最短経路
小説書くの初めてです。気まぐれで書いてみました。
粘菌は馬鹿じゃない。
いや、むしろ賢すぎる。
俺はそれを長年の研究で知っていた。
モジホコリ──粘菌の一種。単細胞生物でありながら、迷路を解き、最短経路を導き出すことができる奇妙な生き物だ。人間のような脳を持っていないのに、最適解を見つける。これは生物学的にも計算論的にも説明のつかない現象だった。
そして、俺はその謎を解明するために、最前線で研究を進めていた。
「……おかしい」
俺はシャーレを覗き込んで呟いた。
粘菌が、最短経路を選んでいない。
今回の実験は単純なものだった。迷路のような基盤の端に粘菌を配置し、もう一方の端にエサを置く。粘菌はエサを探しながら迷路内を這い回り、最適なルートを形成する。過去の実験では、必ず最短距離の経路を選択していた。
だが、今回は違う。
粘菌が最も短いはずのルートを無視し、遠回りをするような動きをしていた。最初は迷路の構造が問題かと思ったが、何度試しても結果は同じだった。
「……三次元的なルートを使っているのか?」
ふと、以前の論文を思い出す。粘菌はシャーレの裏側を通ることで、我々の目には見えない経路を利用していた という報告があった。だが、この実験ではシャーレを密閉しており、裏側を通ることは不可能なはずだ。
「なら、一体どこを通った……?」
次に俺は、粘菌の移動経路を正確に追跡するために、高感度の蛍光マーカーを使って記録を行った。結果を確認するために、撮影データを解析ソフトで再生する。
……おかしい。
「こいつ、一度消えている……?」
動画をスロー再生すると、粘菌がある地点に到達した瞬間、突如として消滅 し、数フレーム後にはエサの近くに現れていた。
そんなはずはない。
通常の物理法則のもとでは、生物が突然消えたり現れたりすることはあり得ない。俺は映像の解析を続け、消えた瞬間の座標データを詳細に調べた。すると──
「……座標が、四次元に跳んでいる?」
計算結果が示す数値は、俺が知っている三次元空間の座標ではなかった。何かが”余分な次元”に触れているような数値が出ていた。
「まさか……」
俺の中で、仮説が確信に変わる。
粘菌は、四次元にアクセスしている。
俺は震えながら記録を読み返した。
粘菌は、ただの単細胞生物ではない。見えない道を知っている。 それは三次元の迷路を超えた、“もっと上の次元” に存在するルートを通っているということだ。
四次元の構造は、人間には理解しがたい。数学的には存在するが、それを現実として観測することはできないはずだった。だが、もし粘菌が”物理的に四次元を利用できる”のなら?
「この生物は……どこまで知っている?」
俺は粘菌が形成した経路のデータを解析し、三次元の投影図を作成した。すると、驚くべきことが分かった。
粘菌の動いた経路は、数学者が仮説として提唱していた「四次元空間内の最短距離」に一致していたのだ。
「これは……人類が知らなかった移動方法……」
つまり、粘菌はただ迷路を解いているわけではない。次元を超えた最短経路を取っている 可能性がある。
この発見は、理論物理学にもバイオコンピューティングにも革命をもたらす。もし粘菌のこの能力を応用できれば、四次元空間を利用した瞬間移動技術 が実現するかもしれない。
俺はさらに実験を進めた。
粘菌が四次元を利用する瞬間に、外部から干渉を試みる。もし意図的にルートを制御できれば、四次元を通じた通信や移動 が可能になるかもしれない。
試験装置をセットし、粘菌が移動する直前の座標にレーザーを照射した。その瞬間──
「……っ!」
視界が歪んだ。
次の瞬間、俺は別の場所にいた。
目の前には、見たことのない光景が広がっている。
三次元ではない、何か別の次元の世界が。
俺は気づいた。粘菌は最適経路を探していたのではない。
粘菌は、すでに知っていたのだ。
三次元の迷路を超えた、その先の世界のことを。
それから、俺は戻ってきた。
あの空間で何を見たのか──今はまだ言葉にできない。
だが、確かなことがひとつだけある。
粘菌は人間よりも、ずっと前から四次元を知っていた。
俺たちは、目の前の三次元しか見えていない。
だが、粘菌は違う。迷路を解くことにすら見える、単純な行動の裏には、未知の次元へのアクセスが隠されていた。
人類が粘菌の知識を理解できたとき、
俺たちは次の次元へ進むのかもしれない。