものが、まだ終わっていなくて」

そう言ってシルヴィアは自室の扉を大きく開けて示した。突き当たりに見える机の上には、大袈裟でなく山の様な書類があったのだ。

「何故こうなるまで放っておいた」

「僕じゃありません! これは全て兄上のものです」

「何?」

 イリスは唖然とした。ではその原因は今何をしているというのか。

「ですが兄上は何処か逃げてしまいました。仕事頼むと言い残して……」

「信じられない」

 開いた口が塞がらないとはこの事だ。彼は女性関係だけでなく、仕事もいい加減なのだろうか。呆れてものが言えないが、目の前で沈むシルヴィアが気の毒にもなってきた。

「遅れれば貴方が咎められるのだろう。仕方ない、手伝う」

「えっ? ですが……」

「二人ですれば早く終わるだろう。直ぐ始めよう」

「申し訳ありません。有り難うございます!」

 イリスはシルヴィアの言葉を遮って、彼の部屋に足を踏み入れた。最初は戸惑っていたシルヴィアもやはり、一人では終わらないと思っていたのだ。嬉しそうに机に付いている。

 それから長い間は、二人とも言葉を交わさず書類と向き合っていた。かりかりとペンの走る音だけが、蒸し暑い部屋に聞こえていたのだった。


 そうしてどの位経っただろう。先程灯が点され夕飯の事を尋ねられたから、その位なのだろう。合図もなしにシルヴィアの部屋の扉が開けられた。

「帰ったぞ。シルヴィア、終わったか?」

飛び込んできたビルディアの弾んだ声は、イリスの姿を捉えた事によって途切れる。そして物凄く嫌な物を見た様な顔をして口を開いた。

「何でお前が此処にいるんだ」

「誰かがシルヴィアに押し付けた仕事を手伝っている」

「勝手な事を。誰もお前に頼んでいないぞ」

「誰もビルディアの為に手伝っていない」

「ち。口の減らない女だ」

 イリスは、忌ま忌ましげに吐き捨てるビルディアに目を移す。ぱちりと合った目は即座に逸らされた。どうやら何を言われるか予想がついているらしい。イリスは無言で席を立ってビルディアへと歩み寄った。

「な、何だ」

「元はあんたの仕事だろう。手伝うんだ」

「終わってないのか?」

「終わる訳ないだろう! どれだけ溜め込んだのだ。終わらなかったらしっかりサミーア殿のお叱りをうけてもらう」

「あぁー……俺、用事が」

「ない。あっても取り消せ! ほら、早くしないと間に合わぬぞ」

「なんでお前にそこまで言われるんだ……」

 ビルディアはぶつくさ言いながらも、言われた通りに机について書類を広げていた。どうやらシルヴィアに押し付けた事を多少は悪く思っているらしい。

「俺はまだ夕飯も食ってないぞ……」

「私たちも食べていない。そんな暇があると思うのか」

「……くそ、腹減った」

ビルディアは口を動かさないと居ていられないのか、余程机に向かうのが苦手と見える。何かと言うとサボろうとするビルディアを言葉で諌めながら、イリスたちは必死にペンを動かすのだった。


 夜も更けて、身の回りの世話をする者たちも休ませた。部屋の外からは物音ひとつせず、皆がもう眠りについているであろう事が窺える。イリスは最後の気力を振り絞ってペンを動かし終えると、そのまま机に突っ伏した。

「……終わった……」

「あ、ありがとうございます! イリス殿」

「何故シルヴィアが礼を言うんだ。ビルディア、終わったのか」

「あー……もう少しだ」

「僕ももう少しです」

二人が真面目な顔で筆を動かすのを、イリスは頬杖をついて見遣る。

 真剣な顔をしてしている二人は、とても良く似ていた。ビルディアの方が男らしく粗野で、シルヴィアの方が線の細さや髪の長さも相まって少々女性的だが、それは印象の違いだ。

