73 収穫祭②
時々、講義中にサッシュバル夫人に注意されたり、休講日に会場の設営状況を見に行ったりしているうちに、あっという間に日にちが過ぎていった。
そして、いよいよ明日が収穫祭だという今日、公爵様御一行がカントリーハウスにやって来た。
「やぁマルティーヌ! 元気にしていたかい?」
は? なんでパトリックが一緒に来ちゃうの?
公爵からの、『喜んで出席させていただく』という返事には、パトリックのことなんか書いていなかったのに。
「この前は置いてけぼりを食らったからね。公爵邸で異変がないかどうかアンテナを張っていたら、案の定だよ!」
さようですか。
パトリックはなおも、「使用人たちまでグルとなって、この僕に知らせずに留守番をさせようとしていたんだ!」などと文句が止まらない。
気持ちはわかるけど、人ん家の玄関先でワーワー騒ぐのはやめてほしい。
もー。公爵もギヨームも知らん顔をしていないで、自分が連れてきたお荷物くらいは責任を持って面倒を見てくれないかなぁ。
公爵は、仏頂面の私には型通りの挨拶をしただけで、すぐにレイモンにパトリックの手綱を委ねた。
「随行者が増えることを知らせることが出来ず申し訳ない。悪いが伯父上の部屋を頼む」
はい。はい。
レイモンは、「承知しました」と、いかにも歓迎しますという笑顔でパトリックの荷物を持った。
彼だって、内心では客室にお料理に、とにかく諸々プラス一人前って慌てていると思うんだけどね。
やはり収穫祭というのは特別なイベントらしく、前日は準備が大変だろうということで、珍しくパトリックも口を慎んで大人しくしてくれた。
公爵が事前に、「もてなしは不要なので、夕食も簡易なもので結構」と言ってくれたので――「公爵のお言葉」イコール「指示」を無視しては、せっかくの配慮を踏み躙ることになるので――その言葉通りに品数を抑えての普段通りの夕食となった。
サンキュー、公爵。
おかげで、来客がいるにしては穏やかな夜を過ごせたよ。
翌朝。目が覚めても「お祭り」という実感は湧かなかった。
今朝の朝食は、スープと卵料理だけの軽いものにしてもらった。会場に行けば、一日中料理が並べられているそうだから。
公爵には食べる量を選んでいただけるように、一応、二種類のジャムのデニッシュとベーコンやチーズも少量加えて出した。
まさか、それらを完食するとは思わなかった。話、聞いてた? 会場でも食べるよね?
デニッシュを二つだけにしておいた私に感謝することになるかもよ?
やれやれと密かに肩をすくめていたら、ローラに、「フランクール公爵閣下よりもマルティーヌ様の方がお支度に時間がかかりますので、すぐにでも始めませんと」と、食休みもほどほどに湯浴みをさせられた。
朝風呂は気持ちいいけど、胃に食べ物が残っているときに入るもんじゃないね。
喉元まではいかなかったけど、鎖骨の辺りまで逆流してきそうになって、ちょっと危なかったよ。
部屋に戻ると、メイドが一人待っていた。私の支度にローラと二人がかり?
ローラの手によって、私のミルクティーのような薄い茶色の髪の毛は念入りに櫛を入れられ、ハーフアップにまとめられていく。
同時並行でメイドに顔全体に軽く粉をはたかれ、唇にほんのりと桃色を乗せられた。
満足げなローラが合図をすると、メイドが大きな箱を持ってきて開けた。
なんと!
中には唇と同じ薄桃色のドレスが入っていた。箱いっぱいの、たっぷたぷの布の分量から、すごく気合の入ったドレスだとわかる。
「ローラ、これって……」
「はい! レイモンさんと相談して急ぎ仕立てたドレスの中の一着です」
カントリーハウスに引っ越してきて、早々に採寸したのはこのためだったのか!
「マルティーヌ様の身の回りの品があまりにも貧相でしたので、レイモンさんが色々と手配をされたのです」
あー、そっか。レイモンは、タウンハウスでの私の暮らしぶりを見ちゃってるもんね。
それで今はこうして上質な物に囲まれて生活できている訳か。
それにしても、誰のデザインだろう? このドレス、ちょっとフリルが多過ぎる。刺繍やビーズは綺麗なんだけど、幅広のフリルは幼すぎない?
アラサーの精神を殺さないと恥ずかし過ぎて着れないよ。
「マルティーヌ様?」
ローラがドレスを広げて待ち構えている。
くぅー。私じゃない。マルティーヌが着るんだ。私じゃない――って。結局、私なんですけど!
観念して着たら、ローラは少しだけ泣きそうな顔で、それでいて瞳を輝かせて私を見た。
「よくお似合いです。マルティーヌ様。とってもお綺麗ですよ」
「そう? ありがとう」
そこまで感激されたらもう何も言えない。
改めて全身を鏡に映して見たら――背が低いから、ただのロリロリの美少女……。
会場におかしな性癖の人がいないことを願う。
思いの外早く支度できたので、ローラがお茶を淹れてくれた。
「今年はレイモンさんから、いわゆる「顔役」という方々に、収穫祭での主な催しが事前に通達されたので、もう開催前からいつになく盛り上がっているらしいですよ」
昨夜から祭りを始めてしまった者もいると聞いて、紅茶を吹き出しそうになった。
ほんと、そういう人ってどこにでもいるんだね。祭り好きの江戸っ子かよ、とツッコミたくなる。
嫌いじゃないけどね!
私の今日の予定は、午前中に家畜の品評会の審査をし、メイン会場で昼食の号令をかけ、三時の鐘で中締め的に挨拶をしてカントリーハウスに戻るというもの。
公爵には、品評会で選ばれた方への金一封の授与をお願いしたけど、「それこそ領主が渡すべきだろう」と断られた。
じゃ、公爵は何をするんだろ? みんなが騒いでいるのを遠巻きに見ているだけ……?
それで楽しめる?
ま、いっか。好きにしてもらおう。
パトリックは、「僕は自由に見て回りたいから」と、昨夜から単独行動を宣言していた。
レイモンの「かしこまりました」というときの口ぶりから、多分、黙って使用人を一人付けておくんだと思う。あの人、一人じゃ危なっかしいからね。
十時になり、エントランスホールへ行くと、バッチリ決めた公爵が待っていてくれた。
うぉぅ! これはこれは――いい男っぷり!
暗いところだと黒にしか見えないくらいの、限りなく黒に近いダークブルーのフロックコートを着ていた。
黒いサラサラヘアとよく合っている。
背が高い人はロング丈をおしゃれに着こなせるから、男性でも羨ましい。
「何ですかねー、その表情は。嫉妬? ――なはずはないですよねー。うーん? じゃあ、羨望? それも変だなー」
ギヨームは相変わらず失礼。サッシュバル夫人にマナーを注意されればいいのに。マナー違反三回で罰金とか、何か懲らしめる方法はないかなぁ。
でもギヨームだって、外側は――顔だけはイケメンだから、これまためかし込むと、いい男に変身するんだよねぇ。
主人よりも派手なダークレッドの上着を着ているけど、いいの? まぁ秋色だから収穫祭にはお似合いか。
でもでも――。私だってちゃんと用意していたからね!
ぐふふふ。振り返るとキラキラと輝いているリエーフがいる。公爵ともギヨームとも違う雰囲気の美少年。
今日は赤バージョンの制服を着てもらっている。
階級なんか存在しないんだけど、肩に金色の星を三つ付けてあげた。誰も意味がわかんないと思うけど、いいんだ。ふっふっふっ。
「それでは参りましょう」
レイモンの一言で使用人たちが動く。ドアを開ける者。ドアが開いたのを見て馬車の踏み台を用意する者。見送りに並ぶ者。
馬車は我が家の紋章付きのものを使用すると決まっていたので、私は昨日のうちにしれっとベッド仕様からソファ仕様に変更しておいた。
公爵は乗り込むと、座り心地を確かめている。
心配しなくても一緒ですよ? 私が公爵家の馬車の改造を手抜きしたとでも?
「君が手を加えた馬車は相変わらず面白い。座席にも背もたれにも配慮が行き届いていて座っているのが苦にならない」
そうでしょ?
「お褒めいただき光栄です」
「それと――」
それと?
「君も今日は随分と可愛いらしい。領民たちも喜ぶことだろう」
……………………え?
「なんだ?」
「い、いえ。ありがとうございま……す?」
びっくりして疑問形になっちゃった。
でもちゃんとお礼を言ったんだから、顔をピキッと固めないでほしい。
ギヨームはギョッとした顔で目を見開いたかと思うと、じとーっと公爵の顔を見て、それからいつものニヤニヤ顔で私に向かって言った。
「わかりますよ、マルティーヌ様。『五十点!』とおっしゃりたいのでしょう?」
……は?
「言っていません」
「そんなむっつりした顔で仕方なくといった感じでは駄目だとおっしゃりたいのですよね!」
「なんだと?」
「言っていません!」
「うんうん」じゃないよ!
ギヨームめ。余計な波風を立てないでほしい。
公爵は本当にむっつりと黙り込んでしまった。
それにしても、公爵に初めて外見を褒められた気がする。いや、この世界じゃこれが普通なんだってことが今ならわかる。
サッシュバル夫人も、「リュドビク様は、本来ならばマルティーヌ様に会うたびにお褒めの言葉をおかけするべきなのですが」と、いつも残念そうに言っているからね。
公爵はそれっきり窓の外を見ていて、会場に着くまで一言もしゃべらなかった。別にいいけど。
メイン会場に近づくに連れて、どんどん人が増えていく。
会場内はすごい人だかりだ。もう人、人、人、人。迷子の案内所とかがいるんじゃないの?
大勢の話し声の他に、軽快な音楽が聞こえる。何かの弦楽器かな?
楽団にでも来てもらっているのかもしれない。
あー。でも懐かしいな、こういう雰囲気。会場全体の一体感というか、みんなで盛り上がっている感じ。
同じ場所にいるだけで気分がアガるよねー!
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