1:〔左側〕
こりもせずに新連載。
ぼうっとしているうちに、休み時間の終りを告げる鐘が鳴っていた。
机の上に置いていた携帯を制服の内ポケットにしまいこみ、代わりに教科書とノートを出しておく。
「起立」
自分の声で、クラスメイトが一斉に立ち上がる。
「礼」
次いで、礼。
「着席」
そして、着席。全国どこに行っても変わらないであろう、授業を始める為の一連の流れ。
教壇に立っていた教師が、ひとつ頷いて手元の教科書を開く。生徒も、また同じようにそれを開いた。
俺もまた、同じように教科書を開く。数字が並ぶそれから早々に視線を外すと、直ぐ隣にある窓から外の景色を眺めることにした。
最前列の、一番窓際。
そこが、ある意味俺の特等席だった。
ある時期から、俺の席は一貫して変わっていない。席替えをする度に、俺は必ず最前列の窓際を一番に占拠する。
さして人気があるような席ではない。窓際なのはいいが、最前列と言うのは基本避けられがちなポイントだ。ならば何故、俺がこの席に拘るのかと聞かれると……。
「泉。これ、解いてみろ」
「わかりません」
「嘘つくな。ほら」
ちぇっ、とわざとらしく舌打ちをしつつ、教師からチョークを受け取る。
黒板に書かれた問題はさして難しいものではなく、これなら大丈夫か、と俺は坂上で計算をし始めた。
黒板に数字を並べていく。
やがて計算は終わり、俺はちらりと片目で教師を見遣る。小さく頷いたのを見れば、答えは合っていたらしい。席に戻らせてもらうとしよう。
「きゃっ」
「おっと」
と、戻る際に隣の机にぶつかってしまった。机に乗っていた筆箱が机から落ちてしまい、中身が派手にぶちまけられた。
「悪い」
「いいよ。仕方無いもんね」
普通なら怒られてしかるべき場面だが、女子生徒は怒らない。
けれど、仕方無いこともないと思うのだが。今のは気を付けていなかった俺の責任である。
たとえ、『見えていなかった』としても、避けられないわけではないのだから。
取り合えず拾うのを手伝い、拾い終わったところで今度こそ席に戻る。
慣れたようで、慣れないものだ。それこそ仕方無いことなのだが。
――俺は、左目の視力を全て失ってしまっている。
二年前、とある事件に巻き込まれてしまい、左半分の光を奪われてしまったのだ。
……いいや、奪われた訳じゃないか。どちらかといえば、差し出した、が正しいのかもしれない。どちらにしろ結果は同じなので、そこに拘る必要もないが。
ただひとつ、拘る箇所があるとすれば――後悔はしていないというところだろうか。そこだけは、誰が何と言おうと変わる気がしなかった。
始まりと同じような終わり方で、授業時間から休み時間へと移り変わる。
にわかに活気付いた教室の中で、俺は内ポケットから携帯電話を取り出した。新しくはないが、さして古くもない平凡な携帯電話。黒に統一されたスマートなスタイルがお気に入りの携帯で、しばらく変えるつもりはなかった。
端子の部分にイヤホン用のジャックを差し入れて、両耳にイヤホンを装着する。適当な音楽を再生して、俺は携帯を机に置いて目を閉じた。
途端に訪れる、暗闇の世界。いつも半分だけ俺を支配している暗闇が、今に限って俺の全てを支配する。
両耳から流れる音楽は、頭の中央でぶつかり合って脳内に広がっていく。
音が火花として、頭の中で弾けて散っていくような感覚。俺はこれが好きだ。何も考えずに、音に浸っていられるから。
「あっ」
声を上げて目を開く。何故か。それは、急に音楽が途絶えたからだ。
そして、目の前にいる悪友の姿に、わざと大きく溜め息をついてやった。
「速水……用があるなら肩でも何でも叩いて教えてくれよ」
「いや、特に用は無いんだけどね?」
「なんだそれ」
ニカッ、と白い歯を無駄に輝かせた悪友からイヤホンを返してもらい、携帯を操作して音楽を止めた。
こいつに捕まれば、音楽なんて聴かせてもらえないから。
わかってんじゃん、とでも言いたげな顔に、またひとつ溜め息をついておく。
速水透。
昔から知っている幼馴染みで、何かと理由をつけて俺にくっついてくる悪友だ。最近では開き直ったのか、今のように用事が無いことを隠しもしなくなってきた。
性別と見た目が著しく食い違っていて、童顔、低身長、細身、ソプラノボイス、艶のある髪。下手をすればそこらの女子よりも女の子な見た目の彼は、多分神様が性別を間違えてしまったのだろうと俺は踏んでいる。