 正直に言って仕舞えば、西洋の血が濃い彼らの顔の区別はつき難い。それは彼らの白い肌や青い眼の印象が強すぎる為だと思えた。


「貴方たちは、中立地区の出身なのだろう」

「ええ、そうですよ。2年前にルシアナに滅ぼされて以来傭兵団として流浪していました」

 シルヴィアも終わったのだろう、ペンを置きながらそう言ってにっこり笑った。

 彼らが故郷をなくしてからまだ2年だ。笑顔で話せる様な話ではない筈。イリスも言葉を選びながら聞きたい事を口にする。

「中立地区は、西洋の窓と呼ばれていたと聞いたが」

「そうです。大陸と西洋を結ぶ唯一の貿易拠点でした。勿論住まう人も西洋の者が多かったです」

「成る程、だから貴方たちも大陸の者とは少し違うのだな」


「お前もそう言うのか」

 先程から黙ってペンを走らせていたビルディアが低い声でそう言った。心なしか苛立っている。

「何か私は変な事を言ったか」

「僕たちはこの見た目ですから、仕官する事が出来ずに傭兵団として流浪していたんです」

 目を伏せながら、シルヴィアがそう説明した。イリスにとっては綺麗だと思う彼らの容姿も、特異なものとして見られていたのだろう。そして望まぬ流れ生活を送っていたのだ。

 確かにイリスの言葉は配慮のないものだった。

 だがイリスは笑って、

「私も、人の事は言えないよ。私のこの紅い髪も充分奇異なものだろう」

と言って自分の髪を撫でて見せる。そして更に言葉を続けた。

「そういう意味でバルクは安心だ。私の様な見た目の女兵の仕官を許すくらいだからな」

 慰めと聞こえていなければ良い。そんな意図などないのだから。

 だがビルディアは顔を上げずにペンを走らせ続けていた。


「そういえばイリス殿。昼間何かご用があったんじゃないですか?」

 沈黙に耐え兼ねたのか、シルヴィアがわざとらしいくらい明るい声を上げた。きょとんとイリスが目を瞬かせる。

「何故だ」

「どこかへ出る様子だったので。用があったなら悪かったなと」

「大した事ではない。セスタ殿に銃の扱いを習いたかっただけだ」

その言葉を聞いて、ビルディアが身を乗り出す。

「何故銃を習う? お前得物は鞭なんだろ」

「部隊と鍛錬する為だ。今のままでは貴方たちと共に鍛錬など出来よう筈がないのでな」

 イリスの返答に、ビルディアとシルヴィアは顔を見合わせた。

「それで、貴女が習うのですか?」

「扱えるようになっておいて損はないだろう?」

シルヴィアは真面目な人だなぁ、と呟いた。ビルディアに至っては苦笑すら漏らしている。彼は面倒な事を自ずからする様な質ではないから、その表情にも頷けた。

「まぁセスタ殿は忙しい方だから、そんな暇はないかも知れないが」

「そうなんですか。あ、兄上もなかなかの銃の使い手ですよ。中立地区の隊のリーダーですから。ね、兄上」

シルヴィアがそう言ったのを聞いて、ビルディアはいらぬ事を言うなと顔をしかめた。だがシルヴィアはお構いなしに話を続ける。

「セスタ殿がご無理なら、兄上に頼めば良いですよ」

「俺は嫌だぞ。暇じゃない」

「どの口が言いますか」

二人は笑いながらぽんぽんと軽口を叩き合う。それを微笑ましげに見ていたイリスは小さく呟いた。

「教えてもらえれば有り難かったのだがな」

 イリスが零した呟きに、思いもかけない言葉だったのかビルディアもシルヴィアも心底驚いた様な顔で振り返った。急に二人に訝しげな視線を投げ掛けられ、イリスはたじろぐ。

「何だ?」

「いえ……」

「まあ明日セスタ殿に頼んでみる」

 イリスがそう言えば、ビルディアは毒気を抜かれたと言わんばかりに落ち着きなくペンを動かす。それを見ながら、イリスはシルヴィアへと言葉をかけた。

「それにしてもシルヴィア。貴方は弟というよりもビルディアの保護者だな」

「え? 保護者ですか?」

