90 護岸工事①
序盤だけとはいえ、私が基本ステップを踏んでみせたことに、サッシュバル夫人は驚愕した。
「全米が驚いた!」という映画の謳い文句みたいに、両手で頬を挟んで目を見開いていた。
……え? そんなに驚く?
「マルティーヌ様……よくそこまで……あぁ……本当に……」
言葉が出てこないくらい驚かれたんですね。
「リエーフに練習に付き合ってもらい、なんとか最初の方のステップは踏めるようになりました。頑張って年内に基本ステップをマスターするつもりです」
「素晴らしいです! 私は自分が恥ずかしいですわ。マルティーヌ様を信じることができず、そろそろリュドビク様に相談をしようかと思っていたところだったのです」
あっぶな。間に合ってよかったよ。
あ、アレを言っておかなくっちゃ。
「引き続きダンスの練習はしてまいりますが、体力を使い過ぎないよう休憩を挟みながら一、二時間程度に抑えるつもりです」
「まあ、もちろんですわ。長時間の練習はお勧めしません」
よしよし。
「そうやって体調をみながら、寒さが厳しくなるまでの間は領内の視察をしたいと思っています」
即座に、「それはよろしゅうございますね」と言ってもらえると思ったのに、夫人はしっかり、「ん?」という表情を浮かべて私を見た。
「まぁ出かけるといっても半日程度ですし、馬車での移動ですからダンスほど疲れませんわ。まだ訪れていないところが残っていますから、なるべく早く顔だけでも出しておきたいのです」
もう工事のことは伏せて外出に的を絞った。
「そう――ですわね。跡を継がれたばかりですものね……」
夫人は考え込みながらも、同意してくれたのかな?
「はい。体調管理には気をつけますので、講義に支障をきたすような真似は致しません。どうかご安心ください」
「ええ。レイモンさんからも、使用人の皆さんが常に気を配っていらっしゃるとお聞きしておりますわ」
え? そうなの? 私は何も聞かされていないんですけど……。でもまあ、これでお出かけオッケーってことだね。ふふふ。
レイモンと相談した結果、派遣スタッフを伴っての護岸工事の日が決まった。
その工事を三日後に控えた休講日の今日は、派遣スタッフとの事前打ち合わせだ。
ちなみに、最初の頃は講義日と休講日を交互に設定してもらっていたけど、外出した翌日は休みたいので、途中から三日のうち二日は連続して休めるように変えてもらった。
講、休、講、休、講、休、講だったのが、講、休、休、講、講、休、講になったのだ。
だから、工事は連休の前の日に設定している。
レイモンに我が儘を言って、打ち合わせは応接室でしてもらうことにした。彼らの日頃の働きに謝意を示したかったから。
打ち合わせが半分、美味しいお菓子とお茶でもてなしたいというのがもう半分。
レイモンも反対しなかったので、彼らに一緒のテーブルに着いてもらうことになった。
部屋に入ってきた二人は、きちんと並んで順に挨拶した。
「マルティーヌ様。このようにもてなしていただくなど身に余ることですが、せっかくのご厚意ですので喜んでお受けいたします」
こんな風に改まっての挨拶は、彼らを受け入れた日以来だ。最初に挨拶をしたのはキーファー。
髪の毛も瞳もカカオ九十パーセントくらいのチョコの色をしている。やや年齢不詳。二十代半ばのようにも三十代後半のようにも見える。何歳だ?
それでも親しみやすい雰囲気の好青年だ。
「私もご相伴にあずかります」
そう言うスコットは、黒髪で翡翠のような薄緑の瞳をしたシュッとした青年だ。厚めの前髪が目を半分隠している。優等生っぽい青年。前世の大学生みたい。
「そう言ってもらえると嬉しいわ。二人には本当に感謝しているの。まずはお茶とお菓子を召し上がって。お話はそれからにしましょう」
今日は贅沢にデザートプレートを用意してもらった。
人気のスイーツをミニサイズでたくさん味わってもらうのだ。ハーフサイズのプリンとほぼサイコロ状のパウンドケーキとショートブレッド。それとプチシュー。
紅茶はオレンジ風味のフレーバーティーにしてもらった。
むふふふ。自分で用意しておいて何だけど、テンションが上がるわぁ。
紅茶で喉を潤してからパウンドケーキをいただく。あー胡桃を多めに入れてくれている。美味しい。
キーファーとスコットもそれぞれ気になるものから手をつけている。へぇ。キーファーはプリンでスコットはプチシューだ。
まぁ――私の個人的なお茶会は、相変わらず毒味の意味をなさないね……。二人は貴族ではないからいいかもしれないけど。今じゃリュドビク様もなし崩し的に毒味不要になっちゃったし……。
食べ慣れている私でも美味しさに感動するくらいなので、初めて食べる彼らが無言で完食してしまうのも無理はない。本来ならば談笑しながら食べ進めるはずなのにね。
出来るスタッフをここまで夢中にさせるなんて、さすがだね、アルマ!
キーファーはすぐに失態に気づき、フォークを置くと神妙な面持ちで詫びてくれた。
「大変失礼いたしました。あまりの美味しさに、つい夢中になってしまいました。どうかお許しください」
目尻を下げて面目なさそうに謝るキーファーに同意するように、スコットもペコリと頭を下げた。
ふふふ。わかる。わかる。全然問題ないよ。
でもちゃんと状況を理解し、すぐさま謝れるなんて、本当にしっかり教育されているよね。フランクール公爵領の人材の厚さよ!
エース級を二人も貸し出して問題ないところがすごい。さすが公爵家。
「これまでもたまに変わったお菓子をいただくことがあったのですが、何度食べても驚いてしまいます。公爵閣下が虜になられる訳です。閣下からたまにいただく書面からも、こちらのお屋敷で出される食事やお菓子を気にされているご様子が窺えます」
キーファーがそう言うと、スコットがうなずいている。面白いコンビだね。
……ん? 公爵が? あ! そっか。そりゃあ報告しているよね……。まぁ構わないけど。
それにしても、毎週あれだけお菓子を送っているのに、こっちで出される食事まで気になっているなんて。公爵は本当に食いしん坊だねぇ。
――っと。そんなことよりも。
「リュドビク様のお口に合ったものを提供できていたということでしょうか。それであれば私の方こそ嬉しいですわ。コホン。それよりも――」
「はい。三日後の護岸工事の件ですね」
「ええ」
キーファーとスコットはあっという間にお仕事モードになると、食器を片付けだし――ちゃんとローラが動いてくれた――私に見やすいように地図を広げてくれた。