因みに、まごうことなき男である
「失礼なこと考えてる」
「まさか」
だが、それを言うと彼は怒る。今のように、考えているだけでも感付かれるくらいに、自分の見た目にコンプレックスを持っているのだ。ぶっちゃけ贅沢な悩みだと思う。
そんなことを考えつつ、俺は左肘をついて窓にもたれかかった。透が、顔を寄せてくる。
「んー」
「なんだよ」
「いんやー。いつ見ても良く出来てるなーって」
端から見てればわかんないよ、と更に顔を寄せてくる透。近い近い。
「いくら良く出来てても、所詮は飾りだけどな。……義眼なんて、ホントはいらなかったんだけど」
透が見ているのは、俺の左目の眼球――義眼だ。確かに変に注目されない限りは、義眼だと気付かれない。
いや、これ以上なく接近して注目している透がああ言っているのだから、俺が思う以上に自然で、馴染んでいるのだろう。
別に眼帯でも構わなかったし、義眼でもここまで立派なものはいらなかった。
そう思って言うと、透は急に泣きそうな顔になって俺の額を小突いた。
「そんなこと言わない」
「でも」
「言わない」
「いやでも」
「……言わない」
……気のせいか、透の目が潤んでいるように見える。
見た目も相まって、周りからは冷たい視線が降ってきている……気がした。
取り合えず本当に泣かれても困るので、透をなだめようとしたところで――
「こらぁっ!!」
「痛ッ!?」
――スパァンッ! と、小気味良い音が響き、同時に俺は両手で頭を抱えた。
そして、すぐさま顔を上げて、俺の頭をひっぱたいた人物に物申そうと立ち上がる。
「痛いだろ、何するんだいきなり!」
「アンタがいつもいつも透を泣かすからに決まってるじゃないか!」
「まだ泣いてないし、泣かせてもないし! 毎度言うけどコイツ男だし!」
「男なの知ってるし!」
「食い付くのそこ!?」
胸を張ってずれた主張をする目の前の女子――朝皆紡に突っ込みをいれつつ、地味に痛む頭を擦る。
透と同じ幼馴染みで、男勝りで勝ち気な性格は昔から変わっていない。はっきりとした性質が身体にも現れているのか、出るとこは出て引っ込むところは引っ込んでいるメリハリのある身体付きをしている。身長が高めなのも相まって、全体的に迫力のある人間である。
紡はグスグス言い始めた透の頭をがしがしと乱暴に撫でると、再度こちらを睨み付けてきた。が、負けずにこちらも睨み返す。因みに、彼女と俺の身長はほぼ同じである。
「こんなに可愛い透を泣かすなんて……。アンタは私を怒らせた」
「最初から怒ってるじゃないか……」
あと、その『可愛い』発言は透に追い打ちをかけているようなものだ。
……しかし、改めて見ると、この二人は本当にちぐはぐなんだと実感する。
性別こそ男だが、見た目や内面が実にナイーブで女の子な透。
逆に、恵まれたスタイルと整った容姿を持ち合わせながら、そこらの男よりも男らしい性格の紡。
良い意味でも悪い意味でも目立つ二人に、義眼のお陰で悪目立ちしないとはいえ、片目が見えない俺。この幼馴染みグループは校内でも有名で、色々と話題に上がることも多い。それでも、俺達がこうして平穏に過ごせていられるのは――
「泉君、いる?」
かけられた声。途端にざわめいていた教室が静まり、一拍置いてまたざわめき始めた。ほぼ全員の視線が、声を発した人物に注がれる。
それを気にした様子もなく、彼女は真っ直ぐに俺へと歩み寄ってきた。
「悠。どうかした?」
「教室の前を通りかかったから、なんとなく……って、頭なんか擦ってどうしたの?」
「そこの馬鹿にやられた」
「馬鹿とはなんだ!」
「馬と鹿」
「そ、そうか? そうだったんだ……」
納得していた。
そんな紡に溜め息をついた彼女――赤羽悠は、俺の頭に手を置く。
「紡。叩いたりしたらダメじゃない」
「だって、コイツが透を泣かそうとしてたから」
「だから、もう一度言うけど。透は泣いてないし、泣かそうともしてない」
頭を撫でられながら言う。椅子に座ると、対面には未だに頭をわしゃわしゃされている透がいた。
どうでもいいが、男が二人して何故に頭を撫でられているのだろうか。
「透?」
「泉は嘘ついてないよ。僕が少し取り乱しただけ」