「あぁ。余り甘やかさない方が良いと思うが。付け上がるぞ」

至極真面目にそう言い放つイリスに、シルヴィアは吹き出しビルディアはペンをぽとりと落とした。

「お前、言うに事欠いて甘やかすとは何だ!」

いきり立つビルディアにイリスは、事実だろう、としれっと言ってのける。少し口が過ぎる気もするが、ビルディアの適当さには物申しておかねば気がすまない。

「あのなビルディア。シルヴィアにばかり頼らず、書類仕事も自分でやるように心掛けた方が良い。あんたもいい大人なんだからな」

「そっ……それを何故お前に言われねばならん。それこそお前は保護者か⁉︎」

「シルヴィアが気の毒なんだ。いつか貴方のせいで胃に穴が開くんじゃないかと」

 そう言ってシルヴィアを見遣れば、彼はいたたまらなそうに苦笑していた。


「さて、私はそろそろ部屋に戻らせてもらう。まだ仕事が残っているのでな」

「そうですか。あのイリス殿、本当にありがとうございました」

「構わない。では明日」

 そう言って扉を開きかけたイリスは手を止め、振り返ってビルディアを見た。

「言い忘れていた。ビルディア、悪いが夜は窓を閉めていてくれないか」

真面目な顔で何を言い出すのかと思えば。ビルディアもシルヴィアも話の意図が分からず、首を傾げた。

「今の季節、窓を閉めたら暑いだろ。何故そんな事を言う?」

するとイリスは心底呆れた顔でビルディアに向き直った。

「最近私は内政の書類仕事が立て込んでいて、殆ど夜半まで机に向かって寝不足なのだ」

「だから何故それが俺に関係ある」

「私ももちろん暑いから窓を開けて仕事を行ってるんだが、夜になるといつも隣から女の嬌声が聞こえてくるんだ」

 そこまで言うと、ビルディアは羞恥に顔を赤らめ、シルヴィアは掌で顔を覆った。呆れ返って言葉が出ないのだ。

「ビルディアだろ。全く毎夜毎夜いい加減にして欲しい。せめて窓は閉めてくれないか。気が散るんだ」

「な……」

「頼んだぞ。集中して仕事にかかりたいからな」

そう言うと、イリスはおやすみ、と部屋を出て行った。後には呆然とするビルディアとシルヴィアが残されていた。


「な……っ! 兄上貴方という人は全くもう!」

「……屈辱だ……っ」

「自業自得ですっ!」

「何故あんな女が同僚なんだ。やりにくくて敵わん」

 ペンを放り出して腕を組むビルディア。全身でイリスに対する拒絶を表す彼を、シルヴィアは穏やかな口調で諌める。

「でも同僚です、それも先輩の。明日イリス殿の頼みを受けたらいかがですか? 今日は大分お世話になったでしょう」

「だが直接頼まれた訳じゃないぞ」

「困ってるみたいでしたよ」

 シルヴィアに言われて、ビルディアは思案顔になりううむと唸った。下手な自尊心が邪魔をしているのだろうな、と理解の早いシルヴィアは思った。

 だがビルディアという男は決して筋の通らぬ男ではない。そんな男であれば、流浪の傭兵団を率いたりは出来まい。

 だから彼がどんな決断をするか、シルヴィアには分かっていた。

「仕方ない。借りを返すだけだからな」

「きっと喜びますよ」

 シルヴィアはほっとした様に笑う。これをきっかけに少しは仲良くしてくれればいい。せめて自分に火の粉が飛んで来ない程度には。


「それよりもイリス殿が言っていた件ですよ! 貴方はまだ懲りずに毎夜毎夜……! 一体何処から女性を連れ込んでんですか!」

「毎晩ではないぞ、気が向いた時だ」

「言葉の文を取り上げないでくださいよ。恥ずかしくないんですか! それを女性に指摘されるなんて! そもそもいつも僕が言っていたように……」

 シルヴィアは長々といつも繰り返している説教を始めた。聞いているのかいないのか、十中八九聞いていない兄は欠伸を噛み殺しながらペンを握るのだった。

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