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憎し、今は愛しき者たちを。  作者:
砂漠の王国 バルク
11/82

10 同郷

 翌日イリスはセスタの執務室で書類仕事をしていた。調練から逃げている訳ではないが、陰鬱である事も間違いではなかった。

「苦労しているみたいだね」

「いえ、そんな事は」

「そうかそうか」

セスタは笑う。イリスにとっては笑い事ではないのだが、セスタに言うのは筋違いだ。口を尖らせたままペンを走らせていた。その時だった。

「あれ、誰か来たみたいだね」

 ノックの音にセスタが扉を開けると、そこに見えたのは俯いた短めの紅い頭。

「おや……? 君は……」

「シン、ではないか?」

イリスが声をかけると、紅い髪の彼は驚いた様に目を瞬かせた。

 名前を呼ばれた事に驚いた様だ。セスタに促されたシンは部屋に入って来て、イリスの前に俯いて立つ。セスタは気を利かせてくれたのか、部屋を出て行った。


「何か用か」

「すみません。やはり一度正直に話しておこうと思いまして」

「何をだ?」

「皆が貴方を疎んでいる訳ではない、と」

「……何だ藪から棒に」

「俺は……実は自ら志願してこの小隊に入りました」

「は……?」

 イリスはあんぐりと口を開けた。

今何か信じられない様な事を聞かせられた気がする。

「俺は、貴女に憧れてこの小隊に入ったんです! 初陣で戦果を上げ、入隊して間も無く副将まで昇った俊傑、そんな方の下で働いてみたいと、そう思ったのです」

「そ、そうか……」

「ですが隊長と取り巻きの方達はそうではなく、何か思うところがあった様で。如何にして貴女を……」

「シン」

「は」

「私は犯人探しをしたい訳ではないのだ。昨日皆の前であの様に話した時、誰も私に賛同しなかっただろう? という事はそれが小隊の総意だ。それは甘んじて受け入れる」

「いえ、ですから、その……」

「シン、君の勇気は有り難い。君の話を信ずれば、君にも何かしらの圧力があったろうと思う。だから君がこうして来てくれただけ、嬉しいのだ」

「イリス殿……!」

シンは感極まった様に目を潤ませた。


 彼自身きっと葛藤があった筈だ。だのにこうして行動に移す者がいた、それだけで本当にイリスは充分だったのだ。

「何れ、そいつらにも認めさせてやる。時間がかかっても、な。

 それよりも、少し話をしないか。実は私は君に興味があったのだ」

「えっ⁉︎」

「何故顔を赤くする、変な奴だな。少し聞きたい事があるんだ。生まれはどこだ?」

「は、えっと……北の小国だったんですが。イリス殿も同じですよね?」

「え。いや、私は……」

「それで俺も貴女に親近感を抱いていたんです。まさか滅んだ郷里の方に会えるとは……」

「ち、ちょっと待て! 少しずつ聞かせてくれ。君の郷里は滅んだのか?」

「ええ、7年前にルシアナに侵攻されて。酷い戦だった様で、国は壊滅したのです。俺は10年前にバルクの親戚に養子に出されていたので無事だったのですが」

「7年前……。私が記憶を失ったのと同じ……」

「え? 記憶?」

「いや、後で話す。続きを聞かせてくれ」

「は。そこは紅鼠こうそという戦闘種族の国で、その血を引く者は鮮やかな紅い髪をもつのです。だからイリス殿もそうかと」

「戦闘種族紅鼠、紅い髪、7年前に滅んだ……」

噛み砕く様にぽつりぽつりと口にする。


 つまり自分は。今は亡き紅鼠こうそという戦闘種族の生き残りで、7年前の戦の際に記憶を失ったというのか。今の自分の記憶の始め、シェコーが手当てをしていたのはその戦に出ていたからなのか。自分の郷里は今はないのか。

 信じられない思いで何度も考えるのだが、あまりにも符合するものが多すぎる。複雑な気持ちでイリスは、自分と同じ燃える様な紅い髪を見つめた。

「大丈夫、ですか? イリス殿」

「あ、あぁ……君のお陰で色々と分かった事がある。ありがとう」

「いえ。お力になれたならば。それでイリス殿は、記憶を失っているのですか?」


 イリスは辿々しく事情を話した。7年前以前の名前以外の記憶がない事、強くあればならぬと酷く焦がれる事、戦を肌で感じてかつても武人であっただろうと分かった事。シンに話す事でまた何か新たに分かるかもしれない、その一心でイリスは余す事なく話した。


