98 領主としての公務
ローラのじっとりとした視線をものともせずに、ソファーの上でお釈迦様のように指で軽く輪っかを作って、目を閉じて呼吸に集中していたら、レイモンが呼びに来た。
応接室へ、いざ出陣!
公爵は応接室に入ってくると、私の向かいのソファーに腰掛け、開口一番、
「剣の鍛錬をしている者たちを見かけたが、あれが君の言っていた騎士か?」
と、あまり触れてほしくない話題を持ち出した。
ちぇっ。いつの間に?
でも何事もなかったようだから、アレスターとは会っていないんだね。
「はい。先々代の、祖父の騎士だった方に戻ってきていただいたのです。彼らだけでは足りないので、来年、領内から数名騎士見習いを採用するつもりです」
「見習いか。確かに今から鍛えれば問題ないだろう」
騎士の話はあんまりしたくないんだよね。
多分、公爵も認めはするけれど、何かと注文を付けてきそうな予感がするんだよね。
「それよりも、『年始のご挨拶』の件についてお聞きしたいのですが」
単刀直入に切り出したのに、公爵は渋い表情を浮かべた。
「そのようにいきなり話題を変えるのは、優雅さが欠けていると侮られることになる。君は貴族同士で会話する経験が圧倒的に不足しているな」
はいはい。経験不足ですよ。
「申し訳ございません。お忙しい公爵の時間を奪うのは申し訳なくて、つい……」
しゅんと項垂れてみる。
「しおらしい態度まではよかったが、どうしてそこでチラチラと相手の表情を窺うのだ。それでは台無しだ」
うわぁー。そこまでお見通しですか。
「……う。私の至らない点はおいおい直すとしてですね。ご訪問の目的をお聞かせいただけないでしょうか」
「その言い方も看過できないが。まあ、今日のところはいいだろう。それも含めての話だしな」
それも含めての話?
――とおっしゃいますと?
もうこれ以上揚げ足を取られるのは嫌なので、むむむ? という顔だけで尋ねた。
「そのような表情も令嬢のものではない。はぁ」
公爵はなぜかため息をついてレイモンを見た。
レイモンが恐縮した様子で姿勢を正した。
は? 今、二人はどういう会話を交わしたの?
「コホン。年が改まるというのは、一年を通して最大のイベントとなる。何事もなく新しい年を迎え、昨年同様に栄華を極めている様を確認するということは、王族の、ひいては国の繁栄を祝うことに他ならない。国王主催の新年祝賀パーティーは、我ら貴族も祝辞を述べる重要な場なのだ」
えぇー。何やらとっても面倒臭そうなパーティー。
……………………え?
「あの。もしや、私も参加するのでしょうか? まだ未成年で社交界デビューもしていないのですが?」
だからこその後見人ですよね?
あの、そんなふうに黙ったままジロリと睨まないでください。
「ええと。後見人のリュドビク様が私の分までご挨拶をされるのでは?」
「特別だと言っただろう。新年祝賀パーティーは、領主は参加が義務付けられているのだ。未成年だろうと領主であることに変わりはないので、君ももちろん参加せねばならない」
公爵は一息にそう言うと、ギロリと鋭い視線を私に投げてから、「どんなに未熟だろうとも」と言い添えた。
カッチーン!
つまりアレか。公爵は、本当は私をまだ見せたくないんだね。未熟だから!
それなのに見せなくてはならない。後見人としての自分の評判が落ちやしないかと心配している訳ね!
くぅぅ。
それにしても、そんなパーティーなら、いよいよ私って目立つんじゃない? 出席している人たちに、全身舐められるように見られて値踏みされるに決まっている。
ハイエナの群れに幼気な子羊を放り込むなんて酷くない?
もう全員敵だな。
「私も後見人として出来るだけの支援はする。そのために王宮に参上するギリギリまで君を鍛えるつもりだ。我が公爵家の人間が一丸となって、心を鬼にして君を教育する」
……………………は?
……………………へ?
今、なんと?
鬼が何だって?
えーと。レイモンとローラが若干涙目のようなんですけど、ん? 二人とも頬を上気させてる?
まさかの、「公爵家から特別な教育を受けられるなんて!」とかの感涙じゃないよね?
この私がビシバシ鍛えられることを喜んでいる?
まさか……ね?
「モンテンセン伯爵領での初の年越しだ。君もそれなりに準備することがあるだろう。一週間だけ待とう。こちらから迎えの馬車をやるので、それまでに準備をしておくように」
『準備をしておくように』『準備をしておくように』『準備をしておくように』『準備をしておくように』…………。
応接室でこのセリフを告げられてからずっと、リフレインが止まない。
公爵は一泊だけしてお土産をたーんと持って帰ったけど、私はずっと心ここにあらず状態で、ぼんやりとした記憶しかない。
公爵は渋い表情で、ギヨームはニマニマした顔をしていたな、というくらいのことしか覚えていない。
けど、レイモンとローラは違った。
「マルティーヌ様! 一週間とのことでしたので、取り急ぎ大工たちには教会の修繕を五日で仕上げるように連絡をしておきました。何とかすると言っていたので、六日目に司祭様にご挨拶に伺う旨のお約束をいただきました」
お、おう。
司祭のフランシスさんにはこれまでのお詫びと、あー確か、収穫祭でもフォローしてもらったんだっけ。そのお礼も言わなきゃだね。オッケー。
「マルティーヌ様! 仕立てたドレスは全部持っていくとして、それで足りるでしょうか。公爵邸に滞在するとなると、どのような準備をすべきなのでしょう……。私が未熟なばかりにマルティーヌ様が軽んじられるようなことがあったら――私は、私は――」
「あー、ええと、ローラ? 大丈夫だから。いい機会だからローラも家政婦長とかに色々とご教示賜るといいわ」
「は、はいっ」
うーん。ドレスかぁ。もう楽なワンピース生活は年内は無理ってことね……。
こんな感じでレイモンとローラと大工さんたちが頑張ってくれた。
私は、約束通り六日目に教会に行き、ゲス親父の寄付凍結を詫び、収穫祭でのお礼を伝えた。まあ思い出したくなかったけど。
それと来年もよろしく的な挨拶と年越しにあたり物入りだろうからと多めに寄付して任務完遂。
きっと貧しい人たちは教会を頼るだろうからと、現物支給として食糧も渡したら、めちゃくちゃ喜ばれた。
それにしても護岸工事をやり終えていてよかった。一週間遅かったら完成していなかったもんね。
明日は移動の準備をして、明後日はいよいよ公爵邸へ向けて出発だ。
そこから年末ギリギリまでは謎の特訓。
年越しはかろうじて領地で迎えられるみたいだけど、なんかハードだわ……。
そして年が明けたら王宮のパーティー!
レイモンによると、王宮のパーティーの後、領内の顔役たちとの挨拶があるらしい。領内でのパーティーてことかな?
さすがに新年になれば、前の年の収穫祭のことなんかは話題に出ないよね? どうか忘れていてください。
あ、でも護岸工事や貯水槽のことは聞きたいな。
思い返せば、いつもハアハアと慌てて色んなことをやっつけている気がする。
今年はそういう年回りだったのかな?




