7 初めての王都散策
「私、領主になったからには領地で暮らそうと思っているの。だから、王都にいるのは後見人を決めるまでのつもり。つまり一月かそこらよ。だからその間は私が料理を担当するわ」
「そ、そのようなこと――なりません! マルティーヌ様。使用人の仕事をマルティーヌ様がなさるなんて駄目です!」
レイモンが諌めるよりも前に、ローラが目を丸くして反対した。
そりゃあ普通はね。でもね……。
「非常識かもしれないけれど、私が好きでやることだから大目に見てくれないかしら。そうだ。今日の晩ごはんを私が作るから、それを食べてから話し合いましょう」
ローラはなおも、「マルティーヌ様が厨房に入るなんて」とぼやいていたけれど、レイモンが私の我が儘を許してくれた。
「それでは料理人も解雇いたしましょう。夕食はマルティーヌ様のお気が済むようになさってください。――ですが。さすがに使用人たちの食事までマルティーヌ様が準備なさるなど、目こぼしの範囲を超えております。ローラもドニも、自分たちが食べるものくらいは何とでもしますので。料理人が一月も不在とは長過ぎます。腕の良い料理人を探すのは難しいですが、贅沢を言わなければそれなりに応募はあるでしょう。その中から一人採用していただけないでしょうか。期限付きの臨時雇いということで構いませんので。もし腕がよければ、マルティーヌ様が領地にいらっしゃる際に同行させてもよろしいかと。料理人が一人増えるくらい問題ございませんから」
「そうねえ……」
確かに、領主として領地経営を行うのなら、一日に何度も料理を作ってはいられない。
「じゃあ、レイモンの言う通りにするわ。期限付きの予定だけど、腕がよくて、本人が引っ越し可能ならば、領地で引き続き雇うという条件でお願い」
「かしこまりました」と言うレイモンは、心なしか安堵の表情を浮かべている。
あれ? そんなに我が儘だった?
「じゃあ、レイモンはこの後、使用人たちとの(解雇)面談ね。さっき早馬を出したばかりだし公爵からの返事はさすがに今日は来ないわよね? だったら、街に行ってみてもいいかしら? 私、王都にいながら外出した記憶がほとんどないの」
そうなのだ!
マルティーヌは、母親が元気な頃は茶会に連れ出してもらうことがあったけれど、彼女の具合が悪くなってからというもの、今日まで一度もこの屋敷から出ていないのだ。
もう鼻血が出そうなくらい頭使ったから、とにかく気分転換がしたい。ただそれだけ!
「それは――。護衛もつけずに外出なさるのは危のうございます」
それを言われたら辛い。護衛なんて、この家にはいないよ?
「そうかもしれないけれど。貴族が買い物をするようなお店なら問題ないと思うの。別に下町に行く訳じゃないのだし。ね? お願い」
渾身の上目遣いでレイモンをじっと見ると、レイモンは一瞬だけビクッとして、「ふむ」と顎を触りながら少し考えると、優しい笑みを浮かべた。
「……そうですね。ローラが一緒であれば大丈夫でしょう。ただし、ローラも王都は不案内ですので、大通りを歩くだけにしていただけますか?」
「ええ。約束するわ」
やったー!!
おでかけだっ!! この中世風の世界の街並みを見てみたかったんだ。
それにしてもレイモンて、もしかして上目遣いに弱い……?