「そうだったのですか……。俺も恐らくイリス殿は紅鼠こうその生き残りだと思います。紅い髪に並外れた身体能力は戦闘種族である紅鼠こうその特徴ですから。ただ俺も10年前に国を出たきりですので詳しい話は……国が滅んだという話も人伝てでしたので。お力になれずすみません……」

「いや、自分の生まれが分かっただけでも有り難い。シン、また郷里の話を聞かせてくれないか」

何か思い出すかも知れないから。イリスがそう言うと、シンは嬉しそうに笑って部屋を出て行った。イリスも口が緩みそうになるのを何とか堪える。


 何と嬉しい事だろう。忘れた筈の郷里が分かり、同郷の者がいた。しかもその者は、拒絶ばかりの小隊の中で唯一自分を認めてくれているのだ。頭痛に悩まされていた現状に光明が差した様であった。

 しかもしかもだ、ルシアナの兵であったかも知れぬという疑念も払拭されたのだ。ならば何故アミヴァ将軍があの様な言動をしたのか疑問は残るが、今は関係ない。

 とにかく今の副将という立場に恐れを抱く必要などないのだ。

「何だい、ニタニタ笑って。奇怪だよ」

「なっ⁉︎ いたのですかセスタ殿」

「いるよ、私の執務室だよ。ところで、どうしてそんなに嬉しそうなんだ」

「そうです、お聞き下さい! 私の生まれがどうやら分かったようです!」

イリスは喜びに鼻息を荒くして、セスタに駆け寄った。

 少したじろいだセスタが小さく後退ったが、彼女には関係ない。先を急ぐ様に、シンから聞いた話をセスタにも伝えた。

「そうか、私も君への疑念が払拭されて嬉しいよ」

「やはり私は疑われていたのですね。分かってはいましたが」

「いや、疑っていたのとは少し違うかな。どちらかというと記憶が戻った時に敵とならないか危ぶんでいた……って今はもう良いじゃないか」

「そうです! 杞憂であったのですから!」

「しかし、君がそんなにはじゃぐのは珍しいね。笑った顔を初めて見た気がするよ」

「それは嘘でしょう」

 本当はそうかも知れなかった。今まで胸の内に楔の様に残っていた何かが、綺麗さっぱりなくなったのだ。だから嬉しいというのは少し違った。ほっとした、安心した、というのが正しい様な心持ちのイリスは、晴れやかな顔をして笑っていたのだ。


 それからというものイリスの機嫌は明らかに良かった。元来冷静で表情のあまりないイリスだから一見は分からないが、見る者が見れば彼女は浮かれていた。

 それを一番気味悪がったのはシン以外の直属小隊の者たちだった。前回の調練の際に殺すなら殺しに来いと憤っていた上官が、次の調練では上機嫌で気迫漲っているのだ。

 奇怪だった。だからかどうか知らないが、彼女への嫌がらせの様な物は殆どなくなっていた。表向きには、直属小隊の者たちもイリスの言葉を聞くようになっていたのだ。


 順風満帆過ぎた。此度から直属小隊を率いるイリスは初めて軍議に参加したのだが、そこで再び憂鬱となる事を聞かされたのだった。


「君は意外と分かりやすいね」

「どういう意味ですか」

「今は顔が暗いよ。軍議で作戦を聞いたあたりからかな」

「よくご存知で」

「此度の敵将は……オーギュスト軍事司令だってね。知り合いかい」

「そうですね。ハカム川合戦に出征の折は良くして頂きました」

「やり辛いかい?」

「正直に言いますれば。ですが覚悟の上です。迷いはありません」

「分かっているみたいだけれど、一応言っておこう。迷ってはいけないよ、君は小隊を預かるんだから」

「承知しております」

「君は良い上官だ。自信を持って」

セスタはそう慰めの言葉を掛けて行った。

 イリスとて理解している。戦場に立てば、迷う事こそが命取りなのだ。

「戦までに、色々と決心をつけなくては」

そう自分に言い聞かせる。小隊の者たちにも認めさせる、そう決めたばかりなのだから。


□□□□


「何をしているんだ?」

 イリスがそう声を掛けると、回廊を歩いていた紅い頭が振り返った。

「丁度良かった、イリス殿。良ければいらっしゃいませんか」

「どこにだ?」

「献花です」

そう言ってシンが掲げたのは、この辺りでは珍しい小さな花束だった。イリスが行くような墓など心当たりがなくて、首を傾げるとシンは笑って言った。

「先日イリス殿に紅鼠こうその国の話をして思い出したんです。俺の生みの親なんですが、長く参っていないなって」

「シンの生みの親……?」

「墓なんて無いんですよ。紅鼠こうその国はボロボロに滅ぼされましたから。でも彼処に俺の生みの親がいたんです、偶には献花くらいしてやらないと」

「そうだったのか……」

「お嫌でなければご一緒に。生き残り仲間がいたと、教えてやりたいんです」

「……あぁ。勿論だ」


 花束を抱えながら歩くシンについて行くと、開けた場所に出た。王城近くにある数少ない水場、所謂オアシスである。

 そこに着くと、シンはおもむろに花束を解いて一本だけ手にした。そしてイリスにも花を一本渡して、照れた様に笑う。

「あんまり手順も覚えていないし、下手なんですけどね」

そう言って泉に花を優しく投げ入れたシンは、悠々と口ずさみ始めた。


《玉座におわす我らが神よ》

《御前に昇りし同胞の》

《その御魂がどうか》

《迷いし亡魂になる前に》

《救い給へ 導き給へ》


 その唄は鎮魂歌。

 一本ずつ花を泉に放って、歌う様子は厳かな儀式の様だ。シンは歌い終えると、恥ずかしそうに笑ってイリスを見た。

紅鼠こうその鎮魂の儀式ですよ。戦闘種族ですから、こういった儀式は小さい頃から叩き込まれました」

「……あぁ。知っている」

「え?」

「私も、この唄、知っている」

 イリスは目をいっぱいまで見開いて泉を見ていた。わなわなと唇を震わせて、泣くまいと堪えている。ぎゅっと握りしめられた花は苦しそうに萎れてしまっていた。

 イリスはこくんと喉を動かすと、小さく口ずさみ始める。放られた萎れた花が、泉の水に静かに浮かんだ。


《玉座におわす我らが神よ》

《戦火に焼かれし同胞の》

《その御魂がどうか》

《苦しみから放たれる様に》

《赦し給へ 導き給へ》


 イリスは紡ぐ。記憶の水面を揺らして、奥底から引きずり出す様に。苦しげに眉根を寄せて必死に記憶を辿っていた。

 小さな頃から叩き込まれるという鎮魂歌だ、記憶を失ったイリスにもそれは根付いていたのだろう。淀みなく歌い切ったイリスは、小さく一筋だけポロリと涙を零した。

「イリス殿……」

「私は、本当に‥‥紅鼠こうその民なのだな……」

「はい。そうですね」

 自分に眠る記憶の欠片を感じた瞬間とでも言おうか。目が回ってしまいそうな何かが、一瞬だけ頭を掠めた気がする。だがそれ以上は何も思い出せなかった。

 頬を流れた一筋だけの涙を、シンの無骨な指が撫でた。はっとしてシンを見遣ると、ひどく優しそうな瞳をしている。俄かに照れ臭くなって、イリスは小さく笑って誤魔化した。


□□□□


 そんな二人を偶然通り掛かった男がじっと見ていた。セスタである。

 セスタには彼の紅い髪の兵に見覚えがあった。確かセスタの執務室にイリスに会いにやって来た兵だった。確かイリスの同郷の者だと言っていた気がする。

 涙を拭われて照れ笑いを浮かべるイリスと穏やかに笑う紅い髪の兵を見ていたら、何やら寂しい思いを覚える。

 副将になった時に友人をなくしたと寂しがっていたイリスを思い出すと、何だか子離れを寂しがる親の様な心地だった。


 そう、だよな。

 自分に問いかけようと思って止めた。何やらそれでは説明のつかない苛立ちが、小さく胸を刺していた気がしたが、セスタは気付かない振りをしたのだった。

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