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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
砂漠の王国 バルク
13/82

12 鎮魂

 肩口を刺す様な痛みに、暗がりの視界がゆっくりと晴れていく。

「目が覚めましたか」

 どうやら助かったらしい。身体を寝台に寝かされ、目の前には肩を治療している軍医が見える。ほう、と息を吐きかけて、意識を失った時の状況を思い出して慌てて身体を起こした。

「あっ! まだ治療中です! いけませんイリス殿」

「そんな事はどうでもいい! 皆は無事か? シンは⁉︎」

止血はしてあるのだろうが矢が貫通した傷は深いものだったらしく、身体を起こした拍子にジクジクと体液が流れ出した。軍医は傷口を当て布で押さえながら言いづらそうに視線を逸らせた。その反応にイリスは軍医の肩を掴んで揺する。

「答えてくれ、シンは無事だな」

 軍医は肩に置かれたイリスの手をゆっくりとさすり、重い口を開いた。

「我々の所に運ばれて来た時には既に意識がなく……。胸の矢も取り除きましたが、手遅れでした」

静かにそう告げた軍医の肩から、力を無くしたイリスの手がするりと落ちた。信じたくない、だが目を逸らしてはいけない現実を突きつけられて。

「そう、か」

「お悔やみを申し上げます」

「どこにいる」

 出し抜けに尋ねられた軍医は、一瞬何のことか分からず首を傾げた。だが直ぐに思い至る。イリスはシンに会いたいのだ、と。

「この隣の天幕です」

「そうか、わかった。……ありがとう」

「あ、イリス殿まだ治療が!」

「構わない。このくらい自分でする」

そう言って天幕を出て行くイリスを、軍医は心配そうに見送っていた。

 外はもう真っ暗で、イリスは自分が長い事気を失っていたのだと気付いた。頬を撫でる風が冷たかった。

 隣の天幕はぽつりぽつりと人が寝かされていた。だがそれはもう生きているものではない、くすんだ白い布が顔から掛けられていたのだ。寝かされた一人のその布の隙間から、鮮やかな紅い髪が見えている。訓練の時には力強くぴょこぴょこ跳ねていた短めの髪は、今はぱらりと力無く地面に流れ落ちていた。


「シン」

 呼び掛ける声が誰もいない天幕に響いた。返事などある筈がないのだ。自分がした事が酷く残酷な事に思えた。

 顔を覆う布をゆっくりと捲ると、中からは土気色の、だが穏やかな表情のシンの顔があった。目の当たりにして、やっと実感する。たった今まで、本当は何かの間違いでは無いかとどこかで思っていたのだ。

 彼の、自分と同じ紅い髪がイリスは好きだった。自分と同じ、だが自分と違ってとても力強い彼の髪が。それを撫でて思わず、口から溢れでたのは。

「すまない、シン」

 自分は疎んでいないとイリスに告げてくれた。憧れている、と笑っていた。そして何より、イリスを同郷の生き残り仲間だと言ってくれた。そんな部下を。

「守ってやれなくて」

謝罪の言葉だった。

 己の未熟さ故なのだ。直属小隊を持ちながら、それらの意思を疎通出来ていなかった。それを放置していた、次の機会があると思っていた、この戦で認めてもらえれば何とかなると思っていた。この戦で全てが終わるなんて、思ってもみなかったのだ。未熟などと、言い訳にすらならないというのに。

 ぽろりと一筋だけ涙が零れた。それをシンの手が拭ってくれた事があるのを思い出す。自分の生まれが判り、祖国の唄を思い出した時だ。シンは穏やかに笑っていたのだ。

「くそ、泣くのは違うだろう」

 イリスは背負わねばならない。彼らの死を。己の未熟さ故に危険に晒し、命を奪ってしまった彼らの存在を。二度と同じ轍を踏まないように、背負っていかねばならないのだ。泣いて悼むのは、武人のやり方ではないのだ。


「鎮魂の儀式か……」

 乱暴に涙を拭って、イリスは天幕を出た。ここは豊かなジャンナトの地だ、それを見つけるのはさして大変な事ではなかった。その数本を手にイリスは本陣近くを流れる小川まで来ていた。一度シンのを見ただけだったが、鮮明に覚えている。

