36 ケチャップが出来た!
あれからアルマは夢中でケチャップ作りに励んでいる。
前日に試したものの中から、お勧めのものを翌日の朝食に出してくれるようになって五日目だ。
そういえばアルマには官能試験を受けてもらったことがあるから、こういう実験を私の趣味だと思って受け入れてくれたのかも。
私の朝食は、日替わりのパンとハムとチーズとオムレツ。それとスープが定番と化している。
オムレツはもちろんアルマのソースを試すため。でも今日はひさしぶりにオムレツではなくハッシュドポテトをリクエストした。
ケイトも既にマスターしていて、問題ないレベルで私の好みを再現してくれている。
「どうぞ、お確かめください」
朝食と一緒にケチャップ候補を運んできたアルマが、私の顔を食い入るように見つめながら声をかけた。
そんな風に人に見られていると食べにくいんだけど、私が命じたことなので嫌とは言えない。
もったいぶるわけじゃないけど、朝はコーヒーを一口飲んでからパンを食べるというのが私の長年のルーチンなので、こればっかりは変えられない。まぁ今は紅茶なんだけど。
本当ならそこからハムとかチーズとかを食べて、空腹が緩和されて余裕ができたところで卵料理を食べたいんだけど、アルマの視線がうるさいので、ここ何日かはパンより先に卵料理を食べている。
マシューがかき集めてくれたトマトが、そろそろ底を尽きかけているのだ。そのせいで、最近のアルマは鬼気迫る顔で私に向かってくる。ちょっと怖い。
でも、アルマは実に優秀だった。
彼女の感性は得難いもので、スパイスの調合だけでなく、すり下ろした玉ねぎを加えてみたりと独自の工夫もしてくれたのだ。
これは意外にもアリだったので、スパイスを入れる前のベースに採用することにした。
そしてスパイスもだんだんと用いる種類が決まってきて、その使用割合もほぼほぼ決まりかけている。
目の前には、三種のケチャップ候補が、それぞれ直径四センチほどの小さなココット皿に入っていて、スプーンが添えられている。
いつものように、まずはスプーンでケチャップそのものの味を確かめる。
左端のココット皿のケチャップを口に入れると、マイルドな甘さの中にほのかな酸味が感じられた。もうこれで合格にしていいレベルだ。
次に料理との相性をみるため、ハッシュドポテトに同じケチャップを添えて食べてみる。
……え? ええっ!? ちょっと! ちょっと! ものすごく美味しいんですけど!
いや、ケチャップも美味しいんだけど、このハッシュドポテト自体が、あり得ないくらい美味しい。
……え? どうして? ほんと、急にどうした?
なんだろう……味に深みが、知っている味が追加されている。何だっけこれ……。
「どうなさいました?」
アルマ、頼むから落ち着いて。
「マルティーヌ様!」
アルマが突進してきそうな勢いで怖い。
「アルマ。ごめんなさい。まず一通り全部食べるから待っていて」
「は、はい。申し訳ありません」
こちらこそ、だわ。
とにかく私も落ち着こう。ハッシュドポテトの謎は後できっちり解明するとして、今はケチャップだ。
昨日のものでも完成にしてよかったレベルだけど、アルマがもう少しだけ配合の微調整をしたいと言うので、結論を今日に持ち越したのだ。
左、真ん中、右と順に食べたけど、最後の右のココット皿のケチャップ候補を食べたとき、私は脳内でマリオに変身して右手を突き上げて大きくジャンプした!
そう! これっ! これだっ!
「アルマ! これよ! これに決まりだわ!」
「マルティーヌ様!」
「あなたもこれが一番だと思ったんでしょう?」
そう。バレバレなんだから。
アルマはその日のイチオシを最後に食べさせたいらしく、いつも右のココット皿に盛っている。私が左から順番に食べることに気がついていたのだ。
そして私が右のココット皿を手に取ると、いつも目を見開いて私の感想を待った。
「はい! マルティーヌ様! 私もそれがこれまでの中で一番良い出来だと思います」
「この三種類は全部美味しいけど、何が違うの?」
アルマはパッと駆け寄ってきて、私の横に立つと、熱弁をふるい始めた。
「まず、三種類ともローリエとシナモンとクローブは同じ配合で入れています。真ん中のものには更にタイムを追加し、右端のものにはタイムに加えて赤唐辛子も入れてみたのです」
赤唐辛子か! そこまでピリッとはしないし、言われないと気がつかないけど――言われても感じ取れはしないけど――いい仕事をしている。
「……とうとう出来たわ」
「マルティーヌ様、では――」
「ええ。これがソース第一号のケチャップよ」
「『ケチャップ』と名付けられるのですね。とうとう……。とうとう……」
「おめでとうアルマ。あなたが見つけた味よ」
「そんな……。そんな恐れ多いです。マルティーヌ様のご指導のお陰で……。うぅぅ」
アルマは返事も途切れ途切れになり、ほろほろと涙をこぼして泣き始めた。
ずっと見守ってきたローラも、私の後ろでヒックヒックともらい泣きをしている。
やだ、ちょっと。私まで泣いてしまいそうだわ。
ハッ! 食い意地よ、ありがとう。
目の前のハッシュドポテトのおかげで冷静になれた。こっちの方も大事件なんだから。
「あ、アルマ。とりあえず、このレシピは我が領の宝よ。よってレシピの秘匿を命じます。開示していいのはケイトだけ。よろしくて?」
「はい。かしこまりました」
「それと。悪いのだけれど。厨房に行ってケイトを呼んできてほしいの。今日のハッシュドポテトについて聞きたいことがあるから」
「では早速呼んでまいります」
「ええ。お願いね」
あー、ドキドキする。ケイトもケイトなりに工夫をしてくれていたんだな。
ローラも、「はぁー」と大きく息を吐いて祝福してくれた。
「マルティーヌ様。よろしゅうございましたね。念願が叶ったのですね」
そう! ずっとずっと思い描いていた願いが叶ったんだ。うんうん。飛び上がりたいほど嬉しい。本当に人がいないところで思いっきり飛び上がりたいよ。
「そうだ。残りのトマトを使ってケチャップを作ってもらうから、ローラたちも食べられるわよ」
「え? 本当ですか! 私たちが食べてもよいのですか? ……ソースというのは、レシピを秘匿されるほど貴重なものなのに、よろしいのですか?」
ローラは喜んだくせに、すぐに侍女の本分に立ち返って真面目なことを言う。レイモンのせいだ。
レイモンの中での侍女像をちょっと私よりに変えてもらえないかな。こういうときは一緒に手を取り合って喜んでほしいんだけど。
まぁそれは一旦置くとして。
まずは領内の店舗に卸して反応を見て、よければ王都で販売したいな。やっぱり野菜の生産だけじゃなく、加工して付加価値を付けた商品を作ることが重要だよね。
瓶詰めにすれば運びやすいし、日持ちもするはず。一応、常温での劣化具合も確認すべきか……。
あ! どうせなら瓶もオシャレなデザインで、うちの領地の特産品の顔にしたいな。
そうだ! サンプルを公爵に献上しよう。絶対に驚くはず。商品を王都で売る手伝いをしてもらおう!
いや、その前に、公爵の領地でテスト販売させてもらった方がいいかな?
ケチャップの瓶を持って、「……ほう」と目を細める公爵の顔が目に浮かぶ。
ふっふっふっ。これぞ、ジャパニーズ トラディショナル カルチャー ――「付け届け」。
どうも公爵の中で私の株は、地に落ちているというか、地面スレスレを這っているような気がするんだよね……。
勉強ができない分、イメージだけでもアップさせておかなくっちゃ。
あ! トマト増産指令を出さなきゃ!
いや、待って! トマトだけを全量買い取り保証はまずいか……。トマト農家だけを支援することになっちゃうもんね。
うーん。こういうことも公爵に相談すればいいのかな? ま、困りごとは後見人相談案件としてメモしておこう。
私が小さな野望を胸に抱き、悪い笑みを浮かべているところに待ち人がやってきた。




