その名、忘れるまで……
前回より、多少はわかりやすくなったかもしれませんが、やっぱり意味のわからない作品です
「師匠。殺すって、なんですか?」
小さな少年が、やさしい笑みを浮かべる男性に問い掛けた。
「ジェントル、急にどうした?」
男性は、驚いた表情で聞き返す。少しの間、沈黙が支配する。
「……やっぱりいいです」
ジェントルという少年は、静かに瞳を閉じて、男性に寄り掛かる。男性はやさしく微笑むと、少年の肩を抱いた。
「形有るもの、いつかは壊れる。命は大地に還り、生まれ変わる」
男性は少年の前で、ある男の首を刎ねた。少年は顔色一つ変えずに、首が宙を舞うその様子を眺める。
「依頼を完了した。帰るぞ」
男性は、剣に付いた血糊をふるい落とし、鞘に収める。少年は、近くに転がる首の無い肉塊を、気にも止めずに男性を見上げる。
「また簡単に終わっちゃった。つまらない」
不満顔で言う少年に、男性は困り顔をし、少年の頭に手を乗せた。
「仕方ないさ。これが結果だ」
男性は少年の頭を一撫ですると、思い出したかのように表情を変えた。
「そうだ。前に、殺すとはなにかって聞いてきたな」
男性の言葉に、うれしそうにうなずく少年。
「殺すってのは、俺が思うに、悪いことだ」
男性は笑いながら語る。少年はそっと聞き耽る。
「命を奪うってのは、この世界の営みに反する事だ。自然に消える火を、踏みにじって消すんだからな」
男性はいつしか笑顔を忘れ、少年は一心に見上げる。
「生きものは、生きること以外のことをしちゃいけないんだ。だけど人間は、物を作ることを覚え、金を儲けることを覚え、他人より目立つことを覚え、楽をすることを覚え、人の上に立つことを覚えた」
「だから、殺すの?」
少年は、悲しみを帯びた瞳で男性を見上げている。
「そうかもしれないが、違うかもしれない。どちらにしろ、人間は悪いやつなのさ」
男性は、遠い昔を見るように、少年の瞳の、その奥を見つめた。
「師匠、答えになってない」
少年は少し膨れ、男性は苦笑いする。鼻を突くような血の匂いが、二人の周りを取り囲んでいる。
桜が散り、実を付け始める頃。
「師匠!」
舞い落ちた桜の花弁が赤黒く染まり、血に塗れた男が二人。片方の男の後ろには、瞳に涙を浮かべる少年がいる。
「終わりだ、始末屋。相手が悪かったようだな」
もう片方の男は、手に持つ剣を振り上げて、少年の師へと走り向かう。
「形有るもの、いつかは壊れる」
少年の師は、静かに剣を下ろす。切り掛かる男は笑った。次の瞬間、宙を舞ったのは、切り掛かる男の首。少年の師は、男の剣を体で受け止め、剣を振り上げたのだった。そのまま後ろに倒れる。
「師匠!」
少年は師の元に駆け寄り、その際に、悲しみを隠すために表情を無に捧げた。
「命は大地に還り、生まれ変わる。ジェントル、俺は……」
そこまで言い掛け、男は目を閉じた。少年は静かに、師の頬を撫でる。
「おやすみ、スミール」
「……あり、がとう」
少年が、昔聞かされた師の名前を口にすると、師は、静かに大地へと還る。
七年。少年の師が死に、少年が殺しを覚えはじめてからの時間。現在。彼は、少年は、始末屋を名乗り始めた。
「……世界って、どんな色だろう」
人のあまり通らない、薄暗い路地裏。真っ青な空を見上げ、少年だった青年はつぶやく。彼には、師が死ぬ前から、師に出会う前から、母親に捨てられる前から……物心ついたころから、世界が赤く見えた。全てが燃えていた。空も、大地も、流れる水も、自分を嫌う母の、嫌悪の顔すらも。
「師匠がよく言ってたな。空は青くて、海は悔しいから青いって」
青年はクスリと笑い、涙を一筋流した。
「青って、どんな色だろ」
そんなことをつぶやきながら、道を歩いていると、道の脇に、嫉ましそうに青年を見上げる少女。
「……」
「……」
目が合い、青年は少女に歩み寄る。少女は警戒し、近くのガラスの欠片を手に取る。
「大丈夫。いじめないよ。君の味方だ」
昔、師に出会ったときに、ガラスの欠片を向けていた時に、師に言われた言葉。青年は、やさしく少女を抱き締めた。
「君の名前は?」
青年は、耳元でやさしく囁いた。肩に、少女の涙の跡が付き始める。
「……ジェシ、カ」
少女はそれだけ言うと、青年を強く抱いた。青年も、強く抱き締める。
「俺は、ジェントル。覚えておいて」
青年がそう囁くと、少女は強くうなずいた。少女は声を出さずに、涙を流し続ける。
「ねえ、君の色は何色だい?」
青年は、風になびく草原の上で、となりに座る少女に尋ねた。少女は髪を揺らして振り返る。
「何色って?」
少女は困惑し、青年は目を瞑る。
「俺は、生まれ付き、目の病気にかかってるらしくてさ、全部赤色に見えるんだ」
それを聞いた少女は、首を傾げる。
「でも、全部赤に見えるなら、どんな色が赤なのかわからないじゃない。もしかしたら、あなたが見ているのは青かもしれないのに、どうして赤だとわかるの?」
少女がそう言うと、青年はうれしそうに微笑んだ。その瞼の裏には、真っ赤に微笑む師がいた。
「昔、俺は師匠に言ったのさ。世界全部が染まってる、てな。そしたら師匠が、どんな感じの色だ? って聞き返してきた」
少女は青年のとなりに寝転がり、青年は腕を、少女の頭の下に潜らせた。
「俺が、心が熱くなるような、ひどく綺麗な色だって言ったら、師匠は、それは赤だって教えてくれた」
青年は、となりにいる少女の目を覗き込んだ。
「だから、この色が、たとえ青と呼ばれる色でも、俺は赤だと思う」
青年は、かつて師が自分にしたように、少女の髪を撫でた。赤く流れる、美しい髪を。
「ねえ、殺すってどんな感じ?」
青年の後ろをついて歩く少女。青年は、振り向かずに聞いていた。
「そうだな……」
青年は、悩むような表情をせずに、間を置く。
「この世のことわりを崩す人間を、ことわりを崩すやり方で葬ること、かな」
青年の見る赤い世界に、ガス灯の光が見え始めた。青年は、世界が赤く見える。その世界に、明暗はない。朝でも夜でも、青年には世界が変わらず見える。
「お腹、空いた」
少女がぽつりとつぶやいた。青年は立ち止まり、少女に振り返った。青年から見る、真っ赤な少女は、不思議そうに青年を見上げる。
「何食べる?」
青年が微笑み、少女が笑う。
「形有るもの、いつかは壊れる。命は大地に還り、生まれ変わる」
その言葉の後、一つの首が舞う。飛んだ首は、大量の血の噴水を従え、地面へと落ちる。
「……」
少女は、そのうっすらと肌色を帯びた白い肌を、さらに青白くしながら、その様子を見ている。落ちた首が自然の悪戯で、少女と視線を交わす。少女は凍り付いた。
「だから来るなって言ったんだ。無理するな」
返り血を浴びた青年は、それを乱暴に拭い、少女を軽く、優しく包んだ。少女は、その青年の温かさに、涙を堪えきれなかった。
「……恐く、ないの?」
少女が、震える声で、囁くように尋ねた。青年は、自分の腕の中で震える、赤い少女を強く抱き締める。
「恐いさ。自然の理を乱すことは」
青年は囁くと、少女を抱き抱え、血に染まる部屋を出た。どこかの富豪の屋敷。ガードマンの死骸が、廊下の至る所に転がっている。その中を、少女を抱えて歩く青年。少女はいつのまにか寝息を立てていた。
青年の歩く道は、彼の目からも、他の目からも、赤く染まっていた。それは、いつも同じことである。まるで、青年の見る世界を、他の人間に見せ付けるかのように、赤く染まる。
「……俺の名前」
夜空の下、背に豪邸がそびえ立ち、腕の中では少女が眠る中、青年はつぶやいた。
「俺の名前、何だった?」
始末屋を名乗るものの、悲しき宿命。血を浴びるたびに、殺しを覚え、我を忘れる。もはや青年の記憶には、嫌悪の顔を向ける母も、捨てられた場所も、師に拾われた時も、記憶には残っていなかった。まるで、宿主の怨念を含んだ返り血が、吸収してしまったかのように。記憶は、消えていく。殺しは、増えていく。
「こいつを始末してくれ、始末屋」
始末屋は、今日も殺しを請け負う。いつか、自分の名前を思い出せる気がするから。