その男は兄の婚約破棄を今か今かと待っている
しこりが残ったらすみません。
誤字報告ありがとうございます、訂正させていただきました。
私達二人の間に愛があったかなど、今となってはどうでも良い事なのだ、きっと。
「エリシア!君は民の模範になるべき女性なのにその役目を放棄した」
それでもユリシーズ殿下が私を愛してくれていた時があったと、そう思う私はあの方から見たら滑稽なのかも知れない。
「ミアが虐められているのを庇わないどころか率先して君が行っていたと聞いている!」
あぁ、私には分かる。あの方が今か今かと手ぐすねを引いて待っている事が。
自分の所に私が堕ちて来るのを待っている。
「エリシア・ハーヴェンダイツ侯爵令嬢!私は君との婚約を破棄する!」
終わってしまった。もう足掻いても無駄だ。もうユリシーズ殿下を助ける事は出来ない。
私はきっと疲れていたのだろう。冤罪をかけられて、婚約を破棄され。
だから魔が差したのだろう。
私は、彼では無く、遠くに居る、紅い瞳の持ち主に目を向けてしまった。
私と目が合うと、口元を手で隠しながら、だけど確かに彼は、笑った。
カツリカツリと音を立てて彼は、兄に近付く。
ずっと私を見たまま。
「聞いているのかエリシア!!」
「聞いておりますよ、愚かな兄上。魅了魔法になどかかって恥ずかしいと思わないのですか?」
あぁ、近づいてくる。彼が。ずっとずっと避けて来た彼が真っ直ぐ私に向かって来る。
「よく頑張ったねエリシア。大丈夫だよ、後は僕が何でもしてあげるからね」
そう言って愛おしい人を見る様に恍惚とした顔で私を見る。
対して彼の瞳に映る私はぼんやりとしていて、覇気が無い。
「アルベール!彼女は罪人だ!庇い立てるならお前も」
「国外追放とかですか?それはそれで構いませんよ。でも保って一カ月かと。聖女の結界を失った国が長く保つとお思いで?」
アルベール殿下が薄っすら笑みを浮かべてミア嬢を見る。整った顔をした殿下にその頬が色付く。
「因みに僕は魔力無効化保持者だ。その意味が分かるかなお嬢さん?」
魔力無効化保持者には二通り居る。
自分にかかる魔法を無効化する者と。
自分が認識した魔法を無効化する者だ。
そしてアルベール殿下は、後者だ。
だからやろうと思えばいつでも私を助けられたし、彼女の魅了魔法を消す事が出来た。
だけどそうしなかったのは、彼が、確実に、私を手に入れる為に他ならない。
そしてそれは、私が助けを求めればいつでも彼は応じたと言うこと。
だけどそれは同時にユリシーズ殿下を裏切る行為でもあった。
だから彼は敢えて待った。私が駄目になるまで。自らの意思でユリシーズ殿下の手を離す時を。
「兄上とエリシア嬢の婚約は破棄と言うことでよろしいですね、父上」
「……仕方あるまい」
「ではお目覚めの時間ですよ、兄上」
特別な事はしない。ただ、ミアが発動していた魅力魔法が消えただけだ。
ただそれだけで、世界は、少なくともこの国は変わる。
現実に帰って来たユリシーズ殿下は私とミア嬢を見比べて青褪めていく。
だけどもう取り戻す事は叶わない。ユリシーズ殿下自らが、その地位を手放すと口にしたのだから。
この国は聖女の血筋を持つ者しか、王配にはなれない。そして現在、一番聖女の力が強いのは私。
そして、私を捨てた彼と、魅了魔法に惑わされなかった彼、どちらが次の王になるのかは明白だった。
「触るな!なんて事をしてくれた!」
ミアを引き剥がすユリシーズ殿下が泣きそうな顔で私を見てくる。
私はそれから目を逸らすと、小さく首を横に振った。
私達の十年に及ぶ婚約は、こうして幕を閉じたのだ。
「エリシアはピーチのタルトが好きだよね?食べよう?ほら」
「王太子殿下、自分で」
「うん?聞こえなかったな、もう一度言って?」
