37 ハッシュドポテトの美味しさの秘密
「マルティーヌ様。ケイトがまいりました」
ローラが、「ぐふぐふ」と顔を歪めている私を現実に引き戻してくれた。
――いけない。妄想癖をどうにかしないと。
ドアを開けたローラの後ろで、悲痛な面持ちのケイトが深く頭を下げていた。
「マルティーヌ様。何かございましたか? 厨房で毒味を済ませておりますが、お味が悪うございましたか? 至らぬ点につきましてはお詫び申し上げます」
そういえば、ケイトをこんな風に呼んだことなかった。
叱責されると思うよね。ごめん。ごめん。
「違うのよ、ケイト。ええと、とりあえず中に入ってちょうだい。わざわざ来てもらったのは、少し話を聞きたかっただけなの。今日のハッシュドポテトがいつもと違ったから――あぁ、美味しいという意味よ? いつも美味しいのだけれど、今日のは特別美味しかったから何が違うのか気になったの」
「ええと……」
もう。そんなに遠慮しないで。口ごもっていないで早く教えてよー。
「どうなの? 何か新しい工夫をしてみたのでしょう?」
「あの、いいえ。いつもと同じです――けど」
「え?」
「え? あ、申し訳ありません」
いやいや。絶対に違うから!
「あなたは違いに気がつかなかったの?」
「ええと。いいえ。私が作ったものを自ら毒味する訳にはいきませんので。補助役の者に食べさせました」
「そう――なの……」
部屋の中の空気が気まずくなった。私が思いっきり落胆したせいなんだろうけど。
「でもおかしいわね。いつもと味が違うのはどうしてかしら? そうだ。まだ残っているから、あなたも食べてみて。アルマ、あなたも食べてちょうだい」
ケイトとアルマは同じレシピで調理するので、二人が作るハッシュドポテトにそれほど差はない。
私が(大事に)食べ残していたハッシュドポテトを、二人は、「失礼致します」と断ってから、ひょいと手でつまんで口に入れた。
「ケイトさん。これ――。いつもと違います!」
「あら? 本当だわ。どうして?」
二人はようやく私の言っていることが正しいとわかったみたい。
「ね? 美味しいでしょう?」
「ですが、マルティーヌ様。私は本当に心当たりがないのです」
ケイトは眉尻を下げてため息をついた。
「ねえ。厨房にいた補助役の人を呼んでくれない? もしかしたら、ケイトは知らず知らずのうちに何かを混ぜ込んだかもしれないじゃない? 肘がぶつかった拍子に何かが紛れ込んだりとか……」
「そんな! そんなことは絶対にありません。そういうことがないように、厨房の整理整頓はきっちり行っていますし、調理中によそ見をしたりはしません」
「そ、そうよね」
確かに。私が言ったようなことが起こったらまずいかも。
不注意で変なものが料理に混ざる可能性があるなんて、許されないよね。軽はずみなことを言ってごめんなさい。
「とりあえず何か気づいた人がいるかもしれないから、補助役の人にも聞くだけ聞いてみたいわ」
「かしこまりました。それでは私が呼んでまいります」
ケイトは責任を感じているらしく、深々と一礼してから部屋を出て行った。
厨房でケイトやアルマの補助として働いていたのは、男性二人だった。結構な人数の食事を用意するとなると、食材を運ぶだけでも一苦労だものね。男手は欠かせない。
ケイトとアルマを含め、四人とも緊張で顔色が悪い。
さて。リラックスして話してもらうには、どういう風に水を向けたらいいのかな。使用人とざっくばらんに話せる関係作りってどうやるんだろう?
まずは、私が怒っていないということをはっきり伝えるべきだろう。なんの過失もないってことを先に伝えてあげないとね。
「あなたたち――」
「すみません!」
「俺のせいなんですっ!」
……は?
私は、「あなたたちの仕事ぶりをとやかく言うために呼んだ訳ではありません」と言おうとしたのに、いきなり補助役の男性二人が床に両手と膝をついて涙目で私を見上げた。
――は? 何? この土下座スタイル……。
「マルティーヌ様。何か問題がございましたか?」
こっ、こらっ、ちょっ、待って! リエーフまで入ってくるとややこしくなるから!
「違うの、リエーフ。なんでもないから。ちょっと誤解が生じているだけなの。あなたは部屋から出てドアを閉めてちょうだい」
「――ですが。明らかにこの者たちは自分のしたことを反省して詫びているように見えます」
そうなんだけど。そうなんだけど!
誤解なんだってば! はい、そこっ! 剣に手をかけて怖がらせたりしないっ! イケメンが睨め付けたら迫力が増すだけだからやめて!
「だから今からその誤解を解くの。いいから、あなたは部屋を出て行ってちょうだい」
リエーフは心外だと言いたげに、口を一文字に引き結んで私に無言の返事をした。
もー。皆まで言わせる気?
「これは命令です。今すぐ、部屋を出なさい」
いやだなぁ。リエーフと喧嘩なんてしたくしないのに。
「リエーフ。大丈夫です。マルティーヌ様のことは私に任せてください。何かあればすぐに呼びます」
あぁローラ! ありがとう。リエーフ。ほら、そんな顔をしないで言う通りにしてね。
「それでは私はドアの前に立っておりますので」
「ええ。心配してくれたのに嫌な言い方をして悪かったわ」
「いえ……」
はぁ。やっとリエーフが出て行ってくれた。
改めて厨房チームに視線を向けると、土下座したままの男性二人が揃ってビクンと反応した。
「あなたたち。とりあえず立ってもらえないかしら。そんな状態では話などできないでしょう?」
ちょっと言い方がキツかったかな?
だんだんと貴族っぽいしゃべり方を忘れてきているから、無理して話すと悪役令嬢みたいになっちゃう。
ローラが手を貸してなんとか男性二人を立たせてくれた。
本当は全員に椅子に座ってほしいところだけど、使用人の方が遠慮するだろうから、私一人ダイニングの椅子に座った状態で、全員を見上げながらしゃべるしかない。
「突然当主に呼び出されたら、何か失態があったんじゃないかって思うわよね。きちんと理由を言って来てもらうのだったわ。それも食後にね」
左からアルマ、ケイト、男性二人の順に立ち、四人とも、私の言わんとしていることを一言も聞き逃すまいと力が入っている。はぁ。
「今朝のハッシュドポテトは、今までと違って殊の外美味しかったの。きっと何か新しい工夫をしたのだと思って、それを聞くために呼んだのよ。調理したケイトは『何も変えていない』と言うけれど、近くにいたあなたたちなら、本人が気づかずにしていたことを何か知っているのではないかと思ったの」
「美味しかった――のですか?」
「違ったと言うことなら――」
男性二人は互いに顔を見合って、モジモジしている。「ほら、お前が言えよ」「いや、お前だろ」みたいなことを、視線で交わしているのがバレバレ。どっちでもいいから早く言いなさいよ。
「調理補助というからには、ケイトの調理を手伝っているのでしょう?」
おそらく年上の方の男性が、「はい」と返事をして話すことにしたっぽい。
「材料を揃えたり、簡単な下ごしらえなどは私らもやります。それで、その――」
「今朝のハッシュドポテトの下ごしらえも、あなたたちが担当したのね?」
「はい。細かく刻むところまでは私たちでも出来るので。それで今朝もケイトさんに言われていつものように刻んだのですが――」
そこまで言って、男性はまた隣を向いて、「どうする? 本当に言っちゃう?」みたいな顔をした。もぉー!
思わず睨みつけると、今度は若い方の男性が、「あ、あの――」とおどおどしながらも、ようやく話してくれた。
「俺たち、あ、いえ。私たちはスープの下ごしらえもしていまして。それで――その。ジャガイモを乱切りにして他の野菜と一緒に煮ていたんです。けど、その。ケイトさんに、ジャガイモはハッシュドポテトにするから、いつものようにみじん切りにするよう頼まれて、それでその――。煮ちゃいけなかったんだと――その。急いで鍋から取り出して慌ててみじん切りにしたんです」
ケイトが「え?」と驚いた顔をして、それからものすごい形相で今にもつかみかかりそうになった。
年上の男性がケイトから庇うように、「スープでほんの少しだけ、本当に温まるよりも早く出したんで、問題ないと思ったんです」と、フォローした。
――つまり。スープということは、ブイヨンに浸けたジャガイモを調理したということかな? まあバレることはないだろうと、知らぬ存ぜぬでケイトに報告しなかったのは問題だから、後でケイトにコッテリしぼられるのは仕方ないとして。
でも、でも! ブイヨンだったんだ! くぅー。でかした! よくやった!
あのハッシュドポテトに何か足りないと思っていたけど、それはブイヨンだったんだ!
うぅぅ。もう気持ちは空高く舞い上がっている。椅子から立ち上がってジャンプしたい!
それにしてもなぁ。こんな風に生まれるのか。
酵母の発見とかも確か偶然の産物だったよね。
私はみんなを置いてけぼりにしたまま、プルプルと両手を握りしめていた。
湧き上がる興奮に耐えて、なんとか椅子から立ち上がらないように取り繕っていると、ローラが低い声で鋭く言い放った。
「マルティーヌ様。二人がしたことはとても看過できません。勝手に自分に都合のいいように判断し、ケイトさんに報告をしませんでした。万が一が起こってからでは遅いのです。この件は、レイモンさんにも報告する必要があります」
あ、お怒りモードだ。
「そ、そうね」
「マルティーヌ様が召し上がるものなのに、あまりに軽率すぎです!」
「そ、そうね」
「私もお詫びいたします。レイモンさんのところへは私も一緒に行きますので」
うわぁ。ケイトもそんな怖い顔をするんだね……。
とりあえず、二人のお仕置きはレイモンとケイトに任せよう。
悪いけど、私はもうしばらくこの喜びを噛み締めていたい。
次からは――そうだなぁ。わざわざジャガイモをブイヨンで煮るのは面倒だから、ブイヨンをうんと煮詰めたものを、刻んだジャガイモに混ぜるといいかも。
まぁやり方はケイトとアルマに任せるか。
あー、今日はなんて素敵な日なんだろう。ケチャップとハッシュドポテトが完成した記念日にしなくっちゃ!
いつもお読みくださり、ありがとうございます。
ありがたいことに、たくさんのブクマと評価をいただいております。
毎日更新に執念を燃やしていたのですが、別作品の書籍化作業のため、本作の更新はしばらく不定期になります。
毎日読んでくださっていた皆様には申し訳ありませんが、ご理解いただきたく、よろしくお願いします。