「そ、そうなの?」
「そうだよ、紡。気持ちは嬉しいけど、今回のも早とちりだから。あと可愛い言うな」
俺を見て、自分も頭を撫でられているのがなんとなく恥ずかしくなったのだろう。透はそう言いながら紡の手から逃れた。行き場を無くした紡の手が寂しげに空を掻くと、それは腰に当てられる。
「もう。紡はすぐに手が出るんだから。気を付けなきゃダメよ」
「う……。気を付けよう」
「毎度言うけど、結局変わらないよな」
「うるさい!」
顔を赤くして声を上げる紡に、俺達は小さく笑った。と、そこで予鈴が鳴り響く。
「生徒会長殿。早く戻らなきゃいけないんじゃ?」
「そうね。じゃ、また昼休みに」
ぱたぱたと走り、教室から廊下へと。一度振り向いて手を振ってくる彼女に手を振り返すと、嬉しそうに悠は去っていった。
「三年生は大変だね」
「しかも悠は生徒会長だからな。私らと違って暇じゃないだろ」
しみじみと言う二人の言葉に、俺も小さく頷いておく。
悠はこの幼馴染みグループの中で、唯一の歳上だ。品行方正、文武両道の生徒会長は校内でも大人気であり、何の冗談かファンクラブまで存在しているとのこと。
やっかみや嫌がらせもあるにはあるらしいがごく少数らしく、それも彼女を慕う生徒によって瞬く間に淘汰されるのが常だ。結果的に、悠に表立って敵対する人間はこの学校にはいない。生徒どころか、教師までが彼女の魅力に捕らわれているような状態だ。
で、先程の話に戻る。
何故、俺達幼馴染みグループがこうして平穏に過ごしていられるか、だ。今でこそこうして馬鹿やって笑っているが、入学当初は違った。
透は男子連中に女々しさをからかわれ、紡はその見た目から女子連中の妬みが酷く、俺に関しては左目が見えないのを良いことに、死角から様々な嫌がらせを受けていた。
幸いだったのが、三人が三人とも対抗手段を持っていたことか。
透は見た目も内面も女の子だが、強さに関してはそこらの男より遥かに強い。それは透の父親が関係してくるが、今は取り合えずいい。
紡は、とにかく芯が太かった。どんな悪質な嫌がらせにあっても挫けたりしなかった。それどころか、嫌がらせをした犯人を自ら探し当て、その圧倒的オーラで黙らせていたぐらいだ。
で、俺はというと、そんな二人が、嫌がらせへの対抗手段だった。
紡は、なんだかんだいいながら、俺の死角――左側に陣取り、何かする奴がいないか見張ってくれた。
透は俺の真正面に座り、廃れかけた俺に何度も何度も話し掛けてくれた。
当時の二人には感謝してもしきれない。一年間、よくまぁ俺の傍にいてくれたものだ。因みに、俺が今の特等席を選ぶようになった原因はここにある。左側が窓なら死角も何もないからだ。ついでに言うなら、右目だけでも黒板の全体が見えるのも利点である。
そんな風に、俺達幼馴染みグループはクラスでも浮いた存在として、有り体に言えば孤立していた。当時はあまり深く考えないようにしていたが、今と比べると悲惨な学校生活だったように思う。
そんな俺達を、今の状態に引っ張り上げてくれたのが、他でも無い悠だった。
先にここに入学していた悠は当時既に人気者。俺達はそんな悠を遠目に見つつ、彼女の邪魔にならないようにひっそりとしているつもりだった。実際、嫌がらせの件に関しては透も紡も、悠に伝えるつもりはなかったらしい。
しかしそれが逆に、悠が行動を起こす起爆剤になっていた。
悠からしてみれば、何故相談してくれないのかの一言だったのだろう。俺達は悠の邪魔をしたくなかっただけなのだが、彼女はそれにいたくお怒りだったらしく。
生徒会長就任の日に、彼女はそれを全校生徒の前で爆発させた。
壇上での大演説。あろうことか、彼女は生徒会長という立場に立ったその日に、一生徒に過ぎない俺達のことを持ち出したのだ。色々と言っていたが、要約すると彼女が言った内容は、『私の友達を苛める奴等は許さない』である。
正直どうかしてると思った。生徒会長がいきなりごく個人的な主張をし始めたのだから。
でも、嬉しかった。
俺は笑っていたように思う。多分、透と紡も笑っていただろう。
結局、それを境に俺達に対する嫌がらせは数を減らしていき、今に至る、と言うわけだ。
「少し頑張り過ぎな気もするけど」
最後にぽつりと呟くと、俺は狭い視界の中で授業の準備を始めるのだった。