「…アルベール、自分で食べられます」
私に名前を呼ばれただけで蕩けそうな顔で笑うのだ、この方は。
それに絆されつつある自分も、相当なものだなと思う。
「アップルパイも、チーズケーキも、ショートケーキもみんな君のものだよ。ブルーベリーはジャムにしたよ。実が苦手だものねエリシアは」
「そんなに食べては太ります」
「良いね。君に言い寄る蝿が減って」
「蝿の集っている女など欲しいものですか」
アルベールが私の髪を取るとそっと口付けた。
「君なら十年前からずっと欲しかったから気にならないよ」
「さようですか」
「…少しくらい照れてくれても良くない?」
「貴方のあの痛い程の視線は怖かったですから」
「だって一度でも目が合ったらもう離すつもりは無かったから」
知っている。だから私は最後のあの瞬間まで目を合わさないよう努めていたのだから。
「僕はエリシアが聖女の血筋だからとかそんな小さな事で君を求めている訳じゃないからね」
聖女の血筋を小さな、と言う人はこの方くらいだろう。
「でもその小さなものも君を作る一部ではあるんだよね、忌々しい事に」
「忌々しいのですか?」
「忌々しいね。そのせいで君は国母にならなければならない。常に国や民の事を考える。一体いつになったら僕を見てくれるのエリシア?」
紅の瞳が不安そうに揺れて私を見ている。
幼い頃から私はこの目に弱かった。
知っていてやっているんだったら本当に悪魔じゃないかしらこの方は。
「見ておりますよ。アルベール、貴方は甘い物が嫌いなのに唯一ピーチタルトだけ苦々しい顔で食べるのは何故ですか?」
私が問いかけただけで、アルベールは嬉しそうに微笑む。
そしてピーチタルトを口に運ぶとやっぱり一瞬嫌そうな顔をして、私をじっと見つめるのだ。
「エリシアの好きな物はどんな味がするのかなと思って。こんな風に甘くなれたら君に好いてもらえるのかな、なんて思ったりね」
ドキリとした。そしてそれを見逃してくれる程この方は甘くはない。
「エリシア、今ときめいてくれたね」
「……甘い人になるんじゃなかったんですか」
「明日からなる。でも今は可愛い君を見ていたい。ようやくだよ、ようやく。やっと君が僕にときめいてくれたんだ」
「もう、黙って」
「君が塞いでくれるのなら喜んで」
「知らないです、もう、知らないです!」
「拗ねたエリシアも可愛い」
「もう放っておいて!」
「怒ったエリシアも可愛いし、どうしよう。もう可愛いが過ぎてどうしたら良いんだろう?こんな可愛い君を誰かに見られたら危ないよね。仕舞っておこうかな」
「何なんですかもう!もう!」
「あー可愛い」
君を手に入れる為ならなんだって出来た。
君に嫌われてしまう事も、苦しいけど我慢出来た。
君に怖がられる事は、正直ちょっと可愛いと思っていたけれど。
エリシア、君がいつかもし、僕に恋をしてくれたら。
その時はきっと君に酷い事を強いてしまうかもしれないけれど。
でも僕は初めて会った日からずっと君に恋をしているから、どうか僕を掬ってほしい。その綺麗な手で。澱んだ僕を掬い上げて欲しい。
君になら手のひらで転がされたって構わない。
どうかあの日の君と僕の願いを叶えて。
『初めまして、アルベール様。私エリシアと言います。いつかアルベール様の家族になれたらと思います。よろしくお願いしますね』
『お嫁さんになってくれるってこと!?』
『いえ、そうではなく』
『分かった!僕、絶対エリシアを僕のお嫁さんにするよ!待ってて!!』
「待っててくれたんだよね」
「待っていたのはアルベールじゃありませんか」
「違いない」
言い方が悪かったよね、姉になりたいならきっとここまでにはならなかった……なったかもしれない。
読んでくださってありがとうございました。




