65 公爵がまた来た
公爵がトマトを大量にくれたせいで、意図せず優先順位二位のケチャップの販売がどんどん進んでしまったけれど、一位の貯水槽設置の方が重要なのだ。
ただ、領地を巡って農家にヒアリングし、土地の状態等を調査した上で、貯水槽の設置場所の要望をすり合わせて具体的な設置場所を決めるという作業は、膨大な労力と時間がかかる。
公爵から派遣してもらったデキる人材を以てしてもだ。
私に至っては手伝うことも出来ないので、講義がお休みの日の三時のお茶の時間に、こうしてたまにレイモンを呼んで進捗確認をするほかない。
まぁ作業の性質上、数日単位ではなく週単位で進捗を聞くくらいがちょうどいい。
「ねえ、レイモン。最初に小麦畑から始めたのは、尋ねる人数が少ないから?」
「さようでございます。収穫が終わっているのも大きな要因ですが、小麦の生産者は比較的規模が大きく、小作人を雇っていることが多いですから。隣接する農地との調整が発生することが少ないのです。ですので、最初はそういうところから始めて、徐々に小規模なところへと広げていく予定です」
「そうなのね。それにしても、フランクール公爵家から派遣してもらった方は、地図も書けるのね」
「私も驚きました。さすがにその技術までは習得できそうにありませんが」
そうなのだ。
レイモンがいつも広げている地図の上には、大まかな農産物の枠が書かれているだけなんだけど、ヒアリングが終わった農地については、派遣スタッフ(と私は心の中で呼んでいる)が拡大した地図を書いて、丸印で設置場所を書き込んでくれているのだ。
この世界の元々の地図にしても、想像していた以上に詳細な地図が作られていて驚いた。
だけど、派遣スタッフの書いた地図は、作付けされている正確な場所や細い生活道路まで書かれていて、これは後々使えるぞとヨダレが出そうになる程だったのだ。
貯水槽の設置場所については順調に調整が進んでいる。
川が近くにある場合は併せて調査をしてくれているらしいので、私の作業ポイントの洗い出しはあっという間に終わりそうだ。
三大計画が順調に進んでいることに安堵している私の様子に、レイモンが満足そうに表情を和らげた。
そして次の話題へと移った。
「マルティーヌ様。ケチャップの方もご報告がございます。納品した店舗から続々と報告が入っておりますので」
「まあ。待っていたのよ。あの味は受け入れられたのかしら?」
あー、早く聞きたーい!
「はい。持ち帰り商品のケチャップの小瓶がポツポツと売れ始めているとのことです」
…………!!
くぅー! 味をわかってくれたんだね!
「本当にようございました。まだまだ認知度は低いので、商品が広まるにはまだ時間がかかりそうですが。それでも概ね順調と言ってよいのではないでしょうか」
「そうよね。ケチャップの販売は見込みがありそうね。商品への理解が深まれば、それだけ買っていただけそうね」
報告しているレイモンも嬉しそうだ。
ケチャップの評判や売れ行きなどについては、レイモンが事細かに公爵へ報告しているだろうけど、一応、私からも謝意を込めて報告することにした。思いっきり点数稼ぎだけど。
――これは果たして、思惑通りに点数が稼げたということなのか?
いや、違うでしょ!
「随分と不服そうな顔をしているが、感情をコントロールする練習が不足しているようだな」
むっ。悪ぅございましたね。
せっかくの休講日なのに!
日帰り視察から戻ったら、公爵とギヨームが、さも当然という風に応接室に鎮座ましましていた。
はぁ?! なんで?!
ほんと、どうして? 何しに来た? なんか用があった?
心の底から公爵がやって来た理由がわからない。
「二点ある」
おっと。言葉でなく顔つきで質問してしまったらしい。
「まずはいい話からだ。あのケチャップという商品だが、我が領地でも評判は上々だ。私が利用するレストランに無料で渡してみたのだが、随分気に入ったようだ。まとまった数を仕入れたいと言ってきた」
うぉぅ! サンプルとして無料で配ったんだ! やるな、公爵。
「そのうちレストランを利用した客から噂が広まることだろう。裾野が広がれば量を捌けるので、その分価格を下げることも可能だと思うが、君はどうしたい?」
ほうほう。量より質を重視して、出荷を制限して高価格を維持するか、それとも薄利多売の方へ舵を切るのか、という質問ですね。
「私といたしましては、大勢にケチャップを使った料理を楽しんでいただきたいと思います。来年のトマトの収穫時期までに大量に生産できる体制を整えまして、ある程度、価格は下げたいと考えておりますが、フランクール公爵はいかがお考えですか?」
私はこの世界でケチャップ好きを増やしたいんだよねー。
「それもよかろう。君が生み出した商品なのだ。高級品としてではなく普通の調味料として扱い、大衆に広く販売するということだな。では、価格設定については、後ほど家令を交えて検討するとしよう。ところで、今回送ってもらった分の代金だが、利益配分はどのように考えている?」
え? えぇ……? お土産に毛が生えたくらいにしか思っていなかったよ。
「今回の物につきましては、原材料のトマトと瓶をご提供いただきましたし、試供品という意味合いもございますので、利益が出た分はそちらでお納めください」
「それでよいのか? 材料費を差し引いても利益が出る試算をしていたのだが」
あら? いくらか払ってくれるつもりだった?
あ! じゃあ――! 頼んじゃおうか? 今、この流れで言っておく?
「あの。でしたら、利益配分の代わりにお願いしたいことがございます」
「聞こう」
「水害対策のための調査に、お二人派遣していただいておりますが、あの方たちの滞在期間を半年ほど伸ばしていただくことは可能でしょうか?」
公爵が不意に足を組み替えたのでドキッとした。
表情に変化はないけれど、青い瞳の奥ではきっとフル回転で思考したに違いない。
「派遣期間をいつまでとは決めていなかったな。そちらでの仕事が完了するまでという約束だったので、水害対策の他にも――というのならば。……半年か。ふむ。よかろう。それくらいならば問題ない」
やったー!
お! レイモンも親指立てたそうにしているね! まぁ、そんな仕草を彼は知らない訳だけど。
私、いい仕事をしたよね?
「ありがとうございます!」
「感情が表に出ている」と注意されたばかりだったのに、隠すことなく浮かれてしまった。
慌てて表情を戻したけど、公爵は厳しい表情だ。