 イリスは花を一本小川に放った。そして紡ぐ。彼女が生まれを自覚できた、その唄を。今は亡き戦闘種族が戦の度に歌っていたという鎮魂の唄を。


《玉座におわす我らが神よ》

《御前に昇りし同胞の》

《その御魂がどうか》

《迷いし亡魂になる前に》

《救い給へ 導き給へ》


《玉座におわす我らが神よ》

《戦火に焼かれし同胞の》

《その御魂がどうか》

《苦しみから放たれる様に》

《赦し給へ 導き給へ》


 花を一本一本小川に放る。小さな水の流れに花は浮き沈みを繰り返し、闇夜に消えていく。酷く儚いものだと、姿の見えなくなった花を思った。


「イリス!」

 イリスは自分しか居ないものだと思い込んでいた。だから突然名前を呼ばれて、酷く不機嫌な顔をしてしまったのだ。儀式を邪魔された様な不快感と、見られていた恥ずかしさとが相まって。振り返ってみると、イリスを呼んだのは、荒い息をして木に身体を預けているセスタだった。

「セスタ殿……」

「心配するじゃないか。怪我をしているんだろう、何故大人しくしていない」

「貴方にも心配を掛けてしまいました。申し訳ありません」

「そんな事は良いんだ。早く天幕に戻って治療を……」

「居ても立ってもいられぬのです。私の未熟さ故に部隊を失ったのですから」

「だからと言って、治療もせず沈み込む事が弔いになるとでも?」

「分かっております。供養の儀だけです。直ぐに、戻ります」

そう言って、イリスは川に目を向けた。

 もう献花も残っていない。立ち去ろうと思えば出来たのだ。だがどうしても、足が動かなかった。

「あの唄は、故郷のものかい?」

立ち去れぬイリスを見かねたのか、セスタはそう尋ねた。戦の事を尋ねないだけ、セスタの心遣いが感じられる。イリスは小さく頷いた。

「ええ。あれが切っ掛けで、私は郷里の存在を得ました。そして仲間をも」

「シン、といったかな」

「共に郷里の生き残りでした。それだけでなく、彼は、周りに逆らっても私の味方であろうとしてくれた。なのに、その仲間を、私は……」

そこまで言ってイリスは唇を強く噛んだ。上官である、セスタにだけは涙を見せたくなかったのだ。

 セスタはそんなイリスの表情を見て、苦しげに眉宇を寄せ、口を開いた。

「大切な仲間、だったんだね」

「……そう、です。私を初めて、仲間にしてくれた」

「ならば背負って行かなくてはね」

セスタはイリスの背を撫でる。泣いている子供をあやす様な優しい手付きだった。

「勿論です……!」

唇が震えた。甘いだけの慰めを言わないセスタが有り難かった。背負って行けと、言って貰えて嬉しかった。重りになる物など、置いていけと言われてもおかしくないのだから。


「セスタ殿、ありがとうございます。貴方の副将で、仕合わせです」

 イリスは笑って見せた。唇が歪んで、情けない笑顔だったろう。だがそれは彼女が踏み出す為にも必要なものだった。だからセスタも、同じように少しだけぎこちない笑みを向けたのだった。

「そう言えば。何故セスタ殿はここに?戦況は如何になっていますか」

「もう済んだ。はじめから難しくはない戦だったからね」

「済んだ、とは」

「敵将は捕縛。敵の陣は制圧して、敵の兵も数多く捕らえた」

「そうですか」

「先に言っておくが、オーギュストには会えないよ。彼は厳重な警備の中だ。大切な人質だからね」

「分かっております。サミーア殿との交換を持ちかけるのでしょう」

「そうだね。断られる筈が無いから、サミーア殿は直ぐに帰ってくるよ。この戦で帰順した兵もいるし、戦果としては上々だ」

「そうですか……」

「だから君は、余計な事を考えないで怪我を治す事だ。まだまだ副将として頑張ってもらわなくてはね」

「了解しました」

 イリスは敬礼をした。右肩がじくりと痛んだが、その姿勢を保つ。セスタは酷く優しいから勘違いしそうになるが、彼は紛れもなく上官なのだ。だがセスタは小さく息を吐いて、イリスの腕を下ろさせた。

「君が撤退したと聞いて、肝が冷えたよ。無事を確かめるまで気が気でなかった」

「それは……大変なご迷惑を」

「そうではなくて。今君の顔を見れてほっとしているよ、泣きたくなるくらいね」

「そんな、セスタ殿がそこまで気を割く必要は……!」

イリスが焦って語気を強めると、セスタはほんの一瞬だけ、酷く寂しそうに口を歪めた。だが闇夜の所為で、イリスはその表情に気が付かなかったのだが。

「あるよ。私は君の……友、なのだからね」


 確か、イリスが副将となった時だったか。同僚というものがなくなったイリスに、セスタは友になると、そう言った。まさか律儀にそれを貫いてくれるとは思いも寄らなかったイリスは、数秒の逡巡の後小さく頷いた。

「ありがとうございます、セスタ殿」

 友だ、と告げて、相手も頷いて。本来ならセスタは微笑む筈だ。だが何故か、今の彼の表情はそれにしては酷くぎこちないものであった。

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