できるだけ目立たないように、装飾の少ない地味なドレスに着替えて、髪は両サイドを編み込むだけにしてもらった。
今日はローラが着替えさせてくれたけど、本当は一人でも脱ぎ着できるワンピースを作りたいんだよね。
高校のときの友人にレイヤーがいて、衣装作りを手伝ったことがあるのだ。まあ、ミシンの直線縫いくらいだったけど。
友人の制作過程はものすごく勉強になったわ。
成形魔法は、完成形を思い浮かべることが重要なんだけど、その制作過程も詳細に意識できれば、より精度の高いものを生成することができる。
だから布地と軽い金属があれば、ファスナー付きのワンピースだって作れるはず。
うん。これは後で絶対にやってみよう。
「マルティーヌ様。いかがでしょうか?」
「ありがとう。自分で言うのもなんだけど、すごく可愛いわ」
「マルティーヌ様はとってもお可愛いですもの。お気に召していただけてよかったです」
……あら? そう? でも本当に、本当に可愛いわ、私。
マルティーヌって、髪色こそミルクティーのような茶色で平凡だなーと思ったけど、瞳の色は綺麗な緑色をしているんだよね。
記憶が戻ってからというもの、鏡を見ては、いつも自分の瞳に見惚れている私。ふふふ。
馬車を路肩に停めて降ろしてもらうと、あっという間に街の喧騒に飲み込まれた。
なんという活気!
行き交う人々は大半が平民のようで、マルティーヌから見ると質素な洋服を着ている。それでも裕福な部類に入るであろうことは何となくわかる。
お忍び感覚できたけど、私って、めちゃくちゃ目立ってない?
「マルティーヌ様? いかがなされました?」
「ええ、ちょっと。人の多さに驚いただけよ」
「さすがに王都は違いますね。領地ではこれだけの人が集まるのは、お祭りくらいなものです」
やっぱり?
初めて東京に出てきたとき、私もそう思ったわ。
御者が気を利かせてくれたらしく、私たちが降りたところは、王都の中でも高級店が立ち並ぶエリアだったみたい。
ちらほらと従者を連れた貴族らしい人もいる。
今日は買い物じゃなくて散策をしたいんだよね。街ぶらだよ。
でもあれだ。迷子になったら目も当てられない。スマホのない世界でどうやって連絡を取ればいいのかわかんないもんね。
「ねえローラ。手を繋いでもらえる?」
「かしこまりました」
「ふふっ」と笑って、ローラが私の手を握ってくれた。ローラは十四歳って言っていたから、私とは二歳しか違わない。それなのに身長差が十センチくらいある。
もしかしてマルティーヌってチビなの? 確か百五十センチなかったはず。
十二歳の平均身長がわからないけど、ローラ並みに百六十センチは欲しいところ。早く成長してほしいな。
「こうしてマルティーヌ様と手を繋いでいると、弟や妹を連れて出かけたときのことを思い出します」
「ローラってお姉さんなのね」
「はい。五人兄弟の一番上です。うちは貧乏な小作人でしたから、カントリーハウスで働けることが決まったときは、家族みんなが喜んでくれました。ですから――」
ローラが繋いだ手に力を込めた。
「レイモンさんや先輩方から教わったことを忘れずに、いかなるときもマルティーヌ様をお支えいたします。何があっても私がお守りしますから」
なんか――。どうしよう。そんな熱い宣言を聞かされて何て言えばいいの?
それにしても中学生くらいの女の子に、「守る」って言われる私……。
「申し訳ありません。私ったら勝手なことを。マルティーヌ様のお話を伺うのが私の仕事ですのに」
「いいえ。ローラのことを聞けてよかったわ。未熟な当主だけど、これからたくさん学ぶつもりよ。だから私の知らないことは、遠慮なく教えてもらえると助かるわ」
「マルティーヌ様。私も侍女としては駆け出しですので……。ですが、いずれは家政婦長を任されるくらい仕事を覚えますから」
ローラって、熱血の人なんだ。
初めて部屋に入ってきたときは、ものすごく緊張しているように見えたけど。
「それにしても。まだ十二歳だとお聞きしておりましたが、こんなにお可愛らしくてしっかりなさっていて、おまけにお優しいご主人様だったとは。もう、本当に嬉しくて……。私は幸せ者です」
うぅ。泣かせるようなこと言わないでよ。
「私の方こそ幸せよ、ローラ。あなたに、レイモンに、ドニ。あなたたちが側にいてくれて本当に心強く思うし、実際、助かったもの。こんなにも早く駆けつけてくれて――私、本当に感謝しているのよ」
「か、感謝だなんて、もったいない」
ローラが感極まってしまった。
そうさせた自分がなんだか気恥ずかしくて、思わず早歩きになってしまった。