94 護岸工事⑤
カントリーハウスに戻ると、ローラがふんすと奮起して私の丸ごと洗浄を始めた。
脱いでわかったことだけど、ブラウスとパンツには結構な泥汚れが付いていた。
「ねえ、ローラ。洗えば綺麗になると思うから、洋服は捨てないでね?」
「……かしこまりました」
ちょっと! 今の間は何? まさか捨てるつもりだった?
駄目だよ、そんなもったいないことしちゃあ。それに仮に捨てられたとしても同じ服を作ってまた出かけるだけだからね。
湯浴みは手早く済ませたつもりだったけど、少しばかり昼食の時間に遅れてしまった。
ダイニングルームに入ると、私を待っていてくれたサッシュバル夫人が、「大丈夫ですよ」と言うようににっこり微笑んでくれた。
でも壁際へ目をやると、ちょっぴり難しい顔のレイモンが……。
誰だ? レイモンにチクったのは?
思いつきで予定にないことはしたけれど、時間的にも私の負荷的にも問題無い行動だったと思う。
私の椅子を引いてくれたレイモンが、着席して居住まいを正した私に声をかけてきた。
「マルティーヌ様」
「あのね、レイモン。川幅の拡張工事はものすごく簡単な作業だったの。土を移動させるだけだもの。それで時間が余ったから橋を架けたの。橋を架けるのも、貯水槽を一つ作るのと、ううん、それよりも簡単なことだったわ。だからこの通りちっとも疲れていないの。つまり、何の問題もないということよ」
以上。終わり。先んずれば人を制す!
レイモンは口元を一文字にして、黙って私を見つめた。
ま、負けないからね。そんな顔をされたって謝ったりしないし、「もうやらない」なんて死んでも言わない。
「…………」
「…………」
「…………」
「さようでございますか」
――勝った。レイモンとの根比べに勝った!
「…………」
「…………」
え? それだけ? 他には? 何も言われないっていうのも、なかなかのプレッシャーなんですけど。
「マルティーヌ様。馬車で移動するだけでも疲れるものですわ。ご自身でお感じになっていないだけで、疲労は蓄積されているかもしれませんわ」
私とレイモンの冷たい視線バトルを仲裁するかのように、サッシュバル夫人が助け舟を出してくれた。
ふっじーん! 有り難い。本当にいつもすみません。
「そうですわね。今日の午後は部屋でゆっくり休みますわ。明日も体を休めながらのんびり過ごすことにいたします」
「ええ。ええ。それがよろしいですわ」
私の回答にやっとレイモンの顔が綻んだ。はぁ。緊張した。
美味しい昼食を楽しんだ後は、有言実行する姿を示したくて、本当に部屋でゴロゴロして過ごした。
レイモンやローラに渋い顔をされたままだと、安心して工事に専念出来ないからね。
何かの拍子に工事を中断させられたり、工事期間を延ばされたりしかねないから、ご機嫌は窺っておくに限る。
そうやって、いい子で過ごしているうちに一週間が経ち、待ちに待った工事の日がやってきた。
今日は橋を二本と川の掘削工事だ。
レイモンが出掛けにキーファーを捕まえて、橋を架けた後は必ず休憩を挟んで、私の様子を見てから掘削工事を始めるようにと依頼していた。
キーファーとスコットは公爵の部下だから、初めのうちは遠慮していたレイモンだけど、もうすっかり自分の配下に置いているね。
レイモンは、キーファーだけでは飽き足らずローラとリエーフにまでこんこんと言い聞かせていた。
いや、心配が過ぎるでしょ。
「ローラ。リエーフ。ほら、早くして。時間を無駄にしないでね」
こういうときは無理やり引き剥がすに限る。
馬車は、先週歩き始めた蛇行を開始しているところよりも随分と川上の方で止まった。
どうやらここが橋を架ける最適ポイントの一つらしい。
更に上流に、ポツンと橋が架かっているのが見える。
「あの橋が現在ある二つの橋のうちの一つです」
先週とは大違いの、いつもの有能なキーファーが教えてくれた。
「それにしても、どうしてこんなに離れた場所に橋を架けたのかしら? 上流と下流の橋が離れ過ぎているように思うのだけれど」
「実は蛇行している箇所の近くにも橋が架かっていたそうなのですが、二十年前の洪水で流されてしまったそうなのです。その後、架け替え工事がなされないままだとかで」
うわぁ酷い。酷過ぎる。領民の生活を何だと思ってんの!
レイモンもさすがに、あのゲス親父に掛け合ったんじゃない?
私――やっぱり橋を架けてよかったわ!
レイモンに叱られたって、今日はうーんと丈夫な橋を二本がっちり架けてやる!
多分、久しぶりにゲス親父に対する怒りを覚えて、私の全身から黒いオーラのようなものが立ち昇っていたんだと思う。
誰も口を開かず、川の水流の音だけが我関せずと響いている中、私は無言で川べりに近寄った。
キーファーは、今日も準備に抜かりがない。
橋を掛ける位置に石灰と砂と砂利が山になっている。そして今回は石も最初から用意されている。
私が膝をつくと、作業員が一人、川の水を汲んで私の合図を待った。
ここからはもう流れ作業だ。
前回同様に混ぜて増やしてアーチ型に伸ばす。最後に石でコーティングして終了。
完成した橋を見て、「ふぅ」と息を吐いたら、嫌な物も一緒に吐き出されたらしく、平常心に戻ることができた。
「お見事です。相変わらず素晴らしいです」
今日のキーファーは随分と普通だ。レイモンにお説教でもされた? だとしたら効果覿面じゃないの。
「今日は蛇行部分の掘削があるから、橋についてはさっさと終わらせたいの。次に行きましょう」
「かしこまりました」
三本目の橋の設置場所は下流の方だった。前回最初に作った橋と下流に元々あった橋との中間くらいのところだ。
もうすっかり慣れて、チャチャのチャッチャッ、くらいの感じで出来上がった。
作業時間もどんどん短縮されていって、我ながら匠の域に達した感がある。
手を洗って拭いたら終わり。ふぅ。
「なんだか、なんというか――言葉が見つからないのですが。橋って、こんな風に一日に何本も架かるものでしたっけ……?」
キーファーの呟きにスコットも大きくうなずいている。
「それは魔法ですもの。授かった力を有効に使うだけよ」
私は当たり前のことを言っただけなのに、キーファーの目の輝きがなんだか先週のそれになっていく。
「そうおっしゃられても、やはり凄いことに違いないと思います! 領民の皆さんだって相当驚かれていましたからね。新しい橋の噂を聞きつけた領民の方たちが意味もなく橋を渡っている風景は本当に微笑ましかったです」
へ?
そういえば、領民たちの反応って一切私の耳に入っていないんだけど! それってレイモンが止めていたってこと?
私をこれ以上付け上がらせないため……?
「あ、あら、そうなの? 喜んでもらえたなら何よりだわ。それよりも今日はあの蛇行部分を直線に――」
「いいえ! 休憩が先です。レイモンさんから厳しく言いつかっていますので」
激しい剣幕のローラが割り込んできたので、最後まで言わせてもらえなかった。
そういえば、そういう話だったね。
「うっかりしていたわ。全く疲れを感じていないせいね。コホン。それじゃあお茶をいただこうかしら」
「かしこまりました」
ローラはいつでもお茶を出せるように、馬車のすぐそばでお湯を沸かして準備をしていたらしい。
折りたたみ式の簡易テーブルの上に、あっという間にお茶とお菓子を出してくれた。
「ありがとう、ローラ。いただくわ」
「はい。しっかり休憩なさってくださいね」
うん。本当にしっかりと休憩しないと、この後の作業をやらせてもらえないかもしれない。
蛇行部分を直線にする掘削工事って、過去一で大変そうだから、早く着手したいんだけどなぁ。
キーファーたちも誘おうと思ったのに、それを察知したのか出来上がった橋を点検したいとか言ってみんなローラから距離をとってしまった。
まぁさっきの形相は怖かったもんね。
何も今日一日で完成させないといけない訳でもないしと自分を慰めて、ローラの機嫌が直るようお茶のお代わりまでして、ゆったりと過ごした